第37話:莉佳さん
試合開始まで、残り時間――30秒――。
俺は急いでエアパネルを開き、自撮り用カメラ視点で全身を映してみた。
むむむむ……顔だけは出てるけど、どう見ても真っ白な猫の気ぐるみだ。
ピンと立った大きめの耳。フワッフワで長い尻尾。そしてカメラじゃなくても見えていた肉球が付いてるグローブ――もちろん、グローブは肉球が見えるように開いていて閉じられない。
俺は思わず言葉を漏らす。
「……嘘だろにゃん」
――にゃん? ――いや、俺はそんなこと言ってない。なんか言葉がおかしいぞ。
「ちょっにゃん……おいにゃん……なんだこれにゃん」
……もしかして、語尾に自動で『にゃん』が付く?
これは――父親という立場が、いや――存在そのものが全てぶち壊されるような仕様ではないか――。
ああ、ユキが居ないプライベートな空間で良かった……。
――いやいや、全っ然よくない!
……とりあえずこの武器の詳細だ――。
『ホワイトキャッツガントレットS:肉球付きグローブ型ガントレット。
※猫好きにはたまらない着ぐるみ防具と、自動にゃん語尾ボイスの3点セットだにゃん。』
――ふざっ――あ、ステータス確認しておかなきゃ――。
メインジョブ:ニャンコ(Sクラス)
Lv:1
サブジョブ:設定無し
HP:299
MP:299
全アビリティ:Unavailable(表示できません)
……なんだこれ――うん。完全に遊んでるよな。
あ――スキル一覧を――
――ビーーーーッ!
『両者、指定位置についてください』
……え、スキルは?
『[システム]ハンドマークが出ている間、スキル一覧は開けません』
――うっは――俺、
「詰んでるにゃん」
◇ ◆ ◇◆
エイツプレイス本社ビル。地下十二階のゲーム開発室。
その奥にあるエグゼクティブルーム。
「莉佳さん、私の話ちゃんと聞いてる?」
「敬称はよしてよ真奈美。あなたは先輩なんだから」
デスクの手前に立っている真奈美が、長めのストレートな髪に、ファサッと手ぐしを入れながら口を開く。
「エイツプレイスのゼネラルマネージャーを呼び捨てにはできないよ」
デスクの奥側に座っている莉佳が、デスクに埋め込まれているタッチパネルを指先でトントンと叩く。
「操作パネルが使えるように、メンテナンススタッフに連絡入れてくれないかしら」
真奈美が眉間にシワを寄せた。
「こちらの用事が済んだらね」
まるで聞いていなかったように、指先でトントンと音を立て続ける莉佳。
「真奈美、私、急いでるんだけれど」
「……莉佳さん、今の状況分かってるの?」
「私の操作パネルが壊れたという状況かしら?」
「莉佳さんのパネルは使えなくしてるって言ったのに、聞いてなかったの?」
「だからメンテナンススタッフを呼んでくれないかしらと言ってるんだけど」
呆れ顔になる真奈美。
「私、この部屋をミーティング表示にして、ドアも開かなくしてるって言ったよね?」
「メンテナンススタッフなら開けられるんじゃないかしら……」
「莉佳さん……私はね、開示を要求してるの。スパークス時代に登録してたミリア・ルクスフローの個人データの開示をね」
「それが私を軟禁している理由なのかしら?」
「軟禁なんて言い方はよしてよ。少しの間だけ部外者がこの部屋に入れなくしただけだよ」
莉佳は小さく息を吐いた。
「私のデスクの操作パネルも壊しておいて、これのどこが軟禁じゃないと言えるのかしら?」
苛ついた様子を見せる真奈美。
「今日の正午にルクスフローで登録したプレイヤーが、いきなりSロッドを拾って、百万の課金をしたんだよ?」
ダンッ、とデスクに手をついた真奈美が続ける。
「ガチャの神が現れたんだよ? またゲームバランスを崩壊させるつもりなんだよ。昔みたいに下落した株を買い占められたら、今度こそエイツプレイスは乗っ取られるのよ?」
莉佳は再び小さく息を吐く。
「真奈美。あなたは私が、オンファイアのコアAIを開発したから、この地位にのし上がったと思ってるのかしら?」
(スパーク・オン・ファイアは、一般的に「オンファイア」と呼ばれている。)
真奈美が小さく首を傾げる。
「違うっていうの?」
莉佳は少しだけ間を置き、
「……そうね……その通りかしら」
莉佳は、本当のことは言えないと思った。
元夫であるガチャの神様、奈和は、株を買い占めたのではなく買い支えてくれた。そしてその株を全て私に譲渡してきた。
そのお陰で、自分がエイツプレイスの筆頭株主になっているということを。
真奈美は「ふんっ」と、小さく漏らしたあと、秘書用のデスクでタッチパネルを操作した。
役員室中央のホログラムモニターが、4分の1サイズの闘技台を映し出す。
「ほら莉佳さん。お望み通りバトルアリーナのライヴ映像に切り替えてあげたわよ。これでいい?」
「ええ、ありがとう真奈美」
「莉佳さん、試合でも見たかったの? こんな状況でも仕事熱心なんだね」
「世界一可愛くて……世界一大切な人の試合が見たかっただけよ」
はぁ~、と、ため息を漏らす真奈美。
「世界一って……世界ランカーの試合でも始まるの?」
映し出された闘技場を見つめる莉佳の口元に、微かな笑みがこぼれる。
それを見た真奈美が口を開く。
「結局最後まで紹介してくれなかったけど、おととし旦那と別れたと思ったら、今度はバトルアリーナの世界ランカーでお相手探しかよ……」
真奈美は、軽蔑したような表情を浮かべ、続ける。
「……莉佳さん、自分の歳を分かってるの? 老化抑止治療で若く見えるけど、実際は40過ぎたおばさんでしょ……」
ホログラムを見つめる莉佳が呟く。
「……今でも世界一愛しているわ」
呆れ顔の真奈美が、後ろのホログラムに目を遣った――。
途端に真奈美の表情が困惑の色に変わった。
4分の1サイズの高解像度ホログラムで映し出された闘技台――その上には二人のプレイヤー。
一人は銀髪の少女。
『ルイーサ・シュネルパンター』
そしてもう一人は……ガチャの神――
『ミリア・ルクスフロー』
「……これは、どういう事よ……」
「真奈美。ルイーサがガチャの神様に挑んでるのが信じられないって表情ね?」
「莉佳さん……うちの子に何をしたの?」
莉佳は、人差し指の背で鼻をスッスッと撫でた。
「あなたの娘、瑠衣沙には何もしてないわ。私はガチャの神様にS武器を持たせただけ。でも今回は、祐希が使わせないようにしているわね」
間もなく、ミリアとルイーサが闘技台の開始位置についた――。
微笑みながら観ている莉佳。その横で困惑の表情を浮かべる真奈美……。
「何でバトルを申し込んでんのよ瑠衣沙――お前じゃ神には勝てないんだよ――私が過去にどれだけ神の戦いを見てきたと思ってんのよ!」
その声には、かつてガチャ装備に過剰オプションを付けるよう命令した上司が逃亡したことで、自分が非難の対象となった苦い思い出が込められているようだった。
真奈美は、困惑と怒りが入り混じった目つきで莉佳に顔を向けた。
「……莉佳さんにはお見通しってことね……いいわ、それならガチャの神に、現状最強の戦士、アスドフをぶつけて潰すことにするわ。接がれたロッドでは、流石に神といえど勝ち目はないだろうからね」
莉佳は人差し指の背で鼻をゆっくりと撫でながら思考を巡らせた。
……確かに真奈美がプログラミングしたSクラスのヴェルセルカーは強いわね。
所持者は確か、課金の魔族アバターを使ってるプレイヤーだったかしら。
虎の威を借るプレイヤーでは、ガチャの神様には絶対勝てないのに。
……真奈美の裏で糸を引いてる人物が誰なのか。
ガチャの神様の正体を真奈美に教えないのは可愛そうだと思うけれど、今はまだ泳がせておくしかないわね。
◇ ◇
ゲーム開発室の顧問であり、エイツプレイスのトップ3に入る取締役でもある、プログラマーの莉佳。
そして、本日付けで莉佳の秘書となった真奈美は、朝から不穏な動きを見せていた。
案の定、正午になると莉佳のコントロールデスクが使用不能になった。
秘書用のデスクは、真奈美にしか使えないように設定を変更したので、そのタイミングを狙っていたようだ。
ドアも『ミーティング中に付き部外者入室禁止』という表示を出し、開けられないようロックしている。
エイツプレイスは、将来のプレイヤーが再使用できないよう、ルクスフローというキャラクターIDを、永久欠番のようなレガシーIDに認定していた。
そのIDを使い、登録をしてきたプレイヤーが現れたのだ。
中身が莉佳の元夫、奈和であることも、その元夫がエイツプレイスの窮地を救ってくれたことも知らない真奈美は、オンファイアのゲームバランスが、スパークスの時のように崩壊してしまうと考え、当然のように手を打ってくる。
莉佳の考えは的中した。
ただ、予想外だったのは、息子の「祐希」がシステムに入り込み、奈和の痛覚パラメータを95パーセントまで上げてしまったことだ。
もしも100パーセントまで上げていたなら、リアルの神経に損傷を与えていたかも知れないと思うと、莉佳は気が気ではなかった。
ユキがログアウトして様子を見に行ったことや、奈和の体調パラメータがオールグリーンなのを確認した莉佳は、胸を撫で下ろした。
莉佳は、真奈美に気付かれないよう、ウェアラブルスマホでエアタッチキーボードを出し、管理者権限でオンファイアのシステムにアクセスした。
奈和の復活転送の時間を引き伸ばし、レッドクリスタルロッドSがドロップするよう仕組んだ。
そして……。
真奈美は奈和がオケラモドキとの戦闘中に、装備している木の杖の耐久度と火力の数値を下げた。
奈和が装備している木の杖が折れたのを見た莉佳は、再びオンファイアのシステムにアクセスし、マイク部分に向かってダイレクトコールで奈和に呼びかける――。
「ナオ、すぐにSロッドを装備して」
『だ、誰?』
「――ナオ、お願い。急いでそれを装備して」
ダイレクトコールをしているのに気付き、真奈美はウェアラブルスマホのマイクを塞ごうと手を伸ばす――莉佳は急いでコールを続ける――。
「今はコントロールパネルが制御不能になってるから、Sロッドを装備してもらうしか――」
――マイク部分を塞がれ、ダイレクトコールも切られた。
そこからは、真奈美の言葉をのらりくらりと受け流しながら、莉佳はただ待つしかなかった……。
――ガチャの神様が、無敗の王者に戻ってくれるまで。
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