父と娘
二人揃って川べりへ腰を下ろし、一呼吸置いたあと彼女は濡れた頬を拭ってまた話し出した。
「あたし、父に認めて欲しかったんです。あたしがしてしまった失敗はそれはそれは大きなもので、言い渡された処遇も妥当なものだったかもしれません。でも、それ以上にあたしに対する父からの期待っていうか、『見ているぞ』って視線が無くなってしまったことが悲しかった………」
垂れ下がった眉と伏した瞳。昂りに赤くなった頬と耳。こぼれ落ちる透き通った雨垂れ。いつも俺をからかう可愛らしい彼女はどこにもいなかった。
「そうか、それは辛いな。家族経営ってのも案外苦悩と隣り合わせなのかもしれないな……」
『親』という漢字が『木の上に立って見る』と読み解かれたのを目にしたことがある。
俺は親になったことが無いが、なんとなく彼女が言う親の視線というのを背中に浴びていたのを覚えている。一挙手一投足に対して横から口を出したいのを堪えて、我が子の成長を見守る暖かい目、大人になった俺はそんなふうに捉えていた。
「でも失敗しちゃったのは気にしてても仕方ないし、任された大衆浴場で大成功すれば少しは父も見直してくれるかもって思って、繁盛させるためにあたしに出来ることを色々やってみたけど結局全然だめで……」足元の雑草に視線を落としてミルは語った。
「いいや、立派にやってるさ。この通り俺も常連客になったじゃないか」
「ふふっ……みんなショウさんみたいに単純な人だったらもっと楽なんですけどね」とミルは少しだけ笑い「─────でも、やっとあたしにも運が向いて来たんです」と続けた。
「それが今回の仕事か」
「はい、父があたしに何か仕事を任せたのなんて本当に久しぶりなんです。だから応えたい、父に……お父さんにあたしの事を認めて欲しい!」
なんてもの哀しい決意表明だろうか。多くの親は子が間違った道へ進もうとする時だけ舵を切る。ならば親が子に何も言わぬ時は『そのままでいい』と認めていることになるはずだ。彼女は不運にもその肯定感を感じてはいないのだろう。
経済活動で大成を納める人間は少なからず家庭を顧みることを忘れてしまいがちだ。エルギン氏もそうなのかもしれない。
「ありがとう、物凄く意欲が湧いてきたよ」
「え?」
「俺がウイスキーを造りたい、売りたいっていうのは当然だけれど自分自身の私利私欲のためなんだ。でもそれをすることによって身近な誰かが救われるんだとしたら……なんて言うか、オトクじゃないか?」
「オトク………………ぷふっ!……そんな言い方あります?」
「気に障ったか?」
「いえ、なんだか元気が出ました!私腹を肥やすついでにあたしのことも救っちゃってくださいっ。明日からよろしくお願いします」そう語って頭を下げる彼女の視線は、次の瞬間にはもう前を向いていた。
「こちらこそ、よろしくな」
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「────お、来ただな。ショウ」青年はにっこりと笑みを作った。
「ようタリス。久しぶり……でもないか」
「んだな。どっちこっちこれからは一月にいっぺんはこうして顔合わせんだから、ショウの顔を久しく見ねえなんてことはねえだよ。ところで気になってんだけど、後ろの綺麗な女子はおめえの嫁っ子か?」
シックな紺色ワンピースから覗く白い肌、ストローハットからこぼれる蒼みががった髪の女が俺の数歩後ろに佇んでいた。
「まあっ、綺麗だなんて……」頬に手を当ててブレアは俯いた。
「いや否定をしろ、否定を。この子は─────」真後ろからブレアの掌が俺の口を塞ぐ。
「タリス様、妻のブレアと申します。これから長い付き合いになるかと思いますので、どうぞよしなに……」ブレアは帽子をとって軽く会釈をした。
「え、あ~~、こちらこそよろしくだ……………よ?その額のやつは……あっ!!もしかすっとショウと一緒に新聞に載ってた竜人の子か!?」タリスは興奮気味に言った。
「そうだよ、妻ってのは嘘だけどな」
「はあ~~。竜人にゃ初めて会ったけども、案外おら達と変わんねえなあ」
クレインズが第一弾となるウイスキーをリリースしてからおよそひと月半が経った。
麦酒のおまけとして付属されたウイスキーの評判は思ったよりも上々で、早くも買い注文の予約が殺到し、契約を結んだタリスの樽造りが間に合いそうにないほどだ。
「今日は相談があって来たんだ」と俺は切り出した。
「相談?値下げか?値下げ交渉か?」と眉をひそめるタリス。
「違う違う、価格のことなら安すぎるくらいだよ。そうじゃなくて、新しい種類の樽について話を聞きたくてな」
「新しい種類……形を変えるだか?」
「そうじゃなくて材質の方だ。今使ってるファニスの木に似た別の木材はないかと思って」
今日俺がアイラを訪ねた目的は新しい製法の原酒を作るための足掛かり。
本当はもう一度グリンパーチ大に出向いて、クロード教授に色々とご教示願いたいところだが、転移網が閉ざされた今、ここと彼の地を隔てている物理的距離はあまりにも大きい。そんなわけで、このあたりの素材に精通していそうなタリスを訪ねたわけだ。
「ん~、ファニスに似た木かあ……このあたりには無いかもしれんなあ。そう言えばハイランドの方にも麦酒は売られてるらしいんだけども、なんだかわからねえが向こうの木でできた樽を使ってんじゃねえだか?」
「ハイランドか……転移網が封鎖されているのが痛いな……」
クソ。忌々しいロイグのやつめ。
「他に家具材として使っている木材はあるか?」
「ああ、それなら"ヤナッペ"ってのがあるだよ」
「ヤナッペ?どんなものに使ってるんだ?」
「木造の家とか机や桶なんかが有名だよ。でも数が少ないからちっと高級だけどな。ちょうど作ったばっかの桶があるけんど見るか?」
「見させてもらおう」
タリスに連れられ、俺とブレアは彼の仕事場に案内された。ここへ来るのは二度目だ。
「─────ほれ、こいつだ」タリスは洗面器大の大きさの木桶を俺に差し出した。
「なんだか白っぽいな。触り心地はさらさらしてる……特有の香りがあるな。これは……………ブレアも触ってみるか?」
「ええ、是非」と返事をしてブレアは桶を受け取った。
この木の手触りや色、そして独特の木香は『檜』に近い。俺にとって檜の利用法で真っ先に思い浮かぶのは風呂だ。掛け流しの温泉の硫黄臭と、浴槽に使用された檜の香りが湯気に乗って鼻をつく、そんな情景を思い浮かべる。
「すごく手に馴染みます。なんというか、木の温かみを感じるというか……」とブレアは評した。
「タリス、この木材でこの間貰って行ったのと同じくらいの樽を作れるか?」
「やってやれねえことはねえけんど、中に酒を入れるんなら匂いが移っちまうかもしれねえぞ?」タリスは答えた。
「むしろそれが目的だよ。いくらかかってもいいからひとつ作ってみてくれないか?次の定期輸送の時に料金は払うからさ」
「よっしゃ、やってみるだ」とタリスは威勢よく答えた。
檜と言えばそもそも"日本酒"の貯蔵をしていた木材。それが原酒にどんな影響を及ぼすかは甚だ不明だが、やってみる価値はある。
酒はその土地の風土を味で語るものだと俺は思っている。まずひとつこの土地のものだけで個性のあるウイスキーを仕上げるのも悪くは無い。