61.相場の十倍
ルーカスの表情に変化はない。
けれど、リリアナの頭を撫でる手は優しかった。
「幸い、まだこの騒ぎは王都内にとどまっている。ほかの地域に広がる前に片づけたほうがいいだろう。問題はどうやって『聖女の雫』を売りさばいている者たちを見つけるかだ」
「そんな奴ら、片っ端から捕まえていけばいいのでは?」
エリオットが当たり前のように言った。
十六歳らしい率直な意見である。彼は回りくどいことを嫌う性格なのだろう。
「それは現実的ではない」
ルーカスの冷静な意見にリリアナも頷いた。
しらみつぶしに探して捕まえていては、時間が足りない。
それに、商人たちは大きな耳を持っている場合が多い。全員捕まえる前に噂を聞きつけた耳のいい商人は王都から離れるだろう。
エリオットは不服そうに顔を歪めた。
「速やかに『聖女の雫』を持っているすべての人間を集め、処理する必要がある」
(処理って……。そうなんだけど、言葉選びが物騒……!)
無表情で言うものだから、更に不気味さが増す。
魔王よりも魔王らしい言動だとリリアナは思った。
(まあ、ロフのニコニコ顔で言われてもこわいけど)
リリアナの周りには魔王のような男たちしかいないのではないか。
ルーカスもエリオットも、そしてロフも敵には回したくない。
リリアナはルーカスを見上げた。彼は前世では兄であり、今世の父だ。リリアナが彼を裏切らない限りは敵になることはないだろう。
心底、味方でよかったと思う。
「どうした? リリアナ」
「な、なんでもない」
心の中を見透かされたのかと思って、リリアナは慌てて頭を横に振った。
「何か案があるなら、気兼ねなく言いなさい。おまえもこの計画の一員なのだから」
(あ、今は『聖女の雫』の話をしているんだった)
リリアナは愛想笑いを浮かべる。
ルーカスやエリオットを魔王と比べていたなどと、バレたら家族とはいえ怒られそうだ。
「えっと……。よくわらかないけど~」
リリアナは子どもらしく無邪気に笑う。
「全部買っちゃえばいいんじゃないかな!」
「買う?」
「うん。誰よりも高く買うって言えば、みんな売りたいでしょ?」
◇
三人が計画を立てた六日後、ロフとリリアナは部屋の窓から屋敷の前に集まった大勢の人を見下ろした。
「計画通り集まったようで何よりです」
「まさかここまでうまくいくとは思わなかったけどね」
リリアナはあははと乾いた笑いを見せる。
五日前――ルーカスたちと計画を立てた次の日、ルーカスはリリアナの案をもとに「グランツ聖公爵家が『聖女の雫』を集めており、高値で買い取っている」という噂を王都中に流した。
その金額は、市場のおよそ十倍。
「市場の二倍くらいの金額で集めようとしたら、十倍で募集するだもん。びっくりしたよ」
ルーカスの決定に驚いたリリアナだったが、千個や二千個、いや、一万個集まってもグランツ家ではなんの痛手でもないらしい。
資産は前世のころとは比べものにならないほど増えたようだ。
市場の十倍。それは、グランツ家の資産からすれば、大したことのない金額であったが市民ならば十年、いやそれ以上の期間家族で暮らしていけるだけの値段である。
噂を流した数日後には、王都で商いをしている商人たちがグランツ家に列をなしたのは言うまでもない。
一人一人を相手にするのは面倒だと言って、ルーカスは噂を流してから五日後の今日、売りたいと申し出てきた者たちをグランツ家に集めた。
「結構多いね」
リリアナは部屋の窓から集まった者たちを見下ろす。
大きな箱を抱えた商人たち。たった一つの瓶を大事そうに抱え一般市民。彼らの顔には期待がにじみ出ていた。
手に持っている『聖女の雫』が売れれば、当分のあいだは遊んで暮らせるのだ。期待に胸が膨らむのも仕方のないこと。
「すべて偽物でしょうか?」
ロフはリリアナの隣で窓を覗くと、興味深げに呟いた。
「ん~、どうかな。ここからじゃわからない」
前世で作った『聖女の雫』は元々、ただの水に聖女の癒しの力を封じ込めもの。手に持てばそれがただの水か、『聖女の雫』かはすぐわかる。しかし、瓶一つ一つに込めた癒しの力は大きなものではないため、距離があると感じとることは難しいのだ。
「前世では『聖女の雫』をいくらで売っていらしたのですか?」
「ん? 売ってないよ。配ってただけ」
前世は一人でも救うことに必死だった。『聖女の雫』は金儲けのための道具でもない。一人一人の治療だと手が回らなかったため、苦肉の策で作ったものだ。
直接治療するよりも効果がでるのは遅かったが、少しずつ『穢れ』を消し去ってくれる。『聖女の雫』を作ったことで、聖女が救える命の量が増えたのは確かだった。
「では、ただで手に入れた物で商売をしているということですか」
「そういえばそうだね」
リリアナは苦笑をもらす。
「どちらにせよ今日、私の名前を使って商売した奴ら全員、後悔させてやるんだから!」




