テイスティング
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「─────まさか自ら持ってくるとはな」白髪混じりの初老は開口一番そう告げた。
ここはコットペルの北部に位置する、この街で最も広大な土地に建てられた、最も大きな建築物。その大豪邸の一室、応接室と見られる部屋に俺は通されていた。
「お会いできて嬉しいです。麦汁を譲っていただき、ありがとうございました」
俺がこの世界に再び生を受けてより最大限の敬意をはらい深々と頭を下げた。俺がアイラの村を訪れた時、胸中にまとわりついていた暗闇を発泡性の酒が綺麗に洗い流してくれた恩を忘れるはずもない。
「頭を上げてくれ、礼を言わねばならんのはこちらの方なのだ。うちの主要取引先であるフルールモア商会は先日の襲撃で壊滅的な打撃を受けた。だが、君たちの働きがなければ今よりももっと恐ろしいことになっていただろう。こちらこそ礼を言うよ」男は堂々とした面持ちで感謝の意を述べた。
「あたしからも言わせて。ショウさん、本当にありがとね」付き添ってくれたミルもこちらを見てにこっと笑った。
「いえいえ、ハリス会長の覚悟と竜人の姉妹の献身のお陰です。俺は何も……それよりも、さっそく本題に入りたいのですが────」
「ふむ。ワシにそれを飲ませた上で、納得がいく出来であればさらに援助して欲しいとでも言いたげだな?」先程までの優しい表情とは打って変わって、気難しい職人気質の眼差しがこちらへ向けられるのを感じた。
妥協は許さないという心の声が聞こえてきそうな眼光。単に出来上がった酒を飲ませるだけなら送って寄越せばいい。いちいちこの若造がここへ足を運んでいるのは、その先に交渉を見据えているからだ、というところまで先回りしたであろう台詞だった。
「…………恐れ入りました、仰るとおりです」
「その木箱の中に入っているのだな?」
「はい」ゆっくりと俺は頷いた。
エルギン氏はその場で両手をパンパンと叩き鳴らしすと、入口の辺りに待機していたメイドがこちらへいそいそと近寄ってきて「御用でしょうか」と訊ねた。
本物のメイドの姿を初めて見たが、俺が見知ったメイド服とは胸元の開き具合が全く異なっていて少しだけがっかりした。そりゃあそうだ、あんな風に開けっぴろげにしておく理由がない。
「グラスを三つ用意してくれ、それと水もだ」とエルギン氏はメイドに命じた。するとメイドは「承知致しました」と短く返事をして応接室を出ていった。
「見せてもらっても構わんかね?」
「どうぞ」そう言って俺は長方形の木箱を彼に手渡した。
エルギンは木箱を開けるとわずかに硬直し、再びこちらを見た。
「驚いた……ワシはてっきりわけのわからん濁った酒を飲まされるものだとばかり思っていたよ。この透明度─────」エルギン氏はウイスキーの入ったガラス瓶を取り出し、天井の発光石の光にかざし「まるで琥珀のようだ。どんな風に作った?」と続けた。
「竜人の作る龍酒をヒントに作りました。そして…………ここでは明かせないのですが、特殊な熟成方法をとっています」と俺は答えた。
「ハハハッ!そうか、すまんすまん。フェアではなかったな。君にとってはその製法こそが交渉のカードなのだろうしな。それにしても、ペルズブラッドがずっと昔に竜人に酒造りを教えたことがこんな形で返ってくるとはな」
危ないところだった、『七年間樽で熟成しました』などとここで説明しようものなら追求は免れない。
「お待たせ致しました」メイドが部屋に戻ってきて、純白のテーブルクロスの上に六つのショットグラスと水差しが置かれた。
「あたしも飲めるなんてラッキー」ミルは嬉しそうに言った。
俺はコルク栓を引き抜きながら「先に申し上げておきますが、これは非常に度数が高い酒です。一気に煽らず、少しずつ口に運ぶことをお勧めします」と釘を指した。
やがて三つのショットグラスへ数十ミリリットルだけ琥珀色が注ぎ込まれた。
「まずは香りを」
そう言って俺はグラスに鼻先を近づけると、エルギン親子もそれに倣った。
「─────なっ……なんだこの酒は!」エルギン氏は声を荒らげた。
原料が同じであるはずの麦酒との対比。方や発泡の喉越しと癖になる苦味、方や芳醇な樽香と甘み。ウイスキーを知らないのなら衝撃を受けるはずだ。
「いい香り~!お菓子みたいな匂いがする」ミルはくりくりした目をさらに大きく見開いた。
「少しだけ口に含んで転がしてから飲み込んで、口内に残った余韻をお楽しみ下さい」
親子は好奇心が抑えきれぬ様子で、すぐさまグラスに口をつけた。
「んっ!」眉間に皺を寄せてミルが短く声を発した。
思っていたよりも度数が高かったからだろう。ただしその表情は次第に和らいだ。
「……すっごい強いお酒ですね……最初はびっくりしたけど、濃くて甘~い香りがして美味しいかも!」
「ははは、気に入ってくれて良かったよ」
俺はミルに笑いかけつつ、やけに静かなエルギン氏の方へ目をやった。彼はなんの声も漏らさずじっとグラスに溜まった琥珀色を見つめていた。
「エルギンさん、お味はどうでしょうか?」
少しだけ間を置いてエルギン氏は口を開く。
「……………………ショウ君、この酒はなんという?」
「俺の祖国の酒で、名前を"ウイスキー"と言います」自信を持って俺は言った。
「ウイスキー……か。結論から言おう、ワシは君にまた麦汁を預けようかと思う」とエルギンは静かに言った。
「ありがとうございます!」
この男が俺達が作ったウイスキーをどんな言葉を紡いで評するか興味を持たざるをえないが、この申し出が言外にそれが賞賛であることを語っていた。
「ウイスキーは大量生産に向く酒かね?」とエルギン氏。
「現状は『いいえ』とお答えするしかなさそうです。理由は二つあります」と俺は切り出した。
「ほう」
「まず一つ目ですが、原料に対して出来上がるウイスキーの量が非常に少ないことです。頂いた麦汁全てを使って作れたウイスキーはここへ持ってきたこれと、もう一本だけです」
「あの量の麦汁を全て使ってたったのそれだけ……どおりで香り高いはずだ」エルギン氏は納得したような表情を浮かべた。
「二つ目ですが、俺にしか作れないという点です」
「それは君が製法を明かそうとしないからではないのか?」
「いえ、俺の魔法でなければ駄目なんです。腐敗魔法は雑菌を異常増殖させて触れた有機物を腐敗させる魔法─────」
「ほう、君が闘技場で見せたと噂になった腐敗の剣のことかね」
「はい。俺はウイスキー作りにその魔法を使う時、毒性の無い特定の細菌にだけ作用させることが出来ます。そうすることによってやっと、この香り高さを生み出せるんです」
「製法に特別な魔法による処理が必要なわけか」エルギン氏は難しい顔をしながら顎髭を摩った。
もちろんだが、こんなものは時魔法をなんとか誤魔化すための真っ赤な嘘だ。
エルギン氏は空を仰ぐように応接室の天井をしばらく眺めて考えをめぐらせているようだった。




