左胸の声
「───────ョウ!しっかりしろ!」
「……え」
肩を叩かれ、俺は我に返った。
「生きてる、ブレアは生きてるぞ!」涙声でアラドは俺に訴えた。
「生き……てる?」こぼれ落ちる雫を袖で拭い取った。
「今私が胸に耳を当てて確認しました、心臓は止まっていません。恐らく眠っているだけかと」とピティは俺の目を見て言った。
「で、でも角がないと竜人は─────」
「そこのところは俺にもわからん。わからんがこの子は生き残った!」アラドの頬は涙で濡れていた。
「索敵魔法に反応がある時点で生命活動が続いていることは確定してます。角の話はよくわかりませんが、とてもゆっくり呼吸もしていますし、急いで医者に見せた方がいいと思います」とピティは先程の狼狽えが嘘のように一人冷静に言葉を発した。
そうだ、そうだった。あまりのショックにすっかり失念してしまっていた。そもそも捜索隊がこの場所へたどり着く手段の前提に『ブレアは生存している』という条件があったはずだ。
「肝を冷やしましたが、ピティの言う通りです。すぐにブレア氏を医師の所へ送りましょう」
ウィニーの左手の甲に赤色円形の印が浮かび上がる。会議室で見たのとは別の印だ。
なんのことはない、会議室でキャメロンとウィニーが見せてくれた押印魔法は、てっきり十字聖堂に準えた赤十字だと思っていたが、この印を見ればそれは俺の勘違いだったと分かる。
あれは赤十字などではなくただのバツ印で、俺が作戦中に暴走した時に文字通り『罰』を与える合図。そして丸は合流の合図だったのだ。
「────うっ、暗くて埃っぽい場所に呼びおって」気がつけばキャメロンがその場に立っていた。
「ひいっ、誰っ!?何処から!?」静観を決め込んでいたマヤは声を上げた。
「誰だこやつは?」増えている人員に怪訝そうな表情を浮かべるキャメロン。
「えー、話せば長くなるのですが、この方はここの案内人のようなものです。それよりも可及的速やかに遂行せねばならないことがございます。ブリッジ嬢、ブレア氏を医療機関に転送して差し上げて欲しいのです」ウィニーはベッドの上のブレアに視線を移した。
「ほう、小娘が見つかったか。心得た」とキャメロンは承諾した。
「ピティと竜人の皆さんは付き添いで戻ってください、私とショウ君はマヤさんを送り届けてからまた合図を送ります」とウィニーは指示を出す。
「ま、待ってくれ俺も─────」
「ショウ君、お気持ちは察しますが後片付けが先です。さあ、行ってください」
「貴様ら、私に触れていろ。行くぞ」とキャメロンが促した後、六人は姿を消した。
「きっ消えた!?」マヤは腰を抜かした。
「転移魔法というものです。私達もこれから引き上げるのですが、崩落の被害がた起きないように、ショウ君はこれから通路の崩れかけている部分を修復に向かいます。マヤさん、その間に少々お伺いしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」ウィニーはこちらに向けてウィンクで合図をした。
「え、ええ、いいけど」とマヤは答えた。
俺はそのまま通路を補修する振りをして二人が視界に入らない位置まで戻ると、ウィニーの意に従い階段を駆け上がって外へ出た。
霧深い茂みを抜けて見渡すと、ウィニーが作った氷の道が未だ健在なのを確認することが出来た。低地にいる時は視界に入らなかったが、小高い場所から見ると少し離れた岸に小舟がつけられている。おそらくマヤがこの島へ来る際に使用しているものだろう。
それから俺は急いで小舟が停泊している方角へ向かい、小舟を使ってウィニーの作った氷道伝いに漕ぎ出した。
「─────あった」
水に流れのない湖だからか、巨大な鯰の死骸はまだそこにぷかぷかと浮かんでいた。
ウィニーが俺に対して言外に求めていたことは、このシーズもとい荒神の復元作業だ。
正直なところ俺自身はこの獰猛な人喰い鯰を蘇らせてやることに否定的だ。この鯰はマヤの部族の生贄文化によって神聖視され、育てられてきた存在。いくら信仰によるものだとしても、それは"悪しき"と修飾されるべき行いだ。
以上は俺の個人的な意見だが、ウィニーはそれを踏まえた上で元に戻すべきと思っているらしい。生贄という旧時代的な文化を廃止するとしてもそれは部族自身の手によって行われるべき、と言ったところだろうか。
「─────リワインド」俺はこの鯰の時を十年巻き戻した。
すると鯰の巨体は二分の一程度まで縮み、瞳は黒さを取り戻して、生来の性格なのかこちらに気がつくとどこかへ逃げていった。
踵を返し、時間稼ぎをしているウィニーのもとへ戻った後、キャメロンにピストン運行をしてもらって、一足遅れて俺とウィニーは政府管理の病院へ直通で転移した。
医者によるとブレアは非常に衰弱していて、殆ど仮死状態に近いとのことで、今は点滴を打ちながら病室で眠っている。未だに意識は戻っていないままだ。
今回の救出作戦が成功したことにより副次的に得られたものがあった。
まずは俺の記憶を心問によって読み取った際に無関係だと思われ報告書に記載されなかった西海岸の灯台で見聞したものと、今回訪れたローモンド湖地下の納骨堂にあったものに類似性が認められ、それらが怪人関連の有力な情報として活かされるであろうということ。
加えて、キャメロンが納骨堂の正確な座標を記憶したことにより翌日再調査が行われ、複数の文献と人体実験の痕跡を発見したこと。
そんな中で解せないことも多分にある。最も不自然なのがロイグ達は俺の身柄を狙っている節がありながら、ブレアと俺を人質交換しなかったことだ。
俺の勝手な想像では、あの納骨堂でロイグとボウモアが待ち受けていて、彼らの要求を飲む代わりにブレアを解放するというような場面があるかと思っていたのだ。ところがブレアは角を折られてしまってはいるが、こうして安全な場所へ取り返すことが出来たわけで、奴らの狙いがなんだったのかは依然として霧に覆われたままだった。
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王都へ戻ってから二日ほど経って、ウィニーが上層部へ掛け合ってくれたのか、俺はある程度の自由が許された。もちろんキャメロンの施した追放刻印は解除されておらず、依然として首輪は着いたままだが。
十字聖堂の客室に寝泊まりする毎日で、俺は可能な限りブレアが入院している病室で過ごした。朝、病室に入り椅子に座って眠り続けるブレアの寝顔を眺めて一日が終わる。
ひょっとして彼女はもう二度と目覚めないかもしれない。考えてはいけないと思いつつも、ついそんな風に思ってしまうこともあった。ブレアの手を握ると柔らかくて暖かくて、この手を彼女が握り返してくれること祈った。