『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』16
16
数個の光の玉が先導する真っ暗な道をしばらく進むと、僕たちを乗せたバナナカーは停止した。みったんが、到着いたしましたと言ってシートベルトを外し出したので、少しまどろみかけていた僕も慌ててシートベルトを外して、暗い車の外に出た。僕の動きに合わせて、三つの光の玉が輪になってスポットライトのように頭上から僕の全身を照らす。足元の地面は自然のままではなく、歩きやすいように整備されている。すでにどこかの誰かの敷地内にいるのだろう。
僕と同じく、三つの光の玉によって頭上から青白く照らされているみったんが、車の前のほうで僕を待っている。暗闇の中で浮かぶみったんは、まるで夜空に投影された映像のようだった。
「私についてきてくださいませ」
ここまで来て、ついていかない訳がない。僕はみったんの言葉に短く答えると、光の玉に照らされながら彼女の後をついていった。
突然、パッと目の前が明るくなり、僕は思わずあっと声を出してたじろいだ。閉じた両目をゆっくりと開ける。僕は全方位真っ白の無機質な空間にいた。
みったんの姿はなく、見渡す限り続く白い空間には僕ひとりだった。耳を澄ましたが物音ひとつなく、自分の心臓の鼓動だけが時間の進みを教える合図のように聞こえてくるようだ。
「あの、だれかいませんか?」
僕は空間に向かって叫んだ。声は反響もせずに消えていく。僕はもう一度叫んだ。「だれかいますか?」
最後の「か」の音を発したか発していないかのすきまの瞬間、僕の身体はロープで吊るされたように突然の強い力で空中に持ち上がった。そして、足場がないと感じると同時に、今度は胸のあたりを中心に前方へと、バカでかい巨大掃除機に吸引されるように一気に身体が進みだした。まさにぶら下がり式のジェットコースター状態だ。
「んんんんん」
風を受けながら僕は歯を食いしばり、かろうじて薄目を開けて自分が進む先を見つめた。だが、等しく真っ白な空間の中をものすごいスピードで進んでいるため、自分が動いているのか周りが動いているのかも分からなくなる感覚で、途中から僕は自分の身体でさえも本当にここにあるのかどうかもは定かではないような、奇妙な恐怖心を感じた。
痛みがある訳ではない。だが、息が苦しい。無防備な手足の関節も、このままではどうなるのか分からない。これはもう僕の肉体の限界じゃないのか、と思ったその時、目の前の白い空間の中央に、まるでナイフで切られた傷口のように突如として黒い縦線が現れた。
と、それは見る間にどんどんと太くなり、真っ白な空間を攻めていく。いや、これは扉が開いたのだ。べつの空間に放り込まれると思う間もなく、宙に浮いたままの僕の身体は、ぱっくりと開いた黒い部分にまっすぐそのまま吸い込まれていた。
ぐんっと強い力で僕の全身の動きが止められ、僕は浮いたまま静止状態となった。幸いというべきか、頭や手足の動きも一緒に固定されて身動き一つできないため、突然の静止の反動で首がもげたり手足の関節がはずれたり、ということはない。一体次は何が起こるんだ、と視線を巡らせようとすると、今度は急に、身体を吊るす見えないてぐすが切れたかのように、僕の身体は見事にまっすぐ地面に落下した。
「……なななな……」
地面に座ったまま、僕は声にならない声でうなった。うなりながらとりあえず、着地した時に足首をくじいていないかチェックしたが、左右どちらも問題ない。左右の肩もグルグル回すが問題なし。その他の部位も意外となんともない。それにしても、一体なんなんだよ……。
「『下ろすにしても、もう少しなんとかならなかったのか』の『な』でしょうか?」
子どもの声がした。
驚いて顔をあげると僕を見下ろすように、おかっぱ頭で白塗りの顔をした小さな子どもがいた。硫黄丸、と思わず声を出してしまったが、硫黄丸ではない。そもそも硫黄丸はおかっぱ頭ではなかった。だが、硫黄丸よりもさらにひと回り小さいこの子にも、両方の眉毛の上には黒い楕円が描かれており、同じような妙に落ち着いて体温を感じさせない無機質な雰囲気を醸し出している。「私は夢泉丸と申します。テンイチ様、私についてきてくださいませ」
夢泉丸は、もはや僕にとって聞き慣れたセリフを言うと、僕が立ち上がるのを無言の圧で待っている。
僕はため息をついてから、夢泉丸の後をついていくためにゆっくりと立ち上がった。そろそろ僕をここに呼んだ「さるお方」に会えるのだろうか。それともまだ使いの者たちのリレーが続くのだろうか。僕はなんだか自分がベルトコンベヤーに乗せられてさまざまな障害を越えた後に廃棄される、ちっぽけな古びた人形になったような気分だった。
そこは、歴史的な時間の重みがありそうな、博物館のような図書館のような独特の厳格さのある場所だった。床は茶色い四角形を取り囲む八角形のクリーム色の大理石が、左右縦横延々と敷き詰められている。壁面にはいかにも年代物の書物や紙の資料が、すき間なくずらりと並んでいる。本棚と本棚のしきりには、蛇が柱に巻き付いているようにも見えるねじれた装飾が施され、見る者を圧倒することで本棚自体の価値までも高めているようだ。
僕たちが歩む広い空間には、東西南北様々な国から集められたような様々な形のテーブルや台が延々と規則的に並べられており、その上にはひとつずつ、見事な装飾の置き時計や惑星や恒星、その他僕の知らない星々の模型が置かれていた。
「あまりむやみにはさわらないで。あぶのうございますから」
僕の前を進む夢泉丸が言った。僕は慌てて土星の環に触ろうとした手をひっこめた。危ないというのは、僕にとってなのか、模型を壊すなという意味なのか。夢泉丸の真意は分からないが、僕はひとつずつじっくり観察したい気持ちを抑えてついていくしかなく、台の上の小さなガラス瓶――中では青から赤紫、黄色、銀色など不思議な色合いの無数の粒が集まったり広がったりを繰り返している――を横眼で見ながら通り過ぎて行った。
大きさも形も色も多種多様な置時計や星々のあいだを歩き、さすがにいつまで続くのかと不安になるころ、少し先にドアがあるのが見えた。
遠目からそのドアを見た時、僕はなんだかぞわっとした不思議な感覚を胸に覚えた。そしてその感覚は、ドアに近づくほどに大きくなり、胸の鼓動が大きくなるのが自分でも分かりすぎるぐらい分かった。
夢泉丸が立ち止まった。「カギを開けて、おひとりでお入りください」
その一枚のなんの変哲もない、よくある茶色い家の玄関ドアは、たしかに僕の――僕とお母さんとおばあちゃんが暮らした――家のドアそのものだった。お父さんと暮らすようになってからは、もう目にすることのなかった懐かしい家。
「このドアって……、ていうか、え、カギ?」
僕は混乱して舌がうまく回らず、ピッチの外れた素っとん狂な声をあげた。
「はい、そうです」夢泉丸が答えた。「お手持ちのカギで開けていただけますでしょうか」
「いや、カギなんて持ってないよ。ていうかそもそも昔の家のカギは……」
「いつもカギはどこに入れていましたか?」
「いつもカギは……カギはリュックの……」
僕が「リュック」と言ったと同時に、僕と夢泉丸のあいだに天井から青い塊がどさっと落ちてきた。僕は反射的に後ろに退き、それからその塊を見つめた。
「これ、僕のリュック……」
微動だにしなかった夢泉丸が無言のまま、感情の読めない冷めた目で僕を凝視している。僕は今起こっていることについて考えるのは後回しにして、もはや何年も使っていなかった、でも愛着のある相棒のリュックサックのファスナーを開けた。中には家のカギだけが入っていた。
僕はそのカギを手にとり、なんとなく無意識にリュックのベルトを片側の肩に引っ掛け、カギを玄関ドアのカギ穴に入れた。ピッタリと形状がはまり、ガチャガチャとカギが穴の奥に進むなじみある感触。僕はカギを右側に回す。バチンと音がして、カギが開いた。
ドアを開けると、中はまさに昔の家の玄関そのままだった。
「脱いだ靴は念のために持っていってください。リュックに入れておけば良いでしょう、テンイチ様」と夢泉丸が僕の背中に向かって、丁寧語ではあるがまるで親が子どもに言い聞かせるように忠告した。
玄関に入るとドアはバタンと閉まり、静まり返った空間で僕はまたひとりになっていた。




