『角』
細い通路を抜けると楕円形に掘り進められた小さな部屋へと行き着いた。
「────うわっ」先頭を行くウィニーが持つ発光石の光で照らし出された光景に俺は思わず声を上げた。
壁際に整頓されて積み上げられた夥しい量の人骨。よく見ると足元にも幾つも骨が転がっている。無数の頭蓋骨がこちらを見ているようで、ピラミッドを暴いた考古学者の気分になった。
「わわわかっていても気味が悪いぃっ」ピティはマクリーの服の裾をきゅっと掴んでいた。
「キャアアッ!!」マヤは悲鳴を上げてその場に尻もちをついた。
「どうしました、マヤさん」ウィニーは振り返り声を掛けた。
「ひ、人がっ……人の骨がっ!」発光石の光でに照らし出されたマヤの表情は恐怖に歪んでいた。
「君は何度もここへ入ったことがあるんだろ?どうしてそんなに驚く?」と俺は当然の指摘をする。
「ちっ違う!頭蓋骨じゃない骨が……!納骨堂に納められる骨は頭の骨だけのはずなのに!」マヤは顔を青くしている。
遅れて俺の背筋も凍りつく。彼女が腰を抜かすのも無理は無い、足元にいくつか転がっている人骨はみな頭蓋骨だけでなく肋骨や腰骨、大腿骨など各部位が全て揃った状態で横たわっていたからだ。
言葉にするのを誰もが躊躇ったが「すると今床に転がってる者たちはここで息絶えたということになるか」とアラドは有り体に言った。
「いっいいい言わないで下さいぃ」ピティはカチカチと奥歯を鳴らしていた。
「ここは生贄に捧げられた先祖達を弔う場所。荒神様は人の煩悩を嫌うから頭はお召し上がりにならないの。だからここにあるのは頭の骨だけ」と落ち着きを取り戻したマヤは衝撃的な内容の説明した。
"お召し上がり"という言葉に耳を疑う。
「生贄…………ですか?」ウィニーは戸惑っていた。
「ええ。この湖には荒神様がいらっしゃって、聖なる霧でこの湖を清め、私達に実りを与えてくれるのよ」
あまりの後進的文化に皆言葉を失う。そして一同がある事実に思い当たるのはそう難しいことではなかった。
「マヤさん、ひょっとして荒神様ってヒゲを生やした大きな魚の姿をしていたりするか?」俺は否定してくれと願って訊ねた。
「荒神様の方からご挨拶をして下さったのね!さっき助かったのもご加護のおかげね!」明るくマヤは言った。
馬鹿を言え。俺が咄嗟に時魔法を使ったからに決まっているだろう。それにあんなに強烈な『ご挨拶』は二度と御免蒙りたい。
きっと今ここにいるマヤ以外の全ての者が同じ認識と迷いを抱えていることだろう。
彼女らが崇拝するところの荒神様の亡骸は今も湖のどこかに浮いている。向こうから襲いかかって来たのだから、反撃せねばこちらが生命を落としていた。その点から考えて、もちろんこちらに過失は無いと言い切れる。ただ彼女達部族の信仰を奪ってしまったことは揺るがしようのない事実でもあった。
「─────ショウ君、後でお話があります」
「はは……なんとなく言いたいことはわかったよ」
先頭を行くウィニーはふうとひと呼吸置いて「時にマヤさん、納骨堂の部屋はここだけですか?」と問いかけた。
「え、ええ。そうよ」尻の埃を払い落としながらマヤは答える。
「そうですか、皆さんこれを見てください」
部屋の突き当たりに発光石の光が浴びせられると姿を現したのは木製のドアだった。
「な……にこれ…………知らない、こんなの知らない!!」半狂乱になってマヤは喚いた。
巫女であるマヤが知らないということは崩落前には無かったものなのだろう。
「索敵魔法はそのドアの向こう側を示しています」とピティ。
振り返って彼女の胸元に生成された球状のコンパスを見ると、指針は平行に真っ直ぐ前方を指し示していた。
「入るしかなさそうですね、皆さん警戒を」ウィニーはそう言ってドアの取手に手を掛けた。
しかしドアには鍵が掛けられていてノブは回らなかった。
「ショウ君、お願いしてもいいでしょうか」
ウィニーの求めを理解し、俺はドアの前へ歩み出た。
「アクセラ」
木製のドアはみるみるうちに老朽化し、スカスカになって朽ち果てた。足の裏でドアを蹴破って部屋の中に入ると、発光石に照らし出された室内は何処かで見たような光景だった。
まず目に入ったのは大きな水槽で、内側には水が入っておらず大量の巻貝の死骸とゴロゴロした岩が幾つか入っているだけだった。
「なんだこの気色悪い水槽は……」アラドは眉をひそめた。
西海岸の灯台で見たものと同じで水槽からはシャフトのようなものが天井に伸びている。これは恐らく有機的な装置で、この常闇を照らす光の源であることを俺は解した。
「ショウ君、これを見てください」ウィニーが発光石の明かりを下へ向けた。
「これは─────刻印柱?」
「そのようです、話が見えて参りましたね」
「どういうことだ?」とアラドは首を傾げる。
「先日、ショウ君が政府に捕縛された時に所持していたもの、つまり西海岸で回収したという刻印柱と紋様が酷似していますので、これは同一の術者が使用していたものと推察されます」とウィニーは説明した。
刻印柱には唐草模様に似た紋様が浮かび上がっていて、ぼんやりとしか記憶していないが、言われてみれば西海岸で回収したものに似ているかもしれないと思った。
「つまりこれはロイグと名乗る怪人が転移に使用していたものに相違無さそう、ということです」とウィニーは続けた。
「それじゃあこれもキャンベルで奪われた刻印柱のひとつか!?」
「いえ、キャンベルで奪取された刻印柱はすでに紋様のスケッチと共にリスト化されていますが、これはそのどれとも一致しません。それにキャンベルで奪われた刻印柱はどれひとつとして対になった状態で持ち去られて居ませんので、それ以前から使用されていたものでしょう」理路整然とウィニーは述べた。
キャンベルで刻印柱を奪う前から黎明の三賢を自称する怪人達は転移魔法を使って暗躍していたということになる。となると転移魔法を使用出来る協力者が居たか、ロイグの手によってトラッドの何処かの転移魔法官が利用されたかだ。
「ウィニー様、奥にもう一部屋あるようです」とムーアは火炎魔法の明かりを右手に灯し奥へと進んで行った。
そして事態は急変する。
「……ブレア?───────ああっ!!そんな、なんてことだ……っ!」ムーアは歓喜に始まり失意に終わるような声を上げた。
「なんだって!?」「なんだと!?」
俺とアラドが我先にと奥の部屋へなだれ込む。光に照らされたその部屋にはベッドが置かれ、その上にまるで眠るようにブレアが横たえていて、それに縋り付いて哀しみにくれるムーアの姿があった。
「ブレア、無事で─────」
「無事なもんかッ!!」アラドは俺の言葉を遮って大声を上げた。
俺とアラドに続いて部屋を覗き込んだマクリーは壁に寄りかかり座り込んでしまった。
もう一度ブレアの様子を見てやっと俺も相違に気がついた。
「角が…………ない」
ブレアのセンターパートの分け目あたりにあるはずの可愛らしい角が根こそぎ跡形もなく消え去っていた。
「いいかショウ、竜人の角は飾りじゃない。脳に深く関わっている器官で、これを大きく損傷してしまうと竜人は…………」アラドはその先を言い淀んだ。
「─────な、なんだよ。死ぬなんて言うんじゃないだろうな」声が震えて上手く発声できない。
「ああ………そうだ……ッ」アラドの言葉に悔しさが滲み出ていた。
いいや大丈夫、落ち着け、大丈夫なはずだ。
時魔法による巻き戻しを施せば、たとえ命を落としていようとすぐに元に戻る。そんな風に一時的な安堵を胸にした俺だったが、現実はそれほど簡単では無かった。
ここには切除されたであろう角がない。時魔法による巻き戻しは、対象になるものを構成する物体が効果範囲内にあるならば完全な形で元に戻すことが可能だが、今時魔法を使ってもブレアの角は、ブレアの生命は戻らない。
「─────ブレア、ごめん……ごめんなさい」まるで独り言だった。
身体に力が入らない。水の中にいるみたいに周囲の音はぼんやりと遠くに聴こえる。
無くしてしまった。失くしてしまった。亡くしてしまった。
眉を八の字にして目尻に皺ができるブレアの笑顔が好きだった。鈴を転がしたみたいに可愛らしい笑い声が好きだった。綺麗な蒼みがかった髪が好きだった。いつも俺の後を着いて来たがる彼女が好きだった。俺を信頼してくれる彼女が好きだった。
なのに──────なのに俺は過去形にしてしまったんだ。今更気づいたってもう何もかもが遅い、遅すぎた。