フッキング
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艶のある木製の丸テーブル、そしてそれと同じ木目調の椅子が六つ。広々とした会場にはこのセットが合計九つ用意されている。
頭上を見上げれば四隅と中央の支柱に支えられた巨大な傘が直射日光と降雨を遮っている。前後左右へ目をやれば、美しい広葉樹の新緑によって外界からは隔てられていている。開放的であり、隠れ家的でもあるこの場所で酒を酌み交わす者たちにはきっと特別な時間が与えられるだろう。
この広場はダルモア家私有地の一画にある。ダルモア卿が国の要人や取り巻きの貴族を招いて葡萄酒を振る舞う際に使っているらしい。
─────しかしながら本日の使途は毛色が少しばかり違った。
寸分の狂いもない等間隔でテーブルの上に陳列された深緑色のボトル達、そしておもてなしのために集められたダルモア家お抱えの給仕達、おそらくここまではパーティの時と同じだろう。だが今日の客は大罪人・前科者・竜人の娘・自警団員と色物ばかりだ。
「ようこそおいでくださいました」黒を基調としたフォーマルな服装をした八名の少年少女が揃ってこちらへ深々とお辞儀をして出迎えてくれた。
もちろんそこにはダルモア卿も同席していて、彼のすぐ側のテーブルには空き樽が置かれていた。
「存外に早かったな。この者たちがお前と共にウイスキーを創った功労者か。私はダルモアだ、宜しく頼むよ」と彼は挨拶した。
「ダルモア卿、何もこんなに人手を割かなくても……」
「いやいや、せっかく出来たてのウイスキーを振舞ってくれるというのに、こちらから何も差し出さんではきまりが悪い。うちの醸造所の葡萄酒を是非味わっていってくれ」
「そうですか、ではご厚意に甘えさせていただきます。ですがその前にひとつ余興をお見せしたい」と俺は申し出た。
「ほう!」ダルモアは興味深そうに口角を上げた。
これはたった今思いついた余興だった。この場は俺たちの有用性をアピールするために設けられた機会。手離したくない、御破算にしたくないと相手に思わせねばならない。
「ダルモア卿は最大でどれくらい寝かせた葡萄酒をお飲みになられたことがありますか?」
「二十年ほどだと記憶している。まあそのようなものは管理が困難でそうそう手に入らないがな」とダルモア。
「なるほど。大変差し出がましい申し出ですが、そこの葡萄酒を一本我々に委ねていただくことはできますか?」
「無論、飲ませるために用意したのだからかまわんが?」
「そうですか、では失礼して」俺は並べられているボトルの所までつかつかと歩いていき、端の一本を手に取ってサル達のもとへ戻った。
「カリラさんお願いします」
「ふむ、ほれ」カリラが手をかざすとボトルはふわふわと宙に留まった。
「念動魔力か!」ダルモアは目を見開いた。
「─────これからこの葡萄酒を四十年熟成させます」
葡萄酒、つまりワインのことに関して俺は殆ど知識を持ち合わせていないが、ボトリングされる前に木樽で一、二年熟成され、その後ボトルの中でも還元的熟成が行われるということは知っている。ワインセラーで何十年も寝かせたワインが高額で取引されるのはそのためだ。
「サル、この瓶をきっちり金属の膜で覆うことは出来るか?」
「そりャ出来るが、いいのかァ?」とサルは首を傾げた。
そういえばウイスキーを樽熟成する際に同じようなことをサルが提案していたっけ。
樽熟成は樽の呼吸を伴う緩やかな酸化だが、ワインのボトリングされてからの熟成は殆どワインそのものだけで進行する。
「ああ、ウイスキーとは違うからな。コルク栓付近に幾つか小さな通気孔を開けておいてくれるだけでいい」
「ほォ……ほらよ」
流動性を持ったアコタイトがサルの鞄から飛び出し、クランチをコーティングするチョコレートのようにボトルを包み込んだ。
「アクセラ!」
加速の時魔法を詠唱すると、コーティングしているアコタイトの表面が酸化して、みるみるうちにドス黒く変化していく。
「おぉっ、時が、時間が進んでいるのかっ」ダルモアは前のめりになった。
「アコタイトを外してくれ」
「おい、ちゃンと元に戻せよな」表面がボロボロに朽ちてしまった商売道具を横目にサルは言った。
「ああ、もちろん、後でな」
金属の膜が剥がれると綺麗なままのボトルが姿を現した。俺はふわふわと宙に浮かぶ四十年ものの葡萄酒を手に取る。
「────ボトルは綺麗だが、流石にコルク栓は無事じゃ済まないか……リワインド!」コルク栓を右手で握り、巻き戻しの時魔法を詠唱するとたちまちコルクは新品の張りを取り戻した。
ダルモアにボトルを手渡すと、その場でもう一本の葡萄酒を開け、飲み比べをすることになった。
五名分計十個のグラスが木製のテーブルに並び、交互に葡萄酒が注がれていった。
結論から言うと俺は四十年ものの葡萄酒よりも、ノンヴィンテージの葡萄酒の方が美味しいと感じた。確かに味わいとしての深みはかなり増していると思ったが、そもそも葡萄酒そのものが俺はあまり好きでは無いからかもしれない。
「─────し、信じられん……このディープガーネット、丸みを帯びた渋さの中にある僅かな土臭さ、あるいは煙草のニュアンス……この複雑な味わいは紛れもなく長期熟成の葡萄酒だ」ダルモアは天を仰いだ。
門外漢の俺としては彼が何を言っているのか全くわからない。
「では時魔法の信頼度も高まった所で─────」
「ち、ちょっと待て!」俺が本題に移ろうとしたところをダルモアが制止した。
「なんでしょうか?」
「追加……追加だ、ウイスキーの製造に加えて、私のために長期熟成葡萄酒の製造も追加でやりたまえ」とダルモアは唾を飛ばした。
かかった、巨大魚が俺が操る疑似餌に大口を開けて食らいついた。
「ダルモア卿、それとこれとは別の話です。先日俺は『気の済むまでウイスキーを作って差し上げる』と申し上げました。そこまでが、俺が王都から出るための後方支援に紐づいた交換条件です。葡萄酒の件も追加するとなると、別件でこちらの要求を呑んでいただかないと」と俺は追加要求を跳ね返す。
「ぐぅう、貴様っ……私を誰だと思っている!!」とダルモアは怒り心頭だ。
「ダルモア卿、失礼を承知で申し上げます。貴方が現在いくつお歳を召されているか存じ上げませんが、葡萄酒にしてもウイスキーにしても、本来なら何十年と熟成されたものを味わう前に貴方は道半ば亡くなられてしまうのではないですか?」
「そ、それはそうだが……」
「先程お飲みになられた四十年ものの葡萄酒、あれこそ貴方が存命でない未来のトラッドからこちらの世界へ持ち込んだもの。貴方が口に含むことすら不可能であったはずの土産です。このとおり貴方が欲しているものを作り出せる力を俺は持っている。そして俺が必要としている力もまたあなたが持っている、つまりこれは対等な関係ではありませんか?」滾々と突きつけるように俺は語った。
「きっ貴様と私が対等だと!?笑わせるなっ!貴様なぞ私が指を弾けばすぐさま亡き者になるのだぞ!!口を慎め!!」
「─────あまり大きな声では言えませんが、俺なら酒の熟成に留まらず、貴方の老いそのものを消して差し上げることもできます、殺してしまうのは勿体ないと思いませんか?若々しさを取り戻し、未来永劫この絶頂を続けたいとは思いませんか?」努めて囁くように俺は言った。
ダルモアの表情はみるみるうちに憤怒から動揺の色へと変化していった。
「うっ……わあ~、ショウさん言うことがエグすぎるって。今、悪魔みたいな顔してるよ?」と後ろからアソールの声がした。
「老人に若さを天秤に掛けさせるとは、いよいよもって本物の外道じゃな……」とカリラも。
振り返るとサルだけは嬉しそうに腹を抱えて高笑いをしていた。
うるさいうるさい。なんとでも言うがいい。元々俺はトラッドにおける法外な存在、それが明るみになったのだから今更なんと言われようが知ったことか。今は目的のためには手段を選んでいる時では無いのだ。
とはいえ、彼女たちの言う通り少々言い過ぎたかもしれないと一応反省した。
「──────私は見返りに何をすればいい」ダルモアはぐったりと項垂れた。
「それはまた後日ゆっくり協議致しましょう。それよりも今日ここで行うべきことを続けましょう」
ともあれ目的の魚は無事に魚篭へ入ったみたいだった。