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『誓約のそら―烏の飛翔編 第一部―』14

14


 スパイクが用意してくれた白シャツとカーゴパンツに着替えて、少しこざっぱりした気分になったところで、スパイクと金がどのような話をしたのか聞くことになった。

 僕はクッションの置かれたカウチソファの真ん中より少し右寄りに座り、左隣にはキタが座った。小虎たちはめいめい床に転がっている。スパイクはソーダ水の瓶を片手に、立ったままで話し始めた。


「私と金との話の前に、どうして私が彼に話しをしなくちゃいけなかったのか、その経緯を説明するね。私のところには時々だけど烏がふらっと来ることがあったの」


僕の口から思わず、えっ、という声が漏れた。


「そう、あの烏。君の烏」

 スパイクは僕の言葉にならない疑問に答えると、話を続けた。

「烏とは君が生まれるよりもうんと昔から知り合いで、何っていうほどの用事がある訳じゃないけど、たまにここに来ていたの。君が母親の胎内に存在するようになってからは、いつでも烏はテンイチについての話を私に聞かせていた。あれは私にあえて君に親しみのようなものを感じるように刷り込んでいたのか、それともあの時から烏にとって君は世界の中心だったのか……、おそらく両方ってとこなんでしょうね」


 スパイクは瓶に口を当てて、一口飲んだ。お行儀の良さからは程遠いが、なぜか絵画のなかの女神のように優美に見えた。青い石のピアスが耳元で光る。


「しばらく前、結果的にそれが烏と会った最後になったんだけど、烏はなにか自分の周辺がこれまでとは違うって、『ざわめきが増えている』って私に言った」

「ざわめきが増えている?」

「そう、もちろん私に言うぐらいだから、自分の主たちには先に伝えていたはず。だから通常よりも警戒レベルは上がっていた。ねえ、キタ」

「はい、烏さんは『気のせいかもしれないほどの微細な違和感』だと言っていましたが、みなさん、いつも以上に気を付けるようにはしていました」僕のほうを向き、キタが答えた。


「それで、」スパイクは話を続けた。「烏は私にあるものを預けた」

「あるもの? それはなに?」烏が最後に彼女に託したものがなになのか、僕はすぐにでも知りたかった。僕の知らない烏の姿が、この部屋にまだ残っている気がしながら。


 だがスパイクは僕も焦りには目もくれず、それについては後で、と有無を言わせぬ口調で僕の質問を跳ね返した。

「で、金との話に戻ると、私は彼に、『烏から託されたものを、テンイチは直接私から受け取らないといけない』ことを伝えたの。テンイチが私の家に来ることが条件、ということも」

「それで、スパイクさんは金銀兄弟のお家とこちらを繋いだのですね」キタが言う。

「そう、ケレリスを媒介者に指定してね。ケレリスと一緒じゃないとスピードが遅すぎて、地底の底の底の泥沼まで弾き飛ばされてその後は永遠のカオスの中で意識だけ残る、ということ」

 前半はキタに向けて、後半は僕に向けてスパイクは答えた。永遠のカオスの中で意識だけ残る――彼女のにこりともしない表情から、冗談や脅しではないことが伝わる。

「とはいっても、そんなにすんなり金と会えた訳でもなかった。下手に動けば異法者の仲間がついてくるだろうし、それなりに遠回りをしてやっと会えたんだよね」


 スパイクは瓶の中身を飲み干すと、それを自分の後ろのカウンターに置いた。


「あのさ、それじゃあその、烏があなたに預けたものを見せてくれないかな。僕が受け取らないといけないものなんでしょ」

 待ちきれずに僕はまた口を挟んだ。

 スパイクは腕組みをしながら僕をじっとりと眺めた。しばらくの沈黙。それから「まだ無理」とひと言発した。僕は思わず立ち上がった。

「え、どういうこと? まだ無理ってどういうこと?」

「だって君、私からそれを受け取るだけだと思ってるでしょ」

「いや、だって、『テンイチは直接私から受け取らないといけない』ってさっき……」

「言った。でも君は単に受け取るだけだと思ってる。そう思っている間は、君はそれを受け取れない。それが理だからギャーギャー言わない」


 スパイクの返答に僕は混乱し、助けを求めてキタのほうを見下ろした。キタは真面目な顔でお行儀よく座っていたが、僕の視線に気づくと「テンイチさんはまだ病み上がりですし、みなさん少し落ち着きましょう」となだめるように言った。


 私はいつだって落ち着いているけど、などとスパイクはブツブツ不満げに答えたが、結局その場はそれでなんとなく収まった。

 話が終わったと思ったのか、小虎たちが大きく伸びをして、マイニーが「お腹がすいた~」とのんきに吠える。その声に応えて、食事にしますかとスパイクが言う。僕のお腹がグーっと鳴った。



 ケレリスがいる「厩舎」(とケレリスの前では言ってはいけない気がする)は、僕が寝起きするガラス戸の家と温室の位置を頂点として、ほぼ正三角形を描く場所に位置していた。


 スパイクと僕の二人はケレリスに会いにやってきたのだが、まずはその外観に僕は驚いた。というのも、僕が想像するいわゆる「馬小屋」とは全く次元が異なり、まるで中世ヨーロッパのお城や巨大な美術館の一部のような荘厳さだったからだ。そんな僕をしり目にスパイクはどんどん進むと、見事な馬のレリーフが施された扉の前に立ち、ここから入るよ、と言った。


 中に入ると、おそらく藁などの枯れた茎葉の香りと木材のスモーキーな香りに、雨上がりの土の匂いが混ざったような、複雑で独特なニオイがした。


 白く塗られた壁に、薄茶色と淡いサーモンピンクの石が組み合わさった高い天井は、連なる円柱からアーチを描き、足元には長い時間の重みが感じられる灰色の石畳が敷き詰められている。僕のほんのわずかな足音だけが反響する崇高な空間。

 スパイクに続いてしばらくその石畳の道を歩くと、右手に曲がり道が現れた。その角を曲がると、同様の円柱と石畳の道、そして向かって右手には仕切りのある馬用の部屋がずらりと並んでいた。各部屋と対面側の上部には窓があり、そこから外の光が漏れ射している。天井中央からぶら下がった電灯のオレンジの光と合わさって、どこか地中のぬくもりが感じられる幻想的な空気が漂っている。先ほどからの独特なニオイはさらに強くなっているが、やはり動物特有のものは感じられない。


 左手には、おそらく馬用の出入口になる大きな扉が間を空けて並んでおり、そのうちのひとつは開いているようで、外の光が廊下を挟んだ右手のほうにまで伸びていた。


 スパイクは、いちいち驚きで口をあけっぱなしの僕の間抜け面を一瞥し、「ケレリスはこっちにいるみたい」とつぶやきながらその開いた馬用の出入口に向かった。


 出入口から光の元に出ると、目の前には新緑の芝生と木々の姿が広がっており、霧雨のような柔らかな湿気のヴェールが地面からうっすらと立ち上っていた。そしてその緑の海原の中央には、ひときわ光を放って輝く白馬がいた。「ケレリス」と、スパイクが歌うように呼びかけた。


 ケレリスは僕たち、もしくは僕がそろそろ来ることを予感していたような穏やかな表情で、こちらを見つめている。あの美しく立派な翼は今はない。だが、翼がなくてもケレリスは十分に神々しい。

 僕とスパイクはケレリスの側まで行くと、スパイクが彼の鼻づらをそっと撫でた。僕にはまだ見せたことのない微笑みを湛えながら。


「ケレリス、僕たちをここまで連れてきてくれてありがとう」

 僕の言葉に反応し、ケレリスは潤んだ大きな茶色の瞳で僕を捉えて軽くうなずいた――ように僕には思えた。彼の首筋にそっと手を置いて何回か撫でると、前よりもケレリスと繋がったように感じて僕は少し安心した。


「ケレリスも烏からテンイチのことは聞いていると思う。だからみんな、君のこと、始まりの時からこれまでよく知っているような気がしているのかもね。ま、想像していたよりも小さな子どもじゃなかったけれど」


 スパイクの言葉に僕は不思議なこそばゆい感じがした。僕の知らない世界に生きる知らない人たちが、僕のことをよく知っているだなんて。烏がどこまで僕のことを話しているのかは皆目分からないが、なんだか全て烏の手のひらの上のような気がする。烏……、一体どこまで見通していたんだよ。本当はまだそばにいるんじゃないの。


「僕、ケレリスに翼があるなんて知らなかったから、急に翼が出てきて飛んだ時は驚いたよ」僕は、烏のことをまだ少し考えながら言った。

「ケレリスはあのペガススの弟だから……ペガススのことは知ってるよね?」

 スパイクの言葉に僕は驚いた。

「ペガススって、あの、物語に出てくる翼のある馬のこと、だよね。そうか、ケレリスはペガススの弟なんだね」


 そう答えながら、僕は思わずスパイクの背中の翼に、無意識に視線を向けてしまった。

 スパイクは素早くそのことに気づき、「私のこれは人を抱えて飛べるほどのチカラはないから」とそっけなく言った。別に抱えて飛んでもらおうと期待した訳では……、と僕は言い訳したかったが、言葉がうまく出てこない。ひとりであわあわしていると、スパイクは僕の真横――小指同士がわずかに触れたように感じるくらいの真横を――つっけんどんに通り過ぎ、霧立った奥の木々のほうに歩いていってしまった。


 僕はケレリスと並び、空を見上げた。少し紫が鮮やかすぎるようにも思えるが、僕が良く知っている空と大きな違いはなく、ここが僕の世界とは別世界だとは到底思えない。そもそもこれまで、毎日の空の色にそこまで注意を払ったこともなかった。だが、今の僕の近くには翼を持つ馬と翼を持つ女の子(実年齢は不詳)がいて、僕を謎の集団から守ろうとしている。もちろんお父さんのことも含めて、全てがこれまでとは明らかに違う。そういえば、あれから何日が過ぎたのだろう。僕がいなくなったことに気づいている人は、元の世界にいるだろうか。学校に行く以外で特に誰とも予定もない、ひとりでいるのが好きななにものでもないただの高校生。唯一の身内の父親は絶賛行方不明中……。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、目の前までがぼんやりとかすんできた。何事かと思う間もなく足元から立ちのぼる霞がもうもうと僕の身体を包み込み、数センチ先さえも空間が白く濁って全く見えない。慌ててケレリスがいるはずの左手に、腕を伸ばしてみる。が、何にも触れない。気配さえも感じられない。僕はケレリスとスパイクの名前を大声で呼んだ。

 だが、返ってくるのは「無」の輪郭だけだった。

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