覆水盆に返る
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「────これは、なんでしょうか」ウィニーは困惑を隠さずに言った。
生い茂る草を掻き分け、その先にあった木造建築物は湿潤した環境下に長く晒されていたからか老朽化が進んでいた。
「これは"社"か?」とアラドは呟いた。
その建造物は、木製の板をいくつも貼り合わせて造られた大きな屋根が二段に重なっていて、屋根の大きさに似つかわしくない小さな部屋だった。
「族長殿、"社"とは一体……」
「信仰の依代になる場所のことだ。うちの里の場合は先祖の魂が眠るとされているな。まあ、歴史は浅いんだがな」とアラドは説明した。
「信仰の対象ですか。政府の管理下ではありませんが、未だにそういったしきたりが残る村もあると聞いたことがあります─────」
「誰っ?」ピティではない女の声だった。
振り返るとそこには長い黒髪を後ろで束ね、藍色の羽織りを着た女性がこちらを警戒の眼差しで見つめていた。
すぐさまこちらも警戒態勢を取ったが、ウィニーが前へ歩み出てそれを制止する。
「驚かせてしまって申し訳ありません。私達は王都からやって来た者で、私はウィニーと申します」と落ち着き払った声でウィニーは申告した。
「王都の連中がこの聖域に一体なんの用?それにそっちの人、もしかして竜人……?」女は益々警戒を強めたみたいだった。
「大変な失礼を……あなた方にとってここはとても大事な場所なのですね。安心してください、この場所に手を加えたり何かを持ち出すようなつもりはありません。ただ人を探しているのです、行方知れずになった竜人の女性を。何かご存知ないですか?」
「し、知らない、こんな場所にいるわけが無いでしょ!この島は私達の部族の中でも巫女しか立ち入ることが許されていない場所よ」
「ですが索敵魔法の指針はこの島の地下を指しています。何か心当たりはありませんか?」
「地下…………納骨堂…………」女はハッとしたような表情を浮かべた。
「それは何でしょうか?」
「社の地下にある御骨を納めておくところよ、数年前に通路が崩落して今は行けないはずだけど……」
納骨堂、つまりここの地下にはカタコンベが作られているらしい。社が出て来たかと思えば次は納骨堂と来たか、独自の文化にも程がある。
「その通路を通れるように修復しますので、中を改めさせていただいても構いませんか?もちろん御骨には触りません」
「通路を直してくれるの……?」
「はい、我々にとっても必要なことです」
「─────わかったわ、それなら納骨堂へ入ることを許します。ただし私も一緒でないとダメ」
ウィニーの丁寧で温和な語り口が彼女の警戒をある程度解いたみたいだった。
「ええ、結構です。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「マヤよ」
それから我々六人はマヤの導きに従い、今にも朽ち果てそうな社の奥にある小さな下り階段へと案内された。階段には明かりがなく、発光石の明かりを頼りに地下へと下っていった。
「─────ここよ。ね、酷いものでしょ」
階段を下った先は細い通路になっていたが、岩盤の崩落によって岩石が天井まで降り積もって壁になり、そこから先へは進めなかった。
「こいつを吹き飛ばせばいいんだな」アラドは両手に大きな火球をこさえた。
「族長殿、お待ちく─────」
ウィニーの制止も虚しく放たれた二つの火球は岩石の山を吹き飛ばし、向こう側の通路とこちら側の通路の間を貫通し、通路を開通させた。
「よしっ!」アラドは得意げにガッツポーズをとった。
「族長殿、次からは私の指示を待ってください。もし衝撃でまた崩落が起こったら私達は皆ここで生き埋めになるしかありません、ですから慎重に」とウィニーはアラドを叱責した。
「あ、あぁ、そうか済まない。つい気持ちがはやってしまった」アラドは申し訳なさそうに頭を掻きむしった。
「ありがとう、これで御先祖様達のお世話ができる……」マヤは嬉しそうに言った。
「通路が開通したのは幸運でした。先へ進みましょう」
六人が縦列を組み、岩石によじ登って向こう側の通路へ渡っていた時にそれは起こった。
不意に天井から乾いた音が聴こえ、首筋に小石がいくつか落ちてきた。早くここを通過した方がよいと後続の三名に伝えるため、俺が後ろを振り返ると、まさに天井から巨大な岩石の塊が落下する所だった。
「リワインドッ!!」思考を差し挟む余地はなかった。
咄嗟にピティの上に覆いかぶさった二人の竜人は、巨石が落下エネルギーを反転させて元の位置に戻っていくのを目を丸くして見つめていた。
「三人とも早くこっちへ!」
マクリー、ムーア、ピティの三名は慌てて崩落地点を通過し、こちら側の通路へ抜けた。
「ショウ、お前一体……」アラドは俺の顔をじっと見た。
ウィニーはしまったとでも言うように双眸を掌で覆っている。
「禁術だ、俺は時を操ることができる」俺は有り体に明かした。
その直後、元の位置へ戻った岩盤が先程と全く同じように落下して、大きな音を立てた。
やけくそになった俺は崩落地点に立ち戻り、再び「リワインド」と詠唱した。すると崩落地点は水が入ったバケツをひっくり返した映像を逆再生したみたいに、崩落前の姿へ戻った。
「アラド、恐ろしいか?俺が」
「時魔法……戦争を終わらせたのはお前なのか?」
当然の問答が始まる。
「それは俺じゃないとしか─────言えない」
「あの子達は、ブレアとアソールは知っているのか」
「ああ、知ってる」
「────そうか、ならいい。マクリー、ムーア、このことは他言無用だ、いいな?」とだけ言ってアラドはまた前へ向き直った。
マクリーとムーアは黙って頷く。
マヤが血相を変えて俺に歩み寄り「ありがとう!」と礼を言った。
「あ、ああ。あまり人に話さないでくれると助かるよ」と俺は答えた。
「知られた以上は説明しなければなりませんね……実は彼の時魔法に関して私とピティは周知していました。ショウ君は今、政府直轄の管理下にあります」とウィニーは三人の竜人に打ち明けた。
「目の敵にしていたくせに、時魔法の力に目が眩んだか。言っとくがこいつをぞんざいに扱いやがったら政府だろうがなんだろうが承知しないからな!」とアラドは語尾を強めた。
「もちろんです。まだ協議の段階ですがこの作戦が無事に終われば一定の信頼は獲得できますし、自由も与えられるかと思います。私も最初は時魔法の名に気圧されて、彼に対して懐疑的な部分もありましたが、会話するうちに信頼に足る人物だと思うようになりました。そしてそれは今確信に変わりました、悪いようには致しません」とウィニーは言ってくれた。
アラドはウィニーの話を聞いて、鼻を鳴らして目線を外す。
「さ、進みましょう」とウィニーは残りの六名に促した。