陽向者
空中を浮遊する原酒が内包された樽。いよいよその尊い凝縮液が葡萄酒熟成を終えた樽へと注がれる時が来た。
コットペルで初めて蒸留・熟成を行った時の反省点を踏まえ、サルの彫金魔法で金属製の箍を樽に装着し、樽の蓋は締められ、そして時を加速させる魔法は熟成樽を八年後の姿へと変える。
開栓された樽からカリラの魔法によって球状を保ったウイスキーが出てきて宙を漂う。
特筆すべきはその色だった。琥珀色と言うよりは、やや焦げ茶に近い濃い着色。樽そのものから染み出すリグニンやタンニンの成分、それと後天的に樽に染み込んでいた葡萄酒由来の色素が織り成した色。陽光に透かされたそれは赤褐色に透き通るルビーのようだった。
ダルモア卿にはやはりこれもかなり好評だった。クレインズのウイスキーを一度味わわせておいたことが、より葡萄酒樽熟成での変化を理解しやすくしたのだと思われる。
もちろん俺も味見してみたのだが、とんでもなく美味いと思った。
コットペルで俺たちが作ったクレインズに使用している"フェニス"という木材は、新樽を焼き焦がしたこともあり、荒々しい個性をウイスキーに与えていた。具体的にはバニラやキャラメルのような甘ったるい風味だ。
そして今回、ハイランド産の木材を使った葡萄酒樽で熟成したウイスキーは、レーズンやドライフルーツのようなスッキリとした甘みと、ビターチョコレートに似たほろ苦さを含んだ甘みが調和する酒に仕上がっていた。
加水されたウイスキーを口に運び「あたしこれめっちゃ好きかも!」と目を輝かせたのはアソールだった。
ダルモア卿は余程感動したのか、なにやら先程から一人でぶつぶつ言っている。
「ふむ、これはどちらかと言えば女性的な味わいじゃな。飲み疲れせん」と評したのはカリラ。
表情を見る限り、サルにはそこまで響いていないみたいだった。こいつのクリティカルヒットポイントは一体どこにあるのか、いつか必ず突き止めてやる。
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正式にダルモアに後方支援して貰えることが決定してから、何度か打ち合わせを交え、やがて俺は王都という籠から条件付きの外出を許された。
ダルモアが政府に対して進言した大義名分は"回収任務"だった。このところハイランド南部で怪人の仕業と見られる痕跡として、シーズの死骸がいくつも見つかっているらしかった。致命的な外傷は見られず、いずれも原動力であるところの魔法力を引き抜かれて息絶えていたところを発見されている。
それらの死骸を政府お抱えの研究者が研究材として活用するために俺が現地へ出向き、キャメロンの追放魔法によって俺ごと即時回収するという手筈だ。
しかしそれらは表向きの理由で、ダルモアの利己的な目的としてはハイランド各地にある醸造所から様々な種類の葡萄酒樽を俺に回収させることにあった。転移網が凍結されてしまった今、ダルモアであっても各地から希望の品を取り寄せるのは難しいようで、これによってウイスキーの原酒バリエーションを増やすつもりらしい。
ただし、政府側が提示してきた条件もあった。
「────おーい、こっちッスよ~」
焦げ茶色の髪の若い男が椅子に座りながら上体を捻って振り返り、こちらを向いて手をひらひらさせている。
俺が厠から席に戻ると、既に注文しておいた料理が配膳されていた。
「ショウくん、このチーズまじで美味いッスよ」男は対面に座る俺の皿をフォークで指し示して食べかすだらけの歯でにっこり笑った。
この男はドロナックという。キャメロンと同じ国選魔導士で、政府は俺を籠から解き放つ条件としてこの男の随伴を要求したのだ。ローモンド湖捜索におけるウィニーと同じような監視を含んだ司令だろう。
ドロナックは俺よりも少し背が低く、話し方もどこか子供のように無邪気な印象があった。
「あ!お姉さんお姉さん」口の中の物を飲み込んでドロナックはウエイトレスの女性に声を掛けた。
「はい、追加注文ですか?」と女性は対応。
「いや違うんス、可愛いな~と思ってつい。今日のお仕事は何時頃終わるッスか?もしよかったら一杯どうッス?」
「え、いや、困ります」と女性は辺りを見回して頬を染めた。
そしてこいつは超がつく程の女好きだ。この街の女性に声をかけるのはこれで三人目。目の前の女がまんざらでもなさそうな顔をしているのに少しだけ腹が立つ。
「あーっ、待って待ってもうちょっとだけ……」女性が奥に引っ込むのと立ち代りで出てきた太った男店主の顔色を見て彼は閉口した。
「すみません」睨みを効かせる店主に俺は謝罪した。
「すみませんッス……つい、へへへ」ドロナックは茶目っぽく片目を瞑った。
顔もまあまあ良いし、無邪気なせいか嫌味な感じがしない。きっとこいつはこうして手当たり次第に気に入った女性に声をかけ続ければ、ある時成就するということを成功体験として知っているのだろう。俺もそんな風に生きてみたかったと素直に思う。自分自身を日陰者と表すなら、ドロナックは陽向者とでも言うべきだろうか。
「さーてと、午後も頑張っていきますかッ!」料理を平らげたドロナックはスッと立ち上がった。
「死骸の位置は捕捉済みだからそんなに急がなくても」
「何言ってんスか、竜人のお姉さんのこと聞いて回るに決まってるじゃないスか!男が女に逢いに行く……ロマンスッス。たまんないッスねえ~~」ドロナックは拳を顎の下で握りしめた。
「そんな格好のいいもんじゃないよ」
回収任務はこれで五度目だが、この男は最初からこんな調子で、任務ではなく俺の目的の方に強く共感してこの役目に自ら手を挙げたらしい。
シーズの死骸はハイランド南部で数日にひとつのペースで見つかっている。それを捕捉してはキャメロンに俺達の身体ごと回収して貰うのだが、現地での余剰時間でドロナックに力を貸してもらい、ブレアのことについて街頭で聞き取り調査をおこなってきた。これといった手掛かりは見つかっていなかったのだが、それも今日までの話。
俺とドロナックはこの日、フォールドカークという街を訪れて居たのだが、偶然にも露天商から興味深い話を聞くことが出来た。その男は短い距離を往来する行商人で、鋳鉄が盛んなフォールドカークでは魚の加工食品を、漁業が盛んなエディンビアでは鉄製品を販売し、二点間を数日周期で行き来するらしかった。
彼の話ではフォールドカークからエディンビアの道行、街道沿いでぼろ布に身を隠した女を見つけ、見かねて馬車の荷台に乗せたと話してくれた。美しい蒼みがかった髪をしていたそうだ。
これを聞いた時はとにかく嬉しかった。索敵魔法の反応が消えてしまったことを聞かされてから、考えぬように心の隅に追いやっていた懸念と初めて正面から向き合ってそれを抑え込んだ。きっとブレアに違いない、そう思った。