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13.ルーカス・グランツ

 ルーカス・グランツがグランツ聖公爵邸に久しぶりに戻ったのはリリアナが廊下に寝始めて四日目の深夜だった。静かに迎えに出た使用人ににこりとも笑わず、ねぎらいの言葉もかけない。それはいつものことだった。


 いつものように上着を執事に預け、真っ直ぐ二階へと上がる。


 ある部屋の扉に手をかけようとしたとき、侍女が眉を下げていかにも申し訳なさそうに声を変えた。


「旦那様、本日お嬢様はそちらには……」


 はっきりしない物言いにも、ルーカスは眉一つ動かさない。百聞は一見にしかずというではないか。彼は扉を静かに開けた。


 人の気配のない部屋を真っ直ぐ歩く。いつもなら、小さな命の鼓動が聞こえるのだ。まるで、その部屋が死んだかのような感覚に、早足になった。


 ベッドの脇まであるくと、そこには布団一つない。枕すらなかった。


「どこに?」


 ルーカスは低い声で聞いた。侍女は怯えるばかりで言葉を紡げない様子だ。ただ、視線だけは伝えたい方向を示す。その視線の方向に向かって歩いた。


 早足になっている気はなかったが少しばかり早かったようだ。侍女が駆けるように小走りで追ってくる。


 ルーカスは寝室の前でピタリと止まった。


 白い布団が丸くなっているからだ。しかし、その布団の山が小さく上下するのが見えて合点がいった。


 この中に五才になったばかりの娘がいるのだろう。


「お嬢様がこちらでお待ちになると……」


 侍女は震える声で言った。五つにもなれば、自我も確立する。一度も顔を合わせない父親に興味を抱いてもおかしくはなかった。


 ルーカスは布団を一枚捲る。淡い茶の髪が見えた。


 愛おしい妻とよく似た色の髪だ。妻にうり二つなエメラルドグリーンの瞳は固く閉じられていて見ることはできない。顔形や癖のあるところは聖女となった妹によく似ている。


 どちらも五年前に失った大切な家族だ。


 その二人の面影を残した娘をただ、見下ろした。この顔をずっとみていると、五年前のことをまざまざと思い出すのだ。


 両親が亡くなったときですら、どうにか受け入れることができたというのに、妻と妹の死だけは五年経っても理解することができない。


 ルーカスは捲った布団を元に戻すと、踵を返した。睡眠を取るために屋敷に戻ってきたわけではない。寝室に入らなくても用は済ませられるのだ。


 寝室の横向かいにある執務室の扉を開いた。父親が亡くなったあと受け継いだ部屋だ。壁一面の本棚は父が好きで集めた蔵書の一部。懐かしんで読んでいたことあった。今はずっと埃を被っている。


 机の上には七日分の手紙が置かれている。妻のいないこの屋敷は、手紙の処理もされない。手紙の仕分けは妻の仕事だった。一通一通目を通し、ルーカスが読まなければならない手紙だけがこの机の上に置いてあったものだ。


 今は届いた手紙が全て置かれている。山になった手紙の大半は再婚を勧めるものだ。聖女の実家というだけで、グランツ家は聖公爵という爵位を頂いた。


 公爵という爵位を持つ家は五つ。家系図を辿れば王族の血筋の者だ。それと差別する意味も込めての聖公爵なのだろう。聖女という特別な存在を示す意味もあったのかもしれない。


 魔王の穢れによって主を失った領土をもらい受け、グランツ家は潤った。しかし、ルーカス・グランツの心は渇いた砂漠のようであった。


 どんな見合い話も心が踊るわけがない。返事も書かずに捨てる。最初は律儀に破って怒りを表していたのだが、それすらもしなくなった。


 残った手紙は王宮からの召集状だ。


 聖女の追悼の式典を行う旨が記してあった。ルーカスは奥歯を噛みしめる。妹が守った世界は平和になった。しかし、彼女は何者かによって殺されてしまったのだ。


 大切な妹はたった二十五年でこの世を去った。


 世界のために全てを捨て、一人で戦ったというのに神は慈悲の心すらないのだ。その日から信じる神などなくなった。皆が手を合わせ祈る像がただの空っぽの入れ物のようにしか見えない。


 妹の亡骸は王宮が埋葬してしまった。グランツ家の娘なのだから、グランツ家で埋葬したいと何度もかけあったが、王は首を横に振るばかりだ。別れすらさせてもらえず、ルーカスに与えられたのは、彼女の一房の髪だけった。


 グランツ家の敷地に建てた墓は空だ。妹が眠っているわけではない。そこに手を合わせても、誰もいないのだ。


 妹に手向けの言葉をやれるのは、年に一度行われる追悼の式典だけだった。


 召集状を内ポケットにしまうと、執務室を後にする。


 廊下には侍女がただ、床を見つめながら待っていた。置物だと思えば、なんてことはない。新しく雇った使用人たちはルーカスを怖がり、目を合わせようともしないのだから。


 いまだ寝室の扉の前では丸まった布団が小さく上下する。


「毎日こうなのか?」


 侍女に声をかけると、彼女の肩が大きく跳ねた。口からは「ひっ」とも「へっ」とも聞こえる小さく高い声が漏れる。


「よ、四日程前からです。だ、だ、旦那様に……」


「お会いしたいと」という言葉は殆ど口の中に消えていった。


 もう一度、布団の山に目をやる。


 年を追うごとに妹と妻に似てくる。あと五年もすれば、妻の色を持ち聖女とうり二つの少女ができあがるだろう。


 その姿を見て耐えられるだろうか。


 ただ、妻の形見のブレスレットに問う。


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