露見
踵を鳴らして階段を誰かが下る音が聞こえる。それからほどなくして女は俺とカティの前に姿を現した。
「────待たせたな」とキャメロンは威厳たっぷりに言った。
しかしどこか子供のごっこ遊びのような微笑ましさがある。
「俺たちに何をした?ここはどこだ?」
「ここは王都にある、私の私牢だ」
私牢などという言葉の馬鹿馬鹿しさも耳に残るが、それよりも既にここが王都だということの方が信じられん。
「そんな転移魔法のようなことがあるわけないだろう」と俺は反論した。
「転移魔法ではなく、その上位の追放魔法だ。私は共に転移せずとも自由な場所に対象者を転移させることが出来る。もちろん自分自身もな」とキャメロンは語った。
驚いた。この世界に生を受けて以来、様々な魔法を目にしてきたがこれほどに"欲しい"と思った能力はない。
「刻印柱もなしにそんなことが可能なのか?」
「なぜ貴様にそんなことを語らねばならん。時に娘よ、貴様の勤める出版社というのは第一通りにあるあれか?」
「あ、はいっ!そうで─────」
「ほいっ」キャメロンは話の途中で彼女を目の前から消し去った。
「なるほど、あの執務室でも俺をそんなふうにここへ飛ばしたわけか」
なんて恐ろしいやつだ。どんなに遠くへ逃げようと一瞬のうちに追いついて見つかった瞬間ここへ戻される。これでは脱走を企てる気にすらならない。
「いかにも。連絡は入れておいた、これからお前は審問を受ける。心の準備はよいか?」
審問─────まあ心構えは出来ていた。『捕縛』という言葉を耳にした時からそんなことになるんじゃないかと思っていたのだ。事の顛末をあれこれ訊かれることに対して偽りで応じるつもりは無い。
ただし俺にもひとつだけ隠し通さねばならないことがある、言うまでもなく時魔法のことについてだ。これだけは口が裂けようとも死守しなくてはまた死刑囚に逆戻りだ。
「ああ」
キャメロンが俺に再び手をかざすと再び俺の視界は切り替わった。
「─────来ましたね、ショウ・カラノモリ。私はホーマンと申します」男はオーバル型のメガネのフレームを銀色に光らせた。
小さな部屋の中に革張りの椅子がひとつあり、その正面にはフォーマルな装いの細身の男が立っている。部屋にはこの男と俺だけだ。
「あんたが審問官とやらか」
「そうです、どうぞ座ってください」男は目の前の椅子へ手を差し出した。
言われるがまま俺は椅子へ腰をかける。
「さて、始めましょうか。楽にしてください」そう言ってホーマンは俺の背後に回ると頭の上に掌を乗せた。
「なあ、審問というのは対話じゃあないのか?一体何をしようとしている?」
「対話、ですか………確かに本当はそれがいちばん良いのですが、人間は嘘をつく生き物です。ですから私は言葉には耳を貸しません。"Ⅹ"の数字を授かった私の称号は"心問"、あなたの─────」男は突然言葉を失った。
後ろへ振り返ると、男は尻もちをついて先程とは似ても似つかぬ表情で俺を見つめていた。
驚愕、そして拒絶や畏怖を含むその表情は、もう手遅れだと言うことをありありと俺に告げていた。
「きっ貴様っ……禁術を……時魔法を!!」ホーマンは唾を飛ばして喚き散らした。
迂闊だったと言わざるをえない。まさか心を読む魔法があるとは。いいや違うな、俺はさっき時魔法のことを考えたりしてはいない。過去を、記憶を盗み見る魔法か。いや、そんなことはこの際どっちだっていい。
どこまで覗き見られたのだろうか。俺の記憶に作用するというのなら、前世のことも、クレイグのことも全てを────
「い、いや違う。俺はこの力を悪事に使ってなんていない!!」滑稽にも俺は訊かれてもいないことをひとりでに口走っていた。
「ううう五月蝿い五月蝿いッ!!貴様はそこにいろ…………っ!決して動くな、いいなッ!!」男は後ずさりして背後のドアから部屋を飛び出して行った。
まずい。まずい。まずい。どうする。どうすれば丸く収まる。何かいい方法はないか。このままではブレアを助けるための協力を仰ぐどころではない。
そうこうしているうちに大量の兵士が小部屋へなだれ込んできて、四方八方から俺を取り囲んで俺は為す術なく身動きを封じてしまった。
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あれから二日ほど経っただろうか。全く陽の光が差し込まないので時間感覚があやふやだ。一日に二度だけ現れて食事を持ってくるキャメロンの姿だけが俺に与えられた時間情報だった。
悲劇や試練というのは順風満帆にことが運んでいる時にこそ降りかかるもの。多くの人間は四十余年も生きていればそんな教訓をひとつやふたつ拾って来たことだろう。では俺の人生においてそんな瞬間があったであろうか。いいや、なかった。毎日が澱んでいた生前の俺にはどん底へ落ちるだけの落差がない。一階から飛び降りても痛くも痒くもないようにだ。
でも今は違う。念願のウイスキー作りに着手し、恵まれた仲間たちとより良いものを作るために邁進する日々。初めてウイスキーを作った日からの一ヶ月間は俺にとって、あまりにも眩いものだった。
ブレアを守りきれなかったばかりか、今回のことで隠匿出来ていたはずの時魔法も公になってしまった。ここから俺に何が出来る?いっその事───
「脱獄でもしてしまおうかという顔だな」鉄格子の向こう側から女の声がした。
そこにはいつの間にか金髪の童女が佇んでいた。
「────もう食事の時間か?」
確かに俺はそんな顔をしていたかもしれない。もし処刑されてしまうくらいなら、時魔法を駆使してなんとかここを抜け出し、お尋ね者になろうともブレアだけはなんとしてでも助け出す。そう考えることに異論は無いと今しがた思ったところだからだ。
「食事はついさっき平らげただろう、呆けてしまったか?私が今ここに来たのは食事の差し入れや誰かの使いではなく、私自身の意志でだ」とキャメロンは言った。
「それなら何の用だ?時魔法の餌食にでもなりに来たか」と俺は苦し紛れに毒づいた。
「フフ……せぬよ、貴様は。大人しくこの牢へ入っているのがその証拠。ホーマンの奴から詳しく話を聞かせてもらったが、貴様の時魔法の使い方はどちらかと言えば善行に偏っている────まあ私利私欲の為に使ったこともあるようだが、魔法など元々そういうものだ。みなそれで生計を立てているわけだからな」とキャメロンは可愛らしい幼声で穿ったようなことを語った。
嗚呼、この能力で悪事を働かなかった自分を褒めてやりたい。
「そりゃあどうも。下らない世辞よりも質問に答えたらどうだ?」
「フン、ふてぶてしい小僧め。竜人の娘を助けたいか?」とキャメロンはまた質問に答えずに言った。
「────助けたい、どんな手を使ってでも。俺は時魔法のことが露呈した時点で大罪人になるんだろうからどうなっても文句は言えないが、ブレアは俺とは違う。あの子は人と共に歩むことを決めた模範的な竜人なんだ。非道いめに遭っていいわけが無い。だからもし俺が法に殺されるというのなら、その前にブレアを助けることに命を使いたい」と俺はキャメロンに訴えた。本心からの言葉だった。