第8話 アタシは殺されなきゃいけない人間……らしい
時刻は午後4時半。
既にほとんどの生徒は部活に行っているか帰宅しているかの二択なので、廊下は驚く程にガラガラだ。
教室を後にしたアタシ達は、吹奏楽部の練習を背中に受けながら昇降口で上靴からローファーへと履き替える。
「よいしょっと。では行きましょうか」
「そだねー」
「……ユリさん、どうしてそんなに距離を取っているので?」
「説明いる?」
アタシの返答に対し、3メートル程離れた所に居るリリィちゃんはやれやれとばかりにため息を吐いた。
いや何がやれやれだ。こちとらいきなり唇奪われとんじゃぞコラ。
リリィちゃんが外に出た後、アタシも遅れて校舎を後にする。
校門を抜けてからも一定の距離を保ちつつ、アタシは彼女の背中を追った。
ストーカーじゃないよ。アタシとリリィちゃんって帰る方角が一緒なんだよ。
ってかご近所さんだし。なんだったらお隣さんだし。
こないだも、隣の窓から侵入してアタシのベッドに潜り込んでいたところを、スミレちゃんに見付かって大事になってたし。
鍵は掛けてた筈なのに、なんで普通に入ってこれるんだろ?
「ユリさんユリさん。なにやらどんどん私とユリさんの距離が遠くなってる気がするのですが」
「気のせいでしょ。気のせい気のせい」
もうこの際二重ロックにしてもらおっかな。
それかセンサー的なのを設置して、感知したら一瞬で地下室にぶち込むとか。
部屋のセキュリティーについて考えながら歩いていた……その時。
「危ない!」
突然、リリィちゃんがアタシの体に飛び込んできた。
その勢いのままに後方へとふっ飛ばされ、地面と接触した背中に激痛が走る。
「アイタタタ……、ちょっとなに急に……」
背中を摩りながら目を開くと、ほんの数秒前までアタシの立っていた場所には何故か大量の手裏剣とクナイが。
なにアレ……本物?
普通にアスファルトの地面に突き刺さってるし。
もしリリィちゃんが飛び込んでこなかったら、アタシ……。
文字通りに血の気が引いた。
見開いた両の瞳は瞬きを忘れ、起こっていたかもしれない現在を映し出していた。
「お怪我はありませんか? ユリさん」
「う、うん。ありがと……」
アタシの体に覆い被さっていたリリィちゃんがゆっくりと上体を起こし、焦った面持ちで安否を確認した後。
「よかったぁ」
心の底から安心した笑顔を浮かべると共に、安堵の息を吐いた。
すると、リリィちゃんは徐に立ち上がり、道路を挟んで向かい側にある家の屋根の方を睨んで。
「不意打ちとはやってくれますね。まあ、私達らしいですが」
誰も居ないその場所に、憤怒を宿した声でそう呟いた。
吊られてアタシも屋根の方を見るが、やはり誰も居ない。
「リリィちゃ……」
急いで上体を起こすなり、アタシが彼女の名前を呼ぼうとした矢先。
今度は肌を切るような突風がアタシの右肩の上を通り、視界にはこちらに向かって左足を伸ばしていたリリィちゃんの姿が映っていた。
「へ?」
素っ頓狂な声が溢れてしまう。
そしてすぐ後に、背後から誰かが勢いよく壁に激突したような轟音が耳を劈いた。
思わず振り返ると、10メートル程先でモクモクと土煙が広がっており。
やがて晴れると、そこには壊れたブロック塀とその残骸、そして謎の紺色の装束姿の大人が仰向けで倒れていた。
「まったく、油断の隙もありゃしない。もう少し穏やかにいきたいものですがね」
足を戻し、再びそこには居ない筈の人に話し掛けるリリィちゃん。
すると、
「アナタ様が我々に従って頂けるのであれば、このような無粋を働かずに済むのですよ」
どこからともなく聞こえてくる謎の声。
それと同時に現れる、同じような装束を身に纏う十人の男女。
それぞれ胸元に花の刺繍がされており、その種類と色は赤や青、緑に紫と十人十色だが、それ以外の特徴は全て揃っていた。
頭部を覆うような頭巾に額を覆う鉢金。
色は紺色に統一され、男性は鉄砲袖に裁着袴、女性は野良着に巻きスカートを着用し、互いに襟の間からは鎖帷子のような物が見えている。
両手には手甲が装備され、漆黒の足袋を履き、背中には刀が担がれていた。
アタシはあの格好をしてる人をなんと呼ぶのか知っている。
――忍者だ。
信じられない。本物かどうか定かではないけど、あの特徴的な格好と地面に刺さった手裏剣にクナイ……。
それらの揃った条件が、アタシにアレはモノホンだと大音量で警告してきた。
「ユリさん、私の後ろに」
「で、でも……」
「いいから。さっ、早く」
指示に従い、アタシはリリィちゃんの背後へと隠れる。
正直、一つ下の彼女を盾にするような真似はしたくなかったが、それ以外の場所に居れば彼女の足を引っ張ってしまうような気がしてならなかった。
でも、なんでリリィちゃんは普通にして居られるんだろう?
それにさっきの会話……、まるでリリィちゃんがあの人達と関わりがあるみたいな……。
「金百合様、お願いです。その者を……、黒百合をどうか我々にお引き渡し下さい」
「お断りします。ユリさんはもう自分を失くしている……。つまり、もう無関係の存在なんです」
「無関係? そんな訳無いでしょう。里を抜けた者は悉く死罪。そこに如何なる理由があろうと、例外は存在しません」
黒百合? 里? 死罪?
なになになに。もう一体なにがなんなのか訳分かんないんだけど!
頭の中がパニクってる一方で、リリィちゃんは更に憤怒を宿した声で忍者達と言葉を交わし。
「では私と敵対するということで間違いないですか? アナタ方全員、この場で排除しても問題ないということでよろしいですか?」
「……我々に勝つおつもりで?」
「当然でしょう」
その言葉と一緒にリリィちゃんは突然目の前で制服を脱ぎ出し、代わりにその体には胸元に金の百合の花が刺繍で施された、彼らと同じ紺色の装束が纏われていた。
布面積の少ない野良着からは彼女の零れそうな双丘の一端が脇から覗かれ、巻きスカートと脚絆のような足袋の間からはすらりとした太ももが顕になっており、思わず目が釘付けになってしまう程妖艶な雰囲気が醸し出されている。
髪型もハーフアップからポニーテールに変わり、両手にクナイを構えながら……。
「万華の金・十六の花『金百合』。皆さんの最期に花を咲かせて差し上げましょう」
その口上から僅か数秒後。
まるで瞬間移動でもしたかのようにリリィちゃんと忍者達の姿が消え、刹那にして無数の金属音と破壊音が耳を劈き、視界は舞い上がる土煙と小さな火花、そして飛び交う血飛沫で埋め尽くされた。
「えーーーーーーーーーーーーーーーー?」
思わず素っ頓狂な声が漏れてしまう。
そこからはもう、あまりにも非現実的過ぎて。
めちゃくちゃシリアスな展開の筈なのに、何故か笑えてきてしまった。
勿論、本当に笑ったのではなく、引き攣ったような笑みというか……とにかく言えることはただ一つ。
アタシは受け止め切れなかったのだ。
この、目の前で繰り広げられた惨劇を。
刀を振るい、クナイを投擲し、蹴りを打ち込み、肉を斬り、骨を断ち、血に染まる。
武装した忍者達を次々と圧倒し、倒れた敵と瓦礫の真ん中で舞い踊る。
つい先程まで一緒に笑い合っていた、彼女の姿を。
「あっちょんぶりけー……」
うっっっそでしょ。
アタシほんの一時間前に、教室であの子とチューしてたんだよね?
え、なに? てっきり女の子同士のあちゅあちゅ学園ラブコメが始まると思っていたのに。
あっ、これからアタシはあの美少女と百合百合しい学校生活を送っていくんだなーって覚悟していたところだったのに!
一体いつからアタシは、こんな血みどろなアクションストーリーの主人公になったの?
「このクソガキッ…… ――ガハッ!」
「ダメですよー。むさいおじさんがいたいけなJKにバックハグとかコンプラ案件です」
背後から襲い掛かろうとする大男を、躊躇なく後ろ回し蹴りでぶっ飛ばせるJKのどこがいたいけなんだろう……。
けど間違いない。
あの服装にあの戦闘力、それにあの口振り……。
リリィちゃんもあの人達と同じ、忍者だったんだ。
確か女性の忍者は『くノ一』って呼ぶんだっけ。
「彼女が実はくノ一でしたとか……、予想出来る訳ないっしょ」
でも、そう考えると思い当たる点はいくつかある。
窓の外から糸一本でアタシの教室覗き込んできたり。
さりげに自分の教室には変わり身を置いてきたり。
大凧に乗って空を飛んできたり。
うん、冷静に考えても頭おかしいわ。
前のアタシは、リリィちゃんがくノ一だって知ってたのかな?
知っててお付き合いしてたのかな?
「あれ? でもさっき……」
「隙アリ!」
アタシが考えに耽ていたその時、いつの間にか背後に立っていた忍者が刀で斬り掛かってきた。
「ユリさん!!」
リリィちゃんが慌てたようにアタシの名前を呼んでいる。
だけどどこかその声は実際の距離よりも遥かに遠く感じ、頭の中で木霊するように響いていた。
刀が振り下ろされる。
迫り来る刃は不思議とスローに見えたが、アタシの体は金縛りにでもあったのか指一本も動かせなかった。
「あ……」
死んだ。
死んだと悟った。
もうアタシはここで終わりなんだ、そう確信した。
頭の中に色んな光景が流れ込んでくる。
知ってる思い出も、知らない思い出も。
楽しかった思い出も、大変だった思い出も、恥ずかしかった思い出も。
全部が全部ごちゃ混ぜになってアタシの脳内を埋め尽くし、視界が白く弾けると同時、アタシの意識はそこで途絶えた――
※※※
刃が一つの影を二つに断つ。
その一部始終を私はただ呆然と眺めることしか出来なかった。
しくじった。やってしまった。
取り返しのつかないことを仕出かした。
目の前の敵を排除することに集中し過ぎて、肝心のユリさんから目を逸らしてしまった。
焦燥の次に頭を支配したのは、後悔と憤怒、そして絶望だった。
「ユリ……さん…………」
ああ、何をやってるんだ私は。
守ると決めたのに。生かすと決めたのに。
今度こそ離れない、二人で一緒に生きると決めたのに。
一体何の為に私は、私は……。
「なんだコレは!?」
ユリさんを斬った忍者の叫びが聞こえ、私は俯いた顔を上げる。
すると、私の視界に斬られたユリさんの姿はなく、代わりに刃の喰い込んだ丸太と、それに目を丸くし懸命に刃を引き抜こうとする忍者の姿が映っていた。
アレは……変わり身!?
では、本物のユリさんはどこに……。
刹那、一つの影が突如として現れ、私の体と重なった。
空を見上げると、そこにはスカートを風に靡かせて空中を舞うユリさんの姿が。
「ちょこざいな! 紅菊、蒼桐、緑椿、奴を討ち取れ!」
丸太から刀を引き抜くのを諦め、忍者は私と戦闘中だった仲間達に指示を送った。
即時標的を私からユリさんに移し、三人の忍者はそれぞれ得物を手に跳躍。
一人は鎖鎌を投擲し、一人は鉤爪を構え、一人は忍刀を振り被る。
三方向から襲い掛かる凶器を前に、ユリさんは一切動じることなく、冷静に分銅を回避し、繋がれた鎖を掴んで持ち主へと投げ返した。
「ぐえっ……」
戻ってきた分銅が腹部に直撃し、紅菊と呼ばれたくノ一は民家の屋根へと落とされてしまう。
仲間の一人がやられたことに微塵も気を留めないまま、蒼桐と呼ばれた忍者は鉤爪を、緑椿と呼ばれた忍者は忍刀をユリさんに振るう。
しかし、それらはユリさんの体は疎か、制服にすら掠ることなく。その刃を華麗に避けたユリさんは二人の忍者の頭を掴み、互いの顔面を勢いよく打ち付けた。
「カハッ……」
「アガッ……」
共に白目を剥き、鼻から血を流す二人の忍者。
頭部に強烈なダメージを受けたことで気絶すると、二人はそのまま地面へと自由落下していった。
「ええい、使えん奴らめ……!」
すっかりノビている三人に額に青筋を立てる忍者は、未だ無傷のユリさん目掛け手裏剣やクナイを投擲。
私が撃ち落とそうと手にクナイを握ったその時、ユリさんは飛来する敵の武器を悉く華麗に避けていった。
身を反らし、空中を蹴り、まるで青空で舞い踊るかのように。
「あの動き……まるで前のユリさんみたい……」
計算したようにユリさんは敵の真上を陣取ると、重力に従ってそのまま落下。
忍者の頭を押さえ付け、押し倒すように馬乗りになった。
「クソッ、このっ……」
後頭部を強く打ち、ユリさんの掌の下で苦悶の表情を浮かべる忍者。
反撃を試み、懐から得物を取り出そうとしたその時、一片の紅い花びらが風に流れ、そして消えた。
しかしすぐに同じ物が一片、また一片と風に流れ、それらは彼女の体から舞い散るように現れる。
「……火?」
その花びらは火だった。
ユリさんという木を覆うように、少しずつ、少しずつ咲き誇る炎の花。
その熱は大気を焦がし、灼熱の炎はユリさんの全身を包み、同時に敵の体も呑み込んだ。
私はあの技を知っている。
自身の体温を極限まで高めることで皮脂を発火させ、全身に纏うことで敵を焼き尽くす。
その名も――、
「火遁〝焔咲き〟――でござる」
「え?」
気のせいだろうか?
今一瞬、前のユリさんの声が聞こえたような……。
※※※
焦げ臭い。
布と、土と、そして肉の焼けるような臭いが鼻腔を刺激してくる。
だけど美味しそうという感情はこれっぽっちも湧いてこなくて、ただただ吐き気を催す不快感しかなかった。
「――うえ!? ちょ、何コレ?」
目を開くと、何故か全身真っ黒になっている人間がアタシの下敷きになっていた。
慌てて離れると、指先がピクピクと動いているのが目に入ってくる。
「あの〜、大丈夫ですか〜?」
「う……うう……」
微かに声が聞こえる。
よかった、まだ生きてるみたい。
ってか一体何があったんだろう? この焦げてるのって、多分アタシに斬り掛かってきた人だよね?
なんだろう、あの瞬間からの記憶がすっぽりと抜け落ちたような……。
ってかアタシ、なんで生きてるんだろう。
そんでこの人はなんで真っ黒焦げになってるんだろう。
倒れた忍者の体から立ち上っている黒い煙が風に揺れる。
「さっっっぶ!」
なんだか風が異様に冷たい。
さっきまで炎の中に居るような暑さだったのに、今はまるで外で丸裸にされたような……。
「……って、マジでアタシすっぽんぽんじゃん!」
ちょっ、嘘でしょ?
なんでアタシ裸で外に居んの!?
制服は? パンツは? ブラは? アタシの服、一体どこに行っちゃったの!?
「ヤバいヤバいヤバい! こんなの人に見られたらシャレにならないって! こんな時はー……、ヘイ! 謎の光、カモーン!」
アタシの招集に応え、目が眩む程の白くて細い光が都合よくアタシの恥部という恥部を隠してくれる。
これならどの角度から見られても、アタシの恥ずかしい所は無事に……。
「って、これ円盤になったら消えちゃうヤツじゃん! ああんもう、どうしたらいいのー!」
アタシが頭を抱えながら悶えていると、突然空から降ってきたように淡い空色のシャツが肩に掛けられた。
「風邪、引いちゃいますよ」
「リリィちゃん?」
背後から優しい声と共に、全身を赤黒く染めたリリィちゃんが微笑んでくる。
このスクールシャツってやっぱりリリィちゃんのだったんだ。
襟のところから自然とフローラルな香りが漂ってくる。
だけど、リリィちゃんの体からはとてもその持ち主とは思えない程、鉄の臭いがプンプンしていた。
「ありがとう。でも、これって一体……」
「覚えていないのですか?」
「うん……」
リリィちゃんからの問いに、アタシは頷くことしか出来なかった。
目の前で真っ黒焦げになっている忍者と、その上で素っ裸になりながら馬乗りになっていたアタシ。
絵面的に大問題だけど、アタシはその状況からある程度察していた。
アタシがやったんだ。
アタシがこの人を倒したんだ。
アタシが知らない内に、アタシが眠っている内に、アタシはアタシを助け、アタシを襲ってきた忍者を倒した。
多分、それで正しいのだろう。
眠っている間に感じたあの炎の中に居るような暑さも、きっと関係あるに違いない。
「ということは、やはり記憶の方も……」
「ごめん、戻ってないや」
「そう、ですか……」
ガックシと肩を落とすリリィちゃん。
そんな姿に、アタシは心のどこかで一抹の安堵感を覚えていた。
いつものリリィちゃんだ。
一緒に登校して、ちょくちょく授業を邪魔してきて、一緒にお弁当を食べてた時と同じ……。
見慣れたリリィちゃんの姿が、そこには在った。
「ねえ、リリィちゃん。一個だけ訊いてもいい……?」
リリィちゃんが「なんでしょう?」と首を傾げている。
訊かなくちゃならない。
正直、もうほとんど確信しちゃっているけど。
それでも一応、確認しないといけない。
「アタシって、一体何者なの?」
聞かなければならない。
知らなければいけない。
アタシはまだ何も知らない。何も覚えていない。
だからアタシは彼女に訊ねた。
思い当たる点ならいくつかある。
『皆の名前呼ぶ時、〜殿って言ってたよね』
『語尾にござるって付けてたー』
『あーあと、『壁を走っていた』とか『天井に張り付いていた』なんて言ってる子も居たけど、まあ嘘で間違いないっしょ』
『絶対自分のこと『拙者』って呼んでる奴じゃん』
『正解です。よく一人称まで分かりましたね』
『金百合様、お願いです。その者を……、黒百合をどうか我々にお引き渡し下さい』
『お断りします。ユリさんはもう自分を失くしている……。つまり、もう無関係の存在なんです』
『無関係? そんな筈が無いでしょう。里を抜けた者は悉く死罪。そこに如何なる理由があろうと、例外は存在しません』
多分、きっとそうなんだろう。
アタシの正体。前のアタシの正体。
それは……。
「ユリさんは私の恋人ですよ。そして同じ、『彩隠れの里』出身のくノ一です」