コイバナ: 「煙草の話」
私は、煙草の匂いが嫌い。
昔はそうでもなかったと思う。
好き、では決してなかったけれども。
親だって家で吸っていたし、「煙たいな」とは思っても、今ほど「嫌い」ではなかったと思う。
どうしてなのかは、ちゃんとわかってる。
「彼」のせい。
彼は今時珍しいヘビースモーカーで、いつも煙草の匂いがした。
服からも、髪からも、染み付いた煙草の匂いがして、それがベースになって「彼の匂い」になっていた。
キスしても、抱かれても、眠っても。彼の吸う煙草の匂いが、いつも私を包んでいた。
私は煙草を吸わないし、煙は煙たいと思うけれど、彼に抱きついて深呼吸して彼の匂いに包まれるのは好きだった。
ベットにうっすら残った彼の匂いが洗濯で消えてしまうと、いつも少しだけ、がっかりした。
別れた理由は、よく覚えていない。
きっと、付き合い始めたときのように、「何となく」別れたんだと思う。
別に私は、いつもそんな付き合いばっかりしているわけじゃない。
彼がちょっと変わっていただけだと思う。
彼は猫のようにふらっと現れて、ふらっと去っていった。
そんな感じ。
だから、別れた時もそんなにショックじゃなかった。
何ていうか、「あ、そう?」とか「へー」とか言う感じで、自分が当事者だと言う感じがしなかった。
実際、その時私は泣きもしなかったし、取り乱したりもしなかった。
正直な話、自分が彼に別れ際に何を言ったのか、今となっては、全く覚えていないんだけれども。
彼と別れてから数ヵ月くらい経った後、たまたま彼と同じ煙草の匂いをどこかで嗅いだ。
煙草の匂いなんてどれも同じだろうと思ってたのに、それは私の頭の中のスイッチを思いっきり押して、その反動で、私の中の何かをガッツリ壊していったらしい。
不覚にも、私は公道のド真ん中で、涙を流して立ち尽くしていた。
その時初めて、知った。
私は彼が恋しいんだって。
終わってから気付くなんて、何てマヌケなんだろう。
時間は戻せないのに、気持ちだけがどんどん戻っていってしまう。
その時初めて、私は自分の気持ちを知り、別れ際に彼が見せた寂しいような心配なような、そんな表情の意味を知った。
それ以来、私は煙草の匂いが嫌い。
でも、それが彼を思い出したくないからなのか、自分の不甲斐なさを思い出したくないからなのかは、あれから数年経った今でも、私にはさっぱりわからない。