消失
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「さて、君には少し付き合っ─────」ロイグは途中で言葉を紡ぐのをやめた。
「ショウ様っ!?」
ロイグのやつを殴り付けたのと反対の手にはしっかりとブレアの手が握りこまれていた。
「莫迦な……何故転移の速度について来られる?」身体を起こしながらロイグは言った。
「さあな。何処だここは」
正直な話、何故ブレアの手を取れたのか俺自身にもよくわからなかった。
見たところ転移した場所は浅い洞穴の中で、ロイグの向こう側には洞穴の外の砂浜が見えている。
「そうか、そういうことか。想定外だよ、まさかこうも早く目覚めるとはね。でもこれでますます僕達は荒っぽいやり方をしなくちゃいけなくなった。ショウ、教えてあげるよ。ここは僕が転移拠点のひとつにしているハイランド西部に位置する洞穴さ」
「妙に素直じゃないか、観念したって風には見えないが」足元へ転がっている刻印柱からロイグに視線を移しておれは言った。
懐の中のブレアを一層強く抱き寄せ、半身になってロイグとの間に右肩を入れて警戒する。
「いっ……痛いです……ショウ様っ」照れくさそうに俯いてブレアは言った。
「あ、ああ、すまない」
「正直言うと、この拠点を失うのは僕としてもかなり痛手だ。けれどそれだけの価値はあった、それじゃ僕達はそろそろ行くよ」
「逃がすと思うのか?」俺はロイグを睨みつけた。
もう俺はこの娘を離さない。ロイグがこの状況でブレアだけを攫って転移することなど至難の業のはずだ。この様な状態になることを避けるためにわざわざ陽動までかけていたのだから。
「思うね。もう紐付けは終わっているんだ。そうだろ?ボウモア」
「なん───────」
不意に横腹に衝撃が走る。それはブレアの蹴りだった。俺がよろめくと一瞬の隙をついて彼女は俺の手を振りほどいて突き飛ばした。
倒れ込む瞬間、ほくそ笑むボウモアとその指から伸びた紐状の光がブレアとロイグへ接続されていることを俺の目が捉えた。
「一人で霧の島へおいで」ロイグが小さく発した直後、三名は今度こそどこかへ消え失せた。
ボウモアにブレアが操られ、自分と引き剥がされた。そしてその紐に連結されたもののみ対してロイグの転移魔法は履行はされた考えられる。
油断はないと思っていた。俺は愚か者だ。それこそが油断そのものじゃないか。
「クソっ………クソがッ…………クソおおおアアアアアアッ!!」
不細工な咆哮が洞穴に反響する。今すべきこと、自分が滑稽に思えるほど感情を吐き出して、吐き出して、クリアになった頭でブレアを取り戻すために必要な事を考えるべきだ。
ひとしきり感情を発露させて一歩洞穴の外に出ると、乾いた風が肌に突き刺さり、ブレアが残していってくれた温もりも全て奪い去られてしまった気分になった。
ローランド地方よりもかなり気温が低いことがわかり、ロイグの発言が信憑性を帯びてくる。
「落ち着け、落ち着け…………冷静になれ」自分に言い聞かす。
こういう不明瞭な条件の時こそ初動が大事だ。
まず、ロイグはボウモアと合流する為にこの転移拠点へ立ち寄ったことは明白。ではこの近辺に奴の言う『霧の島』とやらがあるのだろうか。確かに現在地は海岸線に近い場所で、その可能性も捨てきれない。
闇雲に酷寒の海を泳ぎ回るわけにもいかないし、いずれにせよ誰か土地勘のある人物に話を聞かなければ始まらない。
暫定的な目標を設定した俺は、今一度辺りをぐるりと見た。西側には海が見え、東は林立した木々によって視界を遮られていた。あとは南北にかけて帯状に広がっているであろう海岸線。
「あれは───────」
方角は北西、海岸沿いに反り立つ岸壁に遮られて全体像は見えないが、その向こう側に槍のように天を衝く建造物がぼんやりと頭を出している。
念の為、洞穴の中に安置された刻印柱を回収し、歩み始めた。海岸にほど近く少し高台になっている岸壁へよじ登ると、拓けた視界には想像通りのものが映り込んできた。
「灯台だ!」
小さな湾が抱える岬の先端に、細くて背の高い灯台が見える。灯台があるということは、それを利用して船舶を扱う人間がいるはずだ。そして、それらが発着する港も。この地点から港の存在は確認出来ないが、とにかく灯台へ行けば灯台守の人間から話が聞けるかもしれない。
俺は灯台を目指して早歩きで移動した。太陽はまだ高い位置を保っているとはいえ、あと数時間もすれば完全に日が落ちてしまうからだ。
「─────ふうっ……何とか完全に夜になる前に着いたか」
気がついたことが二つある。
ひとつめはここへ来る途中、辺りが薄暗くなってきた頃この灯台に淡いオレンジ色の灯りが確認できたことだ。行く先に人がいるということがほとんど確定的になったことで、張り詰めていた胸の内が幾分か弛緩していたかもしれない。
そしてふたつめは、たった今灯台の足元まで来て分かったことだが、この灯台は朽ち果てている。切り出した石を組み上げて作られているが、所々ほつれて穴が空いているし、眼前に現れた観音開きの扉などは半分がどこかへ行ってしまっている。
そんな相反する事実を示唆する二つの状況証拠を前に選択を迫られた俺は、灯台の中へ入ることにした。灯りが灯っているのだから人が居なくとも暖まれるかもしれないし、そうでなくとも風よけにはなるだろうと考えたのだ。
発光石の灯りを頼りに内側へ入ると、埃臭さとカビ臭さが入り交じったような匂いが鼻をついた。家具であったものらしき朽ちた木片や割れた陶器類が散見され、人間の生活圏外であることは殆ど明らかになってきた。
なんと言うか、有り体に言ってしまうと『出そう』な場所だと思った。しかし俺はそういった霊魂やスピリチュアルなものを信じない質だ。いや、正確に言えば"信じない質だった"のだが、あの神の具現みたいな存在のせいでそのあたりの肯定感が薄れてきている。
俺はいつ崩れるかもわからない石造りの螺旋階段に足をかけ、一段一段慎重に登っていった。