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竜の手も借りたい

 

 次の日の午前中、久しぶりに一人でコットペルの街へ繰り出し、目的地に向かうついでに俺は酒場街を通った。


 例によって日中は喫茶店に転身した酒場の一席に腰を掛け、生野菜とチーズが挟まったサンドイッチを頬張る。水分を多く含んだ葉野菜が口の奥でしゃきしゃきと小気味いい音を立てて、ねっとりと濃厚で塩気の強いチーズが舌に絡まり、あらびき胡椒と一体になった香りが鼻腔を駆け抜けていく。

 間髪を入れず麦酒。少しだけ上体を反らし、光合成をする植物になったつもりで顔面に陽光を浴びる。真昼間から喉を鳴らして流し込む酒は愉悦と背徳の混合液だ。


「─────ふぅ……」俺は白い口髭を拭い、口内に僅かに残った余韻を楽しむ。


 炭酸ガスに刺激された喉はジンジンするし、胃はびっくりして飛び上がっているみたいだ。麦酒を飲み干し、もう一杯と行きたいところだがこの一杯だけで会計を済ませて俺は店をあとにした。


 昼はこれくらいでいい。経験上、昼間から深酒するとろくな事がない。それにこれから人と会うのに酒気を帯びていては失礼だ。




 見覚えのある鼠色の煉瓦と赤い屋根が印象的な家の前で立ち止まり、俺はドアをノックした。


 ほどなくして扉が開いて寝起きと思われる女性が顔を出す。


「ふぁい、どちら様で………」目頭を指の背でぐりぐり擦りながら現れたのはブレアだった。


「よう、ブレア」


「……しょっ!?あっあっ」俺の顔を認めたブレアは、真っ赤な顔でドアを乱暴に閉めた。


 彼女はセットアップと思しき七分丈のズボンと七分袖のシャツを着用していて、それらの裾は可愛らしいフリルになっていた。おそらく寝巻きを俺に見られたことが恥ずかしかったのだろう、可哀想なことをしてしまった。


 薄暗い人生を歩んで来たもので、親兄妹でない女性の部屋着を見たのは初めてかもしれない。彼女の恥じらいも手伝って、何やらこちらまで心拍が早くなった。


  この家は以前、カリラが()()()という老婆だった時分に住んでいた住居だ。時魔法による若返りを受けたあとは引き払われて空き家になっていた。その後、コットペルへの移住を決めた姉妹が何の因果かここを住居に選んだのだ。


 しばらく待ってもう一度ノックすると、少しだけドアが開き、隙間からブレアの困り顔が半分だけひょっこり顔を覗かせた。小動物みたいでなんとも愛らしい。


「いきなり尋ねてごめんな」


「あの……ショウ様……次にいらっしゃる時は先に仰って下さい……」


「ああ、すまん」どうやってだよ、と心の内で突っ込みつつも俺は返事をした。


 その時ブレアの後ろから「誰か来たのーっ?」とアソールの声が聞こえた。


「ちょっ、アソール!今扉を開けないで下さいっ!」


  無常にも押し開けられる扉。


「あっ!ショウさんだ!遊びに来たの?あがってく?」


「あなた、なんて格好で……」姉の表情に焦りの色が浮かんだ。


 それもそのはず、アソールはだぼっとした丈の長いシャツを一枚着ているだけで、()を履いていないみたいだった。つまりちょっとしたことで下着が見えてしまうような危うい格好をしている。



 ──────待てよ、下着だって?


 この世界の、あるいは竜人特有の女性下着は一体どんな形をしているのか。様々な文化や風土があって、そこに根付いたものはその土地の人間にとっては当たり前でも、外の世界からやってきた者の想像の域を簡単に超えていくことがある。そういった未知を『見てみたい』、これは健全な知的好奇心の範疇に収まっているはずなのだ。


 そして、その好機は意外にもすぐに訪れた。


「────大丈夫だよ、ちゃんと履いてるって、ほら」あろうことかアソールはシャツの裾をたくし上げた。


 俺の視線を瞬間吸引した彼女の下半身には、残念ながら彼女の言う通りしっかりと綿のショートパンツが着用されていた。


 莫迦な。こんなに口惜しいことがあるだろうか、いやない。ならばいっそ確かめなければよかった。


「あれ……?もしかしてショウさんあたしがこの下、下着だと思ってた?あちゃ~~~奪っちゃったかあ、夢」


 そうだとも。視線と思考力もだ。


「あの……ショウ様、一体今日はどんなご要件で?」開き直ったのか、ブレアは凛とこちらに向き直って訊ねた。


「実はちょっと頼みがあってな。どちらか一人でも構わないんだけれど、今日の夜にでも出掛けられないかな?」


「謹慎中ですので、コットペルから出なければ大丈夫かと思います」とブレア。


「じゃあ、あたしが行くー!」元気よくアソールは表明した。


「いいえ。アソールがショウ様に失礼をしてしまっては困りますのでここは私が」とブレア。


「あ・た・し!」


「私です」


 姉妹は俺そっちのけで互いに睨み合いはじめた。まずい、このままでは戦争に巻き込まれかねない。


「あーっと、俺としたことが忘れてた。二人とも来てもらわなきゃ困るんだった!」俺はわざとらしく大きな声で言った。


「ほんと!?」「本当ですかっ!?」揃ってこちらに向き直る姉妹。


「ああ、本当だとも。絶対に二人でないとだめだ。また夜に迎えに来るけれど、手ぶらで構わないから出掛ける準備だけしておいてくれないか」


「うん!」「はい!」


 全く可愛い奴らだ。人懐こい柴犬と遊んでいるような気分になる。


 踵を返し立ち去ろうとすると、不意にブレアが俺の服の裾を掴んだ。


「どうした?」


「…………昼間からお酒ですか、ショウ様」ターコイズみたいに蒼い瞳がこちらを窘めるように見つめていた。


 バレた。女性の嗅覚を俺は舐めていたかもしれない。


「あはは……悪い、昼食の時に我慢できなくて一杯だけな。臭ったか?」


「いえ、そういうことではなくて……ぜひ次は私達もご一緒にと思いまして」ブレアは口角を上げた。


「あ、ああ、そういうことか。もちろんだよ」てっきり怒られるのかと思い、上擦った声で俺は返事をした。


 俺はこのあと一度自宅へ戻り、コットペルの外れにある河原へタリスから譲り受けた四つの樽を小さな台車に乗せて運んだ。





 *

 *

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 *

 *

 *

 *

 *






「あ、ウッキーとカリラさんもいるじゃん」


 夕刻、日没を確認したあとに俺が姉妹を連れ立って人気のない河原へ向かうと、予定通りサルとカリラが待ち受けていた。


「こんばんは」いつものように礼儀正しくブレアは挨拶をした。


「うむ、揃ったようじゃな。小僧、それで何をするんじゃ?」


「なンにも知らずに着いて来たのかよ、あんたは……」


「そりゃ気になるじゃろ」


「その荷台にあるものは、樽……でしょうか?」とブレアは訊ねた。


「ああ、そうだ。ファニスの木で出来ている。今から二人には炎の魔法でこの樽の内側を黒焦げになるまで焼いて欲しい」


 俺がタリスの倉庫から見繕って持ち帰った樽は本来ウイスキーの熟成に使用される容量のものとは似ても似つかない非常に小さなものだった。

 熟成に使用されるものは通常二百リットル前後だが、今ここにある樽は小脇に抱えられる程度の大きさで、容量はせいぜい十分の一がいいところ。容量が大きいとそれを満たすだけの原酒が必要になるため、試作には小さい方が有利だと判断した。


「えー、なんか新しそうなのに焼いちゃうの?」アソールは樽の横っ腹を平手で軽く叩いた。


「ウイスキー作りに使う樽は内側を焦がして、酒に風味を移すんだよ」と俺は手短に説明した。


 熟成に使う新樽の内側を炎で焦がしてから酒を詰める手法は『チャー』と呼ばれ、アメリカを代表するウイスキーである"バーボンウイスキー"を作るのに必須とされている処理だ。


「ほお~~~。また変わったことをするのう。酒が焦げ臭くなったりはせんのか?」


「しない……はず。製法は知ってても作るのは初めてだから、まだどうなるかわからないんだ」


「今まで世界に無かったものをショウ様が創り出すと考えると、とても胸が踊ります。ぜひお手伝いさせてください」とブレア。


「もちろん、あたしもだよっ」とアソールもそれに続いた。


「ありがとう。それじゃあまずひとつやってみてくれ」


「あたしがやってみていい?」アソールは俺に訊ねた。


 彼女の申し出に頷き、俺は樽を荷台から下ろして、転がらぬよう河原の石を積み上げて土台を作ってその上に横たわらせた。


「難しいと思うが、内側を全体的に均一に焼きたい。出来るか?」


「うーん、自信ないけどとりあえずやってみるね!」


 アソールは樽に近づいて座り込むと、正面に向かって火炎を吹きつけた。樽を通過する炎は所々で渦を巻き、内側に暖かなオレンジ色の光源を作り出している。


「─────アソール、一旦炎を止めてくれ」


 樽の内側を覗き込むと、火炎の放射を直に受けている部分が特に黒く変色し、それ以外の部分はまだそれほど焼け焦げてはいなかった。


「このままだと均一にはならないな…………そうだ、樽を一定速度で回転させよう。カリラさん、念動魔力(サイコキネシス)でなんとかならないか?」


「なるほどのう。それくらいの重量のものなら造作もないことじゃ」とカリラ。


 流石巨岩で洞穴を塞ぐ女、頼もしい。


「よし、アソールはさっきまでと変わらず常に同じ場所を目掛けて炎を吹き付けてくれ」


「がってんだよーん!」


 数センチ宙に浮かび回転する樽、そしてその内側に炎を吐き続ける少女の姿は異様な光景だった。


 三十数ほどたった頃だろうか。樽の内側から焚き火を彷彿とさせるパチパチという乾いた音が聞こえてきた。


 もう数秒だけ待って「アソール、もう止めて大丈夫だ。カリラさん、川の水で消化を!」と促した。


 カリラの念動魔力(サイコキネシス)によって川から流水の塊が空中を流れ、あちらこちらに炎を残した樽の内側を拭って通り過ぎていった。


「顎が疲れるね、これ」アソールは顎関節のあたりを手のひらで摩りながら言った。


 俺はポケットから発光石のペンライトを取り出し、樽の内側に顔を突っ込んで至近距離から色や形状をくまなく確認した。


 樽の内側は真っ黒に焼け焦げた層が全体に広がっていて、表面は干ばつした大地のようにひび割れている。先程の弾けるような音はこのひび割れが起きる時の音なのだ。


「──────二人とも、完璧な仕事だ」


 アソールは得意げに鼻の下を指で擦った。


 この後、ブレアとアソールは適宜交代しながら、残りの三つに関しても同じように焼き付けを行い、ファニス・オーク樽の試作品は完成を見たのだった。

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