失効
窓から身を乗り出すと、そこにはサルのズボンに縋り付いて泣いているアソールの姿があった。
ホッとした、心底安堵したと言わざるをえない。俺に背を見せて去って行ったブレアの姿は未だ再びこの瞳に写ってはいない。アソールもそうなってしまう未来が一分もよぎらぬのは無理というもの。
「アソール、無事だったか。よくここがわかったな」
俺は城の外へ出て、落ち着きを取り戻した様子の彼女に声をかけた。
「なんとかね!それよりショウさん、大事な話があるの!お姉ちゃんが近くにいるよっ」溌剌とした表情だ。
「本当か!?何か新しい情報でも掴んだのか?」
「うん!えっとね──────」
それからアソールはここへ辿り着く道程で立ち寄ったというエディンビアで見聞したことを説明してくれた。
「なるほど、盗賊団の連中が言ってたことと一致する。その人はブレアの行先について何か言ってなかったか?」
「南へ行くって言ってたみたい」
「やはり南へ向かってるか……一体南に何があるっていうんだ」
アソールの話では、ブレアは人助けをする為に盗賊団に立ち向かったらしかった。
観光客が脅し取られた荷物を取り返すためにブレアが力を貸したのだ。結果、それに業を煮やした盗賊連中がブレアを探して報復を企てたというのが話の筋と見ていいだろう。
俺は嫌味を言われる覚悟でまたぞろキャメロンを呼び出した。盗賊団の身柄を護送してもらうためだ。
ところが意外にもキャメロンは『よくやった』と俺達を褒めてくれた。ハイランド南部の治安維持に一役買ったということが理由で、これで俺に任務と自由を与えたことの有用性を反対派閥に示すことが出来ると息巻いていた。彼女には本当に頭が下がる思いだ。
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四名はキャメロンと共に一度王都へ帰ってきた。
俺には今回の件の報告書を作成することと、聴き取りを受けることが課せられていたからだ。
歯噛みしていると言わざるを得ない。生きた情報を入手することが出来たのだから、それが有効性を保つうちに捜査を進めたいと思うのはごく当たり前のこと。
そんなことに一晩を費やし、次の回収作業が言い渡される前に、もう一度ハイランド南部へ向かうと息巻いて眠りについた翌朝、風雲急を告げる報が飛び込んできた。
「起きろ」肩を揺らされて俺は眠りを妨げられた。
「────なんだよ……こんな朝早くからどういうつもりだ」いつもの如く突然部屋に姿を現したキャメロンに俺は目を擦りながら訊ねた。
「風向きが変わった。キャンベルのターミナルで救出された六名の転移魔法官を覚えているか?」
「あ、ああ、もちろん覚えている。顔や名前までは覚えてないが」
ターミナル内で息絶えていた所を、俺が時魔法によって巻き戻した連中のことだ。
「そのうち一名は事件直後に無断で転移を行い、行方不明になってしまっている。そしてもう一名の刻印柱は貴様が西海岸で回収してアトデに持ち込んだ後、持ち主の手に渡り正常に失効処理が行われた。残りの四つを擁する転移魔法官は政府の管理下に置かれて別々の場所で保護観察されていたのだが、その四人が今朝になって示し合わせたかのように全員同じことを供述し始めたのだ」とキャメロンは語った。
「同じこと?勿体つけるなよ」
「刻印柱が失効した、とな」
やれやれ。起き抜けにそんな難しいことを言われても頭が回るわけないじゃないか。少し噛み砕いて考える必要があるぞ。
まず刻印柱が失効したということは、術者はその刻印柱に転移することが出来なくなったということを意味する。
そして転移魔法官は仕事柄、二点間を往来するために必要な一対の刻印柱を持っている。
キャンベルの事件で生き残った転移魔法官四名に関して言えば、一方の刻印柱は現在ロイグに盗み出されていて、残ったもう一方の刻印柱は悪用を防ぐため政府に即日失効させられたと聞く。つまり─────
「ロイグが盗んで行った刻印柱が全て無効化されたってことか!?どうしてそんなことがわかる?」
「転移魔法官は自分の魔法力が込められた刻印柱が破壊されたり失効した場合、魔法力の繋がりが断ち切れたことを感知出来る。それが四人同時に起きたのだ」とキャメロンは補足した。
「つまり、ロイグは転移魔法を失った……?どうしてだ?」
「わからん、しかしこれで奴らも神出鬼没という訳にはいくまい。我々にとっては大きな追い風だ」
「それなら転移網の復旧も─────いや、駄目か」
転移網が機能停止に追い込まれたのは、ロイグがトラッド中に配置された転移魔法官を標的として魔法力吸引をした場合、またキャンベルの時のような、内側から市井が壊されるリスクが生まれるからだ。
「そうとも言いきれん。希望的観測ではあるが、四つの刻印柱が同時に失効した理由が、ロイグという男性怪人の死によるものならば、転移網は復旧することが可能になるだろう」とキャメロンは話した。
ロイグが居なくなれば転移による不意打ちのリスクも消えるという根本的解決法である。
「けれど、そんな都合のいい展開があるか?」
「あくまで可能性、という話だ。私もそこまで楽観視してはいない。もちろん政府もな」
ロイグとボウモアの目的は未だわからない。しかし、何かが動き出していることは確かだ。
─────その時、不意に部屋の扉をノックする音が響いた。
「研究所の者です、カラノモリ様はいらっしゃいますでしょうか」と知らない男の声がドア越しに聞こえる。
「はい、入っていただいて大丈夫ですよ」と俺は丁寧に対応した。
扉が開き、正面に立っていたのは白衣を着た太っている男だった。
「あっ!キャメロン様、やはりこちらでしたかっ!ちょうどカラノモリ様にキャメロン様をお見かけしていないかお訊ねしようと思っていたのです!」と言って男は胸の辺りで掌を合わせた。
「む。私に何か用か?」とキャメロン。
「回収したシーズの件でわかったことがございまして……」
「そうか、わかった。取り込み中だから今すぐとはいかんが、じきそちらへ向かおう」
「はい、お願いします」男は踵を返してその場を後にした。