第44話:ルイーサ・シュネルパンター
リアルタイムは午後7時前。
ログアウトした俺が瞳を開けると、目元を覆っていたスクリーンバイザーが静かに開いた。
ベッドで上体を起こした俺は、装着しているニューロシンクギアを外す。
「ふぅ~」
隣には祐希が横になっている。
祐希もニューロシンクギアを装着しているので顔は見えないが、取り敢えずハグしておくか……リアルだと拒否されるのがオチだから。
――祐希のスクリーンバイザーがシュッと開いた。
俺は伸ばそうとしていた腕を引っ込める。残念だ。
上体を起こした祐希が俺に顔を向ける。
「僕は4街区のバーガーショップに行くけど、父さんの分も買ってこようか?」
いつもなら頼むんだが、ゲームの中とはいえ久し振りに他人と触れ合ったので、たまには出掛けるのも悪くないと思った。
「俺も一緒に行くよ」
すると祐希が驚いた表情を見せる。
「えっ――父さん本当に!? マンションから出るの?」
「あのな、お父さん今日は祐希と出掛けたい気分なんだ」
「僕に気を遣ってるの? 無理しなくて……いいんだよ?」
間を開けたのは恐らく、俺が滅多なことでは外出しないので、「引きこもってていいんだよ」と、言いかけたんだと思う。
「無理はしてないよ祐希、一緒に行こう。あ、ソッコーでシャワーだけ浴びてくる」
「……分かった。じゃあ僕は着替えて待ってるよ」
俺は急いでドレッシングルームに駆け込むと、着ていたパジャマと下着をポイポイと脱ぎ捨てた。
天井から伸びてきた自在アームが、脱ぎ捨てた衣服を拾い上げて洗濯かごに移していく。
「着替えはベージュのパーカーとホッピングパンツで」
ピピッ。
「了解しました」
シャワールームに入ってバンザイしたら目を閉じる。
「オートシャワー最短で」
ピピッ。
「了解しました」
オートシャワーは、めっちゃくすぐったいけど早くていい。
祐希はこれが苦手だから手洗いしてるらしいが、高校生になってもまだまだお子様だな。
これの良さが分からないとは。バンザイしてるだけで乾燥まで終わるのに。
まぁ、バンザイするのは脇の下流すときの一瞬でいいらしいが、取説を読まない俺は、ずっとバンザイするのが癖になってる。祐希には言ってない。
◇
「あ~サッパリした」
俺は両手を下ろすと再びドレッシングルームに出た。
置かれてた服を着ると、ツヤツヤになった長い髪を緩い三つ編みにしてサイドにまとめた。
いつものことなので手早く出来る。
つばの広いキャップをかぶってサングラスをかけた。
これが無いと、相変わらず俺は人の目を惹いてしまうからな。
それに、小学校の時のクラスメイトと出くわす可能性が全く無いとは言えない。
当時から容姿が殆ど変わってないなんて、相手を混乱させるだけだし……まぁ、その前に、昔のクラスメイトのお子さんかな? なんて思われるだけなんだろうけどな。
玄関前の廊下に出ると祐希が声をかけてきた。
「父さんのその格好、中学の時の三者面談を思い出すよ。あははっ、あの時は先生に『お母さんと来たのかな?』って聞かれてたよね」
――そんな黒歴史を……くっ。まぁ事実だから仕方ない。
「そ、それじゃ行こうか、祐希」
身長142センチの俺の足のサイズは21センチ。
もちろんこのスニーカーは、お子様っぽさを無くした特注品だ。
「父さん座っててよ。僕が靴紐結んであげるから」
いつも縦結びになってしまうので助かる。
「ありがとう、祐希」
自室の玄関には二基のエレベーター。
一つは地上階にある高級レストランの個室へ直通。
もう一つは最深階にあるマンション出入り口のロビーに直通。
どちらも自室専用のエレベーターだ。
最深階のロビーに到着すると、祐希が中央へ進み、天井のセンサーに向けて指先をくるりと回す。
センサーが感知し、内ドアが閉まると程なくして、キーンと耳鳴りがしてきた。
うん、地下都市の気圧は高い。マンション内は1気圧に保たれてるから気圧の差があるんだよ。
祐希は耳抜きに慣れてるみたいで、軽くあくびをするだけで収まるようだ。
だけど俺は未だに慣れていないので、マウススプレーで口内を潤し、出てきた唾を飲み込む。
耳鳴りが治まると外ドアが開いた。
昼間ほどではないが、地下都市は夜でも、ある程度明るく、時間帯のせいもあってか、人がそこそこ行き交っていて交通量も多い。
マンションから徒歩で5分ほど。広い通りの向こうに4街区のバーガーショップが見える。
道幅が100メートルはある大通りに設置されている歩道橋には、エスカレーターとムービングウォークが備わっている。
歩道橋に設置された低速の方のムービングウォークに乗りながら、アプリで注文を済ませた俺たちはバーガーショップへと入った。
食事時なので結構混み合っている。
「父さん、テイクアウトにしてもらう?」
祐希が俺の耳に口を寄せてそう話し掛けた時、奥の方から声が掛かる。
「祐希、ここ開いてるよ!」
祐希が声のした方へ顔を向ける。
「……委員長」
俺も顔を向けた。
6人掛けのテーブル席に、整った黒髪ボブの少女が座っている。
見たことがあるような……それもちょっと前に。
うん。全体的な見た目は祐希と同学年くらいだけど、顔立ちの雰囲気が、ゲーム内で見た、病んでるキャラのルイーサと似てるんだ。
「父さん、どうする?」
祐希が小声で聞いてきた。
「外出した意味がなくなるし、折角だからお邪魔しようか……あ、俺のことは……」
「分かってるよ。アサヒって呼べばいいんだよね」
俺は家族以外、かつてガチャバイトをやっていたメンバーと、心から気を許せる親友以外に、リアルの容姿を知られてはいない。
年齢的には大人でも容姿が子供だから、世界一の大企業のCEOで大富豪なんて知られたら、いつどこで誰かに襲われたり誘拐されたりする可能性が否定できないからな。
かといって出掛ける度に、ぞろぞろと要人なみのSPを従える訳にもいかない。
だが、警察庁の長官には、俺の顔と名前を認識できる人間が、身内と親友以外に居ないという事を理由に、監視カメラと数台のドローンによる、遠隔警護だけで勘弁してもらっている。
オーダーしていた品が載せられたトレーを、少女の居るテーブルに置いた祐希が、その向かいに座った。
俺は少女にお辞儀をし、祐希の隣へ腰を下ろした。
「この子は?」
俺に視線が釘付けな少女が口を開いた。
咄嗟に祐希が答える。
「従妹のアサヒだよ。母さんの妹の子供」
「……へぇ~、祐希に従妹なんて居たんだ。ねぇアサヒ、サングラスは外さないの?」
俺に顔を向けている。
「さ、サングラスが気に入ってるので……」
「――その声、もしかして――師匠ですか⁉」
……この少女、やっぱりルイーサだ。でもなんか、リアルの彼女は清楚なイメージしか湧かないんだが。
「委員長、リアルでの詮索は規約違反だよ?」
「じゃあ祐希も、学校じゃないんだから私のことを名前で呼んでくれる?」
「分かったよ、瑠衣沙」
名前で呼ばれた瑠衣沙が、ぽっと頬を赤らめ、照れ隠しなのか飲み物を口に運ぶ。
ストローで数口飲んだ後、呟き始める……
「……そうすると年齢が合わない……あ……師匠が強すぎるから、あのおじさんプレイヤーが、伝説と勘違いしてるだけなのかな……」
「瑠衣沙、詮索は無しだよ?」
「あ、ごめん祐希。ついつい癖が出ちゃった、えへへ……ところでお師匠さま。こ、今度私にバトルの極意を教えてください」
なんか……可愛いぞこの子。
極意なんてこれっぽっちも無いが、伝授できるなら伝授してあげるのも、やぶさかではないな。
そこへ、一人の女性が進み寄ってきた。
「あら、祐希君じゃないの、久し振りね」
祐希がその女性に笑顔でお辞儀をした。
「あ、お久しぶりです」
「なになになに、祐希君。うちの瑠衣沙とデートしてたの? 私、もしかしてお邪魔だったかな……ところで瑠衣沙、この子は?」
「デートじゃないよお母さん。それとこの子は、ミ――」
「――僕の従妹のアサヒです、真奈美さん」
真奈美という女性の顔が綻ぶ。
「莉佳さんなんて、一度も私の事を『さん』付けで呼んでくれなかったのに、息子の祐希君はホント素直で可愛いねぇ~」
話の内容から判断すると、どうやら四十半ばくらいの真奈美という女性は、エイツプレイスの人間だ。
そして、娘と思われる瑠衣沙を含め、元妻の莉佳や祐希と親しいようだ。
するとそこへ、ダメージデニムにヘソ出しニットを着たお姉さんが駆け寄ってきた。
「家におらん思たら、こんなとこにおった」
なんだか聞き覚えのある声だ。俺の脳裏にビキニアーマーが浮かび上がった。
「姉貴、約束が違うやないか。白ネコのガントレットはうちにドロップする言うてたやろ。何でミリアにドロップさせとん?」
そして、腰に両手を当ててふんぞり返る。
「カキツバタに報告してもええっちゅう事やな?」
真奈美が立ち上がった。
「待って杏菜! 私はきちんとドロップ率を変えてたよ。杏菜が99.99パーセント拾えるようにしてたよ。お願いだからカキツバタに報告するのだけはやめて……」
「ほな、それに見合う対価……生け贄が必要やな」
「杏菜、もう1日だけ待って。明日こそ、ミリア・ルクスフローの個人データを聞き出してみせるから!」
ゲーム内で、ビキニアーマーのアンナは頭がちょっとアレだと思っていたが、この真奈美という女性も……
……ちょっとアレだ。
ミリア・ルクスフロー本人の前でそんな話するとかな。
瑠衣沙が立ち上がる――。
「誰があんなキモいジジイの生け贄になんかなるかよ! アタイには切り札があんだぜクソ杏菜! クククッ――そうだよね、師匠!」
あれ? さっきまでの清楚さが無くなってるんだが……
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※続きも頑張って書いております。
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