混ぜもの
死の館と化した転移魔法ターミナルを出て、俺とサルは建屋の裏手に回った。
「サル、人が来ないか見ていてくれ」建屋の背中に掌を当てがって俺はサルに言った。
「いいぞ、今なら大丈夫だ、やれ!」
「リワインド!」
時魔法が放たれた瞬間、俺とサルはその場から一目散に逃げ出した。
ターミナル全体を効果範囲に指定し、巻き戻しの時魔法を履行させた。密室状態で外からは内部の様子がわからないため、巻き戻しが露見する心配はほとんどない。
これでターミナル内で死んでしまった者は全員蘇るはずだ。
ただし時魔法は記憶まで巻き戻してしまう。転移魔法ターミナルの従業員はともかく、結果として六人の転移魔法官には地獄への片道切符を残すことになってしまった。
彼らは確かに蘇ったが、ロイグが盗んで行った刻印柱は戻らない。つまりうっかり転移魔法を使用してしまうとロイグの下へ転移してしまうのだ。
一応それを防ぐために転移室に書き置きを残してはみたが、好奇心や正義感で彼らが行動すれば、またぞろ命を落としてしまうに違いない。六人のうち一人でも多く生き残ってくれることを切に願うばかりだ。
その後、俺とサルはその足で最も混乱が激しい南に向けて進路をとった。
「知り合いッてなァどういうことだ」
「俺が竜人の里に居候していた時にちょっとした理由でカリラさんと一緒に龍涎浜という海辺に出掛けた時に遭遇した。シーズだろうが人間だろうが関係なく魔法力を吸い取って自分のものにしてしまうとんでもない奴だよ。カリラさんはあいつの一撃で戦闘不能になったんだからな」と俺は小走りで説明した。
「あの女ですら手に負えねェのか……」
「けれどこっちにも反撃の目はある。さっき蘇らせた六人の転移魔法官、誰か一人でも生き残って協力を仰ぐことが出来ればな」
転移魔法は術者が刻印柱に対して履行するものであり、その逆はない。つまり転移魔法官側が一方的に追撃を加えることが出来る。
「なるほどなァ、奴さんが何処へ隠れようが直通で追い討ち出来る切符ってわけか」瞬時に俺が言いたいことをサルは理解した。
「その通り。けれど、とにかく今はキャンベルの沈静化が最優先だ。ロイグのやつと同格がここに居るとわかった以上、楽観視は出来ない」
フルールモア・マーケットの区画へ入ると、露店のテントはもぬけの殻で、辺りには無惨にも力尽きた露天商やシーズの亡骸が転がっていた。
「こいつァ、結構犠牲者が出てるな」
「俺達が最初の報せを聞いてからもうずいぶん時間が経つ。あらかた相当し終えた後かもな」俺は希望的観測を口にした。
ロイグらの視点から想像するならばシーズ急襲の方は揺動で、当初の目的は混乱に乗じて刻印柱を奪取することに思える。もしこの予想が正しいなら、市街地で行われている戦闘は役割を終え、沈静化するのかもしれない。
さらに南へ進むとおぞましいキャンベル防衛の最前線が視界に入ってきた。膝から下を失いのたうち回る者、腸を晒したまま虚空を見つめる者、声を上げて味方を鼓舞する者、生死入り乱れた戦場がそこにはあった。
流れた血液が血溜まりとなって土の上にいくつも赤黒い斑点をつくっている。それはまるで黄土色を基調とし、水玉模様に装飾された絨毯のようだった。
そしてこの惨状を作り出したと見られる二体のシーズの姿は、黄泉比良坂を駆け上がって現れたと言われても信じてしまいそうなほど、妖怪変化の類にしか思えない威容だった。
俺が知るシーズと明らかに相違する点が俺にこの感想を抱かせたわけだが、これまでに遭遇したシーズは現存する生物の性質を持っているという共通点があった。少々手足の数が多かったり、歩く向きがおかしかったりしたことはあったが、常に単一種の生物の姿を保っていたという点において目の前の二匹とは明らかに異なるのだ。
片や、強靭な筋肉と毛皮に覆われ、尻から大蛇を生やし、蝙蝠の翼膜を持った類人猿。片や、しなやかな肢体に蟷螂の双鎌と艶のある漆黒の翼を持った馬。その妖怪の体躯は原種の馬や猿の二倍ほどもあり、それらの威容は地球上の神話を借りて形容するなら"合成獣"とでも呼ぶべき姿だった。
「─────貴様ら何をしている!死にたくなければ早く非難しろッ!!」鎧を纏った男はこちらに気が付くと怒鳴りつけてきた。
見たところその場でまだ戦えそうな者はこの男を含めて四名、地に伏している者の数の方が圧倒的に多かった。
その刹那、男がこちらへ気を取られている隙に馬型の合成獣が双鎌を振り上げて突っ込んできた。
真っ先に行動を起こしたのはサルだった。両腕に装着していたアコタイト製バングルが紐状に変化して男の腕を絡めとり、そのまま引き寄せて攻撃の射線から男を回避させたのだ。
俺は久方ぶりに腰にぶら下げた剣を抜き、すれ違いざまに時魔法を纏わせてこれを迎撃した。
堅牢な蟷螂の鎌が宙を舞う。通過して行った合成獣の悲痛な嘶きが木霊した。
「死にたくなければ余所見をするな。俺とこいつはコットペル自警団の者なんだが、あんたはここの自警団の人間か?」と俺は訊ねた。
「す、すまない、助かった。私はキャンベル自警団の団長を務めているダリウスだ。コットペルの自警団が何故ここに?」
「単なる旅行だ。手を貸すよ、状況を教えてくれ」
「それはありがたい!あとはこの二体だけだ。シーズの全数殲滅を目前に変な女が現れて、生き残ったシーズを合体させやがったんだ」とダリウスは憤った。
「変な女?」
「相棒、くるぜ」
サルの視線を目で追うと、蝙蝠の翼を使って空中に留まって静観を決め込んでいた合成獣がこちらに向かって拳を振りかぶったまま滑空してきていた。
「ちっと借りるぞ、つっても生きちゃいねェか」サルはすぐ側に横たわる死体へ手をかざした。
死体が纏っていた重鎧は彫金魔法によってたちまちサルの手元に流れ込み、瞬く間に分厚い盾に変化した。
鐘の音のように重厚な音が響く。
「うぐうッ!?」
俺とダリウスの前に立ちはだかって攻撃を受けたサルは強烈な攻撃の慣性に耐えられず後方へ吹き飛び、瓦礫に突っ込んだ。
「サルッ!!」
剛力を振るった空飛ぶ類人猿は再び空中へ戻り、こちらを挑発でもするかのように両手をぱちぱち鳴らした。
「って…ェ…ばかぢ……がよ……っ」
なんとか命はあったようだが、サルの身体はただでは済んでいないはずだ。
「待ってろ、今そっちに行く!ダリウス団長、あんたは達は馬の方を頼む。俺とサルであのクソザルを叩く」
「わかった!無理をするなよッ!」ダリウスはそう言うと、残り三名の部下を引き連れて馬型の合成獣の方へ走っていった。
これでいい、これだけ距離がとれれば時魔法の行使を誤魔化すことも難しくない。
「大丈夫か?」俺は吹き飛ばされたサルのへ駆け寄った。
サルはまともに返事も出来なかった。恐らく肋骨が肺に突き刺さって呼吸もままならないのだろう。
「今戻してやるからな」俺はサルの身体へ手をかざした。
「相……ッ、……しろっ」
次の瞬間、耳を劈く悲鳴が真後ろで上がった。
「─────わかってる、わかってるよサル。苦しいと思うけど、もう少し待ってくれ」
静かに立ち上がって振り返ると、そこには骨だけになった右腕を抱えて泣き喚く合成獣の姿があった。
「おい畜生、殴ってみろ。まだ左腕が残ってるだろう」ゆっくりと瞬きをしながら俺は挑発した。
この化け物は俺が背を向けたら追撃に移ると読んで、サルを修復する振りをして自分の背中側に時魔法を使って時間加速の空間を作り出しておいた。これはその結果だ。
「殴ってこないんだな?じゃあ治させてもらうぞ」言葉が通じているはずが無い相手に俺は語尾を強めた。
再びシーズに背を向け、屈んでサルの身体に手をかざした。
すると、またぞろすぐに真後ろで悲鳴が上がる。
「…………学習能力の無いやつだ。知能はあっても、知恵はないみたいだな」
両腕を失った痛みからかのたうち回るシーズを尻目に、俺はサルに巻き戻しの魔法を施してやった。
「ゲホッゲホッ…………テメーよォ、そんな口悪かったか?」
「お前がやられたから少し頭にきただけだ。早いとここいつに止めを刺す、今が好機だ。あの厄介な機動力を封じられるか?」
「あー……少しの間ならなァ」
「よし、じゃあ後方支援は任せるぞ」
痛みにのたうち回るシーズに追撃を加えるべく、俺は剣を握って前へ出た矢先、深緑の何かが視界を横切った。
不意に左腕に鋭い痛みが走る。狙ってやったのか反射的にかはわからないが、本体はのたうちながらも尻尾の蛇が俺の左手に食らいついてきたのだ。
「うっ……サル!」
俺の呼びかけに呼応するように後方から放たれた金属製のロープは蝙蝠の翼膜へ突き刺さり、左右の翼を縫いつけた。
痺れて感覚が無くなってしまった左腕を意に介さず、じたばたとその場でもがき苦しむシーズに対して俺は右手一本で剣を振り下ろした。
時間加速の時魔法を帯びた刀剣は、一太刀に巨大な体躯を両断すること叶わず、松葉おろしのような格好で内容物をぶちまけてシーズは死に至った。