覚え左頬を打つ
中央議会での聴取から戻り、頭の中に去来するさまざまな懸念を払い除けてやっと俺は眠りについた。
次に俺が目を覚ました時、そこにはキャメロンが佇んでいた。
「─────存外に図太いな」
「やかましい。眠ることくらいしかすることがない場所へ放り込んでおいてよく言うわ。にしても驚いた、まさかまかり通るとはな」
多分この時の俺は目を丸くしていたと思う。
「何故そんなことがわかる?」キャメロンは首を傾げた。
「使役か処刑の二択なら、後者が選ばれた場合わざわざあんたが俺の目の前にこうして姿を現す必要なんてないからさ。もし後者なら俺は今頃どこかの水底に沈んでいるだろう」
「フフ……小賢しい。貴様は我々に管理されることになった。よかったな、命を落とさずに済んで」キャメロンは両目を閉じてツンとした表情で言った。
「ありがとう、キャメロン」俺はまっすぐ礼を言った。
「べっ、別に貴様のためにしてやったことではない!勘違いするな馬鹿者がっ」そう言ってキャメロンは顔を背けた。
中身は三十八歳とわかっていても、見てくれは素直になれない子供そのもの。愛らしいことこの上ない。
「それじゃあなんの目的でだ?」
「キャンベルが襲撃を受けて以来、転移魔法ターミナルが閉鎖されてトラッド中の転移網が機能停止しただろう」
「そうだな」
「それからというもの、年寄りどもの運び屋ばかりやらされてうんざりしているのだ。怪人どもをさっさと駆逐して、私の平穏を取り戻すために貴様の力を便利に使ってやろうと思っただけだ」とキャメロンは語った。
なるほど。確かに転移網を気軽に使えなくなってしまった現在、悪用される心配なく個人を往来させることが可能なのはキャメロンの追放魔法だけだ。
「気の毒に」
「ふん、貴様ほどでは無いわ」とキャメロンは皮肉を言った。
何となく安心している自分が居た。キャメロンを含む王都の連中はまず間違いなく俺の存在に対して懐疑的。この状況においては思いやりや同情などを理由にされるよりも、利害の一致こそが胸にすとんと落ちる。
「ほっとしたら腹が減った」
「食事は用意してやる。しかしその前に一緒に来てもらおう、貴様に客が来ている」
俺はこの後すぐにキャメロンと共に転移をした。
連れてこられた場所は心問調査に使用されたのとはまた別の部屋で、足元は新緑の絨毯が敷かれ、高級感のある革張りの椅子が装飾を施されたセンターテーブルを囲うように四つ置かれている応接室と見られる部屋だった。
「転移ばかりで地理感が全く機能してない……結局ここはどこなんだよ」
「ここは十字聖堂、王都の中心部である第一通りに所在地を置く国選魔導士の関連施設のひとつ。心問調査が行われたのもこの施設」とキャメロンは丁寧に説明してくれた。
不意に応接室のドアが開いた。
「お前は───────」
現れたのは意外な人物だった。
美しい銀髪、そして額から生えた堅牢な二本角。最後に彼に会ったのはいつだったかと考えを巡らせるほど久しぶりの再開に思えた。
「アラド!どうしてお前がここ………に……」ただならぬ雰囲気を感じ取り、俺は言葉を紡ぐのを止めた。
俺が感じ取った異変、それはアラドの眼差しだった。憤りとも失望とも取れるその眼差しはどう見ても再会の喜びを分かち合おうとは到底思っていない目だった。
アラドはつかつかとこちらへ近づき、俺の胸ぐらに掴みかかった。
「ショウ、お前何をやっている」アラドは震える声で静かに問うた。
「な、何って俺はブレアを助けに──────」
左頬に強烈な一撃をもらい、俺は床に這いつくばった。
「いきなり何をするんだよ、アラド」俺は下からあいつを睨みつけた。
床に座ったままの俺を、アラドの強靭な左腕がまたも胸ぐらを掴んで引きずり上げたかと思ったら、さらにもう一発右が飛んできて俺の頬を打った。
「痛ッてえ……なあ!!」反射的に俺もアラドの顔を殴りつける。
俺に殴られたアラドは一瞬仰け反ったが、ゆっくりとこちらへ向き直り、俺の目を真っ直ぐ見据えた。瞳の下は涙で濡れていた。
「お前が………お前が着いていながらどうしてこうなるんだ。何をやっているんだよ、ショウ…………答えろっ」呼吸を荒らげ、涙声でアラドは訴えた。
俺は遅まきながら気が付いた。俺は今ブレアが誘拐されたことについて呵責を受けているわけじゃない。アラドの昂りの源泉は怒りでも失望でもなく悔しさであり、それは俺への信頼の裏返しでもあるんだということに。
長い沈黙のあと「すまない……」と一言だけ言って、俺は顔を背けるしかなかった。
「あの子の、ブレアとアソールの父親は二人が幼い頃に亡くなったんだ。それからはずっと里の男たち全員が『父親』という大きな大きな存在の肩代わりを、少しずつそれぞれが請け負って見守ってきた。俺の気持ちがわかるか?里の者の気持ちがわかるか?」今度は強く確かな言葉だった。
思えば、俺に着いてきてくれているブレアとアソールのことを全然知らなかった。
いつか酒の席で、発育不全の角を父親が褒めてくれたと嬉しそうに話してくれたことを今になって思い出す。存命だと勝手に決めつけていたが、とっくの昔に亡くなっていたのか。そんなことすら俺は知らない、いや知ろうとしなかったんだ。
「ブレアとアソールの母親は心労がたたって体調を崩してしまった。別にお前のせいにしたいわけじゃない、ただ俺はあの子をお前に護って欲しかった。護れると信じていたのに……ッ」とアラドは力なく項垂れた。
「────静観していたが、これ以上ここで野蛮な行いをするというのなら、いかに族長殿でもお帰りいただくしかない。日を改めてはどうか?また明日、同じ時間にここで」とキャメロンは意外にも助け舟を出した。
「ああ……すまない」とだけキャメロンに返事をしてアラドは部屋を出ていった。
思えば殴り合いの喧嘩など人生史において初めてのことだった。俺は未だ熱と痛みを帯びる左頬にそっと右手で触れた。
「────痛い、な」
本当に痛いのは、頬ではなく耳だった。