竜人式降下
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一体何時間風を浴びたかはわからない。ともかく日は傾きかけ、薄暗さが目立ってきていた。
そんな折、前方に明かりが灯る大円が見えてきた。きっと平常時であればフルールモアのテント達が明かりで透かされて色とりどりの花弁となって瞳に映っただろう。
「こいつァひでェ……」
しかし俺の目に飛び込んできたのは花弁がいくつも剥がれ落ちたボロボロの大輪だった。シーズによる進行は南から行われたのか、白煙と燃え滾る炎が立ち昇っている。
《アソール、ブレア、聞いてくれ。一つ提案がある》魔法力を込めて俺は姉妹に呼びかけた。
《なんでしょう?》《なにー?》
《街から離れた場所に降りるのは時間が惜しい。だから、このまま都市の中心地に下りたいんだが、飛竜の姿では流石にきまりが悪い。龍鶴会合で俺達を迎えに来てくれた時のようにして俺とサルを抱えながら降ろせるか?》
それは龍鶴の丘で竜人たちが見せた人の姿を保ったまま翼だけを生やして着陸する、言わば"竜人式降下術"とでも呼ぶべき技術のことだ。
《恐らく可能かと思います》とブレアはすぐに答えた。
《うん、一人だけなら抱えて降りられると思うっ!》続いてアソールもそれに同意してくれた。
作戦はこうだ。
恐らく今キャンベルは逃げ惑う人々でパニック状態になっていると予想される。民衆の注意力が散漫な状態でこっそり中央区画の一番背の高い建造物、すなわちフルール商会の屋上に降下しようというものだ。人間、パニックに陥ると前後左右には目を配ることが出来ても、足元や頭上というのは存外に無警戒だったりする。
《落下距離を稼ぎたいから、一回上まで上がるよ!苦しいけど我慢してねっ!》と宣言し、アソールは最後の高度上昇へ移った。
聞き間違いでなければ、今落下と聞こえた気がする。そんな一抹の不安を憂慮する間もなく作戦はスタートを切った。
《おねーちゃんはショウさんを!》とアソールが姉に合図を送る。
不意に真後ろからするりと白い腕が伸びてきて、俺の身体を抱き寄せた。背中に柔らかな感触と、じんわりと暖かな体温を感じる。
《ショウ様、お覚悟を》その一言と共にブレアは身体を傾け、妹の背中から俺と共に虚空へ身を投げ出した。
真っ先に感じたのは自由落下に伴う内臓の浮遊感。遊園地の絶叫系アトラクションで体感するものに似ていた。尤もそれは厳しい基準の点検と安全装置によってなせる技だが。
「…………私、幸せです」ブレアは俺の耳元で囁いた。
心中でもしようかという台詞に毛穴から嫌な汗が吹き出す。
ブレアのような女性に後ろから抱擁されるなど、俺の方からしても幸せに相違ない。もしここが空中でなければなお良かったのだが。
「ブ、ブレア?!早く翼を!!」
「おっと失礼しました、あまりにも幸せな時間でしたゆえ、つい浸ってしまいました…」
ほどなくして彼女の背中に生えた竜の翼が空気を掴み、俺にとっての安全装置は上手く機能したみたいだった。
ほっとしたのも束の間、目の前ではさらに恐ろしい光景が展開されていた。
「オアアアアアアアアアアッ!!」それはサルの断末魔の叫びだった。
アソールはいつか俺にしたように、自分の背中に残されたサルの襟に爪を引っかけ、あろうことか真上へ放り投げたのだ。
そしてやんちゃな妹はそのまま飛竜化を解き、続いて翼を顕現させた。
「よしおいでっ!」アソールは両手を広げ、サルを迎え入れる体制をとった。
そのまま自由落下するサルを空中で、いわゆる"お姫様抱っこ"の形で受け止め、なんとか彼は一命をとりとめた。
考えてもみれば、サルが大声を上げたところに初めて立ち会ったかもしれない。闘技場でシーズに片足を食いちぎられた時ですらこの男は叫び声を上げたりはしなかったのに。
何やら大声でサルとアソールが言い合っているのが聞こえるが、俺には彼らが何を言っているのか理解できなかった。降下の最中、ブレアが後ろから俺の肩に顎を乗せて、ゼロ距離でお喋りしようとしてくるものだから、それどころではなかったのだ。
フルール商会の頭頂部が見えてくる頃には、街の様子も鮮明に確認することが出来た。フルールモアでの市街地戦闘がいたるところで起き、阿鼻叫喚の喧騒がそこにはあった。
「ふうっ、ありがとうブレア」
「いえいえ、こちらこそ」ブレアは気恥ずかしそうに赤らめた頬に両手を当てがった。
「テンメェふざけてンじゃねェぞ!!」サルの怒鳴り声だ。
「ごめんってぇ」アソールは困った顔で後頭部のあたりを指で掻いた。
「よし、この調子なら多分誰にも見られてはいないだろう。街の状況も気になるが、まずはハリスのやつを探す」
三名は俺の言葉に黙って頷いてくれた。
辺りを見渡すが屋上から下へ降りる階段は見当たらなかった。
「ショウ、あれじャねェか?」サルは屋上の角にある四角い金属製の床を親指で指した。
「これが昇降口か。内側から鍵がかかっているな。俺の魔法で……いや────」
「任せな」サルは昇降口と見られる金属板に手をかざした。
すると金属の板はまるで意志を持つかのように流動的にサルの掌へおさまり、球状を成した。
「わお。ウッキーやるじゃん」とアソール。
それを横目に俺は蓋の部分が除去されて四角く開いた昇降口へ両足を突っ込んで下へ降りた。
「わわわわわっ!!な、何者ですかっ!!」出迎えてくれたのは聞き覚えのある男の声だ。
座り心地のよさそうな椅子から転げ落ちた小太りの男は、今日の午前中にシャークトレードを押し付けたフルール商会の重鎮その人だった。
「無事みたいですね、ハリスさん」
残りの三名も昇降口から続々とハリスの執務室へ降りてきた。
「ショウ様、あなた方はなぜそのようなところから……」ハリスはやっと俺たちの存在を認知した。
「あんたに紹介してもらった教授に会いに行った後、キャンベルへの転移ができなくなってね。シーズに襲われていると聞いて飛んできたんだよ」と俺は説明した。
この場合の"飛んできた"という表現は二つの意味を満たす言葉だが、ハリスがそれを解することはない。
「転移が?でもそれなら一体どうやって……」
「まあそれはいいじゃないか。とにかく俺はあんたを助けるつもりでここへ来たってことだけは真実だ。ここは危ない、どこか安全な場所へあんたを移動させる手伝いをしよう」つくづく打算的な台詞だと俺は自分でも思った。
「私を助けに来てくれたというのは素直に感謝いたします。ですが私はここを離れるわけにはいかんのです。この下は現在シーズ殲滅の本部として機能しておりまして、もちろん指揮系統は自警団の連中ですが、フルール商会の長としてここに腰を据えて行く末を見守る義務がございます」と語尾を強めてハリスは語った。
「ハハハハハ!」俺はそれを聞いて笑うしかなかった。
「何故笑うのです?」ハリスは眉をひそめた。
信用のならない狸かと思っていたが、この男は実に高潔な人物かもしれない。やはり腐っても鯛、大きな組織の長たる精神は一本筋の通ったものだった。
この笑いはそれに引き換え浅ましく利己的な理由でしか行動できなかった狭量な自分に対しての嘲笑、自虐的な笑い。
だが後悔や反省はない。誰だって自分が真に大切だと思うものだけが大切だし、それ以外のものを抱えられるほど掌は広くない。それら以外を助ける時は判断基準が実利に流れざるを得ないことなど分かりきったことじゃないか。
極端な話を挙げるとするなら生前、地球のどこかに飢餓で苦しむ子供たちが大勢いるのにもかかわらず、彼らのために自分自身がとりたてて何もしなかったことと何ら変わらない。
もっと俺が精神的に若ければ、青臭ければ、全く別のことを考えたかもしれないが、俺はそのあたりどうしようもなく世間擦れしてしまった一人のおじさんなのだ。
「────それじゃあハリスさん、俺達はあんたが居るここへ奴らを近づけさせないようにせいぜい頑張るとしよう」と俺は勇敢な男に告げた。