(3)聖女のためのキーマカレー
「おうおう! あるじゃんか」
俺はキッチンの戸棚をバカスカ開けまくり、トマト缶とカレー粉を発掘した。
店を畳む時に引き上げたものの中にあった気がする、という俺の思い出し力グッジョブ。これだけあれば、キーマカレーを作ることができる。
まずは、冷凍ミンチを電子レンジで解凍。並行して、玉ねぎとナスをみじん切りに。
そして、少し深めのフライパンでニンニクとショウガを炒め、香りが立ってきたタイミングで肉と野菜を投入。
「うわ……、これだけでも飯食えるわ」
食欲を刺激する香りに、思わず独り言が漏れ出てくる。
この高揚感は久々だ。
味付けはどうしよう。もっと美味くする工夫はないか。早く相手の喜ぶ顔が見たい。
(……くそっ。楽しいなぁ、おい)
フライパンの中で、缶から移したホールトマトを崩しながら思う。
もう二度と、料理を楽しいと思う日など来ないと思っていたのに。まさか、異世界から押しかけてきた聖女に作る飯で、こんなにワクワクするなんて。
「……レンジ。手伝って差し上げてもいいんですのよ。カレーを作っているのでしょう?」
俺が夢中になってフライパンを見つめていると、ルージェリアがロンTの裾をきゅっと摘みながら、声をかけてきた。
もうテレビには飽きたのか、それともこの食欲をそそる香りに抗えずにやって来たのか。どちらでもかまわないが、せっかくので手伝ってもらおうと、俺は冷蔵庫を顎で指した。
「冷凍庫にご飯玉入ってるから、レンジであっためてくれるか」
「冷凍庫? この白い箱が冷凍庫ですの? 転移装置ではなくって? ご飯玉って、アイテム名ですの? スキルと関係あります? あとレンジって、貴方のことですわよね?」
「いや、違うって。それは冷蔵庫で、その内の1スペースが冷凍庫。【米召喚】のスキルは日本じゃ使えねぇし、レンジは俺のことじゃなくて――」
混乱した様子のルージェリアを見ていると、異世界転移したばかりの頃の自分を思い出さずにはいられなかった。何につけても、「ナンダソレ」状態で、周り全てが見たことがない物なのだ。
「二年前と立場が逆ってのは、なんだか新鮮だな」
「わたくしが貴方にものを教わるなんて、屈辱の極みですわ」
「お前なぁ。もうちょい謙虚にならねぇと、そのうち友達いなくなるぞ」
「わたくしの友人は、キースとアイザックとフィルだけで十分ですわ」
「おい、俺は?」
お得意のツンツン顔のルージェリア。俺はやれやれと肩をすくめるが、不快な気分ではない。むしろ、このような遣り取りが懐かしくて仕方がない。だから、ルージェリアに手伝ってもらって、余計に手間が増えていても、酷い嫌味を言われていても、まったく気にならなかった。
(ルージェリアが変わってなくてよかった)
そう思いながらご飯を深皿に盛り、熱々のルゥを上からかける。
具材がいっぱいの見た目、スパイシーな香りが、食欲を刺激してきてたまらない。控えめに言って、旨そうすぎる。
「なんか、久々に腹減ったわ。しばらく食欲なかったからさ。さ、食おうぜ」
俺はいそいそと皿とスプーンをローテーブルに運び、さっそく食べようとしたのだが――。
「れ、レンジ……! これをトッピングしなさい!」
ルージェリアが異世界の収納アイテム――万能ポーチからそっと取り出したのは、彼女の髪と同じ薄紫色の小さな花だった。
「ピーチェの花……?」
お目にかるのは久々だが、もちろん覚えていた。それは、俺が始めてルージェリアに作ったキーマカレーにピクルスにして添えていた食用花だった。
「これが美味しいことを、わたくしちゃんと覚えてますのよ。だから、わざわざ買ってきて……」
顔を赤くして、恥じらいがちにピーチェの花を押し付けてくるルージェリア。彼女の意地っ張りで見栄っ張りで不器用なところが、なんだか子どもっぽく、可愛らしく思える。
なんだ、やっぱり最初からキーマカレーが食べたかったんじゃねぇかと、俺は思わず笑ってしまった。
「綺麗な色してるよな、その花。今からじゃ、ピクルスにするのは間に合わねぇし、カレーに散らすか」
「かまいませんわ。レンジの美的センスを信用して差し上げます」
「へいへい。光栄でございますよ」
やれやれと肩をすくめるながら、ピーチェの花びらを卵の黄身の周りにパラパラと散らす。まるで、皿の上に大輪のピーチェの花が咲いたかのような出来栄えに、俺の胸はワクワクと飛び跳ねた。
「あー、腹減った! 食うぞ、ルージェリア!」
「待ちたびれましたわ!」
スプーンを片手に、2人でローテーブルに滑り込むようにして床に座り、ぱちんっと両手を合わせ――。
「いただきます!」
「いただきますわ!」
名付けて、【聖女のためのキーマカレー改】。だが、そんな料理名を発表する暇もなく、俺とルージェリアは銀色のスプーンでキーマカレーを口に運んでいた。
玉ねぎの甘さと辛めのカレー粉のバランスが絶妙。思っていたよりもニンニクの存在感があって、全体的にパンチが効いている。ナスの食感もいい感じに残っているし、肉はジューシーだ。
「美味しい……」
スプーンを持つ手を止めて呟いたのは、俺ではなくルージェリアだった。
それほど辛くはないはずだが、綺麗な碧眼が涙でうるうると潤んでいて、俺は思わずドキリとさせられてしまう。
「そっか……。よかった。人に料理作るのって、久しぶりでさ。あんま自信なかったんだけど」
嬉しくて、照れくさくて、俺はにやついてしまうのを隠すように、手のひらで口元を覆った。
出店で失敗して以来、否定されることが怖くて、誰かに料理を振る舞うことがなくなっていた。
もう二度と料理人だなどと名乗ってはいけない。異世界での料理の日々は、幻だったんだと自分に言い聞かせてきた。けれど、俺は――。
「料理が好きなんだ……。『美味しい』って、喜んでもらいたいんだよ」
たくさんの人じゃなくてもいい。ほんの少しの大切な人たちに笑顔になってもらえたら、俺はそれで満足なんだ。
いつの間にか、俺もルージェリアと同じように涙で目が潤んでいた。
大好きな異世界の仲間たちに会いたい。またみんなに、俺の作った料理を食べてもらいたい。そんな想いが胸の内からあふれ出してきて止まらない。
「ルージェリア。俺も異世界に連れて帰ってくれないか……? そしたら、またみんなで旨い飯を――」
「その必要はありませんわ!」
ルージェリア、一刀両断。
感傷的になっていた俺の涙を吹き飛ばす堂々たる返事に、俺の目はついテンになってしまった。
「えっ。でもお前、俺の飯が食いたくて来たんじゃ? なら、一緒に連れてってくれてもいいんじゃね? 異世界で、リスタートさせてくれよ!」
「甘ったれないでくださいまし! レンジはレンジの現実を生きなさい! サラリーマンというジョブを全うし、レベルを上げるのですわ。もう貴方は、ルミナス王国での役割を終えたのですから、次は日本での役割を果たすのですわ」
「今まで通り、社蓄を頑張れってことかよ。せっかく、料理に再燃しかけたってのに……」
俺はガックリと肩を落とし、重たいため息を吐き出した。
すると、ルージェリアが「そう来ると思っていました」と言わんばかりに目を輝かせる。
「刺激のない奴隷のような生活を送っているレンジのために、このわたくしが日本に通って差し上げますわ! そして、貴方はわたくしに料理を振る舞えばよいのです! 思う存分、料理なさい」
漫画やアニメだったら、「ドーンッ!」という交換音が付きそうな自信満々な態度で、ルージェリアは声高らかに叫んだ。
奴隷のような生活とはなんだ! お前に料理を振る舞うってなんだ!
そう言い返したかったが、反論をすべて封じてしまうような勢いに圧倒され、俺は「は……?」と間の抜けた反応しか取ることができなかった。
「そうですわね。まずは週に一回から始めましょう。わたくしも暇ではありませんし。来週の同じ時間に参りますから、きちんと帰宅して、食事の準備を進めておいてくださる? あと、甘いデザートもほしいですわね」
「おいおい。おいおいおいおい……! 勝手に話進めんな!」
「いけませんわ。そろそろ帰らなければ、司祭連中にバレてしまいます。では、ごきげんよう」
残っていたキーマカレーをサラサラっとさらえてしまうと、ルージェリアを満足そうな顔で立ち上がった。
そして綺麗な碧眼が戸惑う俺を見つめ、嬉しそうに細められる。
「レンジがレンジに戻って、よかったですわ」
「え……?」
ルージェリアはそう言い残すと、凶器のようなヒールのついたブーツを抱え、窮屈そうに「よいしょっ」と、冷蔵庫に入っていくではないか。
「えっ? えっ? 人ん家の冷蔵庫に入るんじゃねぇよ! はぁぁぁっ?」
元々癖の強い奴だが、ついに気が狂ったのかと、俺は慌ててルージェリアに駆け寄ろうとした。というか、普通に不衛生なので、冷蔵庫に入るのはやめてほしい。
ところが、俺が近づくと、冷蔵庫が神々しい光を放ち――。次の瞬間、ルージェリアの姿は消え去り、冷蔵庫の中はいつも通りの食材が皆無の寂しい景色となっていた。
「すっげぇ。冷蔵庫で異世界転移かよ……」
今からでも、俺も追いかけることはできないだろうか……と、何度か冷蔵庫のドアを開け閉めしてみる。だが、いっこうに異世界に繋がる気配はない。
(やっぱ、ルージェリアってすげぇ聖女だったんだな。あいつ、ホントにまた来んのかな。もし来たら、その時に異世界転移の方法を聞き出して――)
異世界再転移でリスタートを諦め切れない俺は、不本意ながら、高飛車な聖女がまたウチにやって来るのを待つことにしたのだった。
「来週、何作ろっかな」