フルールモアの夜
フルールモア・マーケットの酒場は、店舗を構えているわけではなく、いわゆる"屋台"のような開放的なものだった。
有り体に言って粗末なテーブルに粗末な椅子、料理も手の込んだものはひとつも無い。だが、こういう雰囲気もまたいい。何よりも屋外であることが、まるでお祭りにでも来ているような気分を掻き立ててくれるのだ。
「ほお~っ、皆さんコットペルからいらしたんですか。いやあ、こんなお美しい方を二人連れて旅行とは、本当に羨ましい限りですなあ」髭に泡を残したままハリスは言った。
横目で姉妹の方を覗うと、アソールは耐えきれず口角が上がってしまっていたし、ブレアは『そうでしょう』とでも言いたげな表情で瞼を伏していた。
「へ、おっさんはこいつらの面倒くささをしらねェからそんなことが言えるンだよ」とサルは嘲笑気味に言った。
「ウッキー?余計なこと言わないで」とアソールはサルを咎めた。
「ハハハ、仲がよろしいですな。コットペルと言えばついこの間、自警団が竜人の里と交流を持ったと、この辺りじゃ話題になりましたが何か生活に変化はありましたか?」とハリスは言った。
この質問をされた瞬間、四名の間に緊張が走った。要らぬことを言わぬように押し黙る姉妹、俺の言葉を待つように様子を覗うサル、そして頭が真っ白になった俺。
「あ、えーと、今はもう解任になったけれど、親善大使と秘書官がしばらくコットペルに滞在したよ。二人とも綺麗な女性の方で街にすっかり馴染んでいたよ」と俺は説明した。
話題が変わっているようで変わっていない。当の姉妹は綻んだ顔を見せまいと同時に他所を向く始末。
「そうですかそうですか。コットペルにお住まいの方は羨ましいですなあ。竜人の里への街道が整備されたとお聞きしましたが、何か通商を?」
「いや、今のところは許可を得た一部の者しか行き来出来ないことになっているから、物流まではないな」と俺は否定した。
「おや、コットペルへ行けば竜人の里から流れてきた品物が手に入るかもしれないと商魂に火がつきそうだったんですがね、残念です」とハリスは項垂れた。
「ハリスさんは竜人に対して、なんというか、抵抗感みたいなものは無いのか?」
後にして思えばかなり危うい質問だったと思う。
「抵抗感ですか……別にありませんねえ。私が子供の時分は極わずかですが竜人も一緒に暮らしていましたから。竜人の友達が山脈の向こうへ引っ越すと聞いた時は寂しい想いをしたものです……また手を取り合って暮らせる日が来るといいですなあ」とハリスは語った。
この時になってやっと身体の強ばりが楽になった気がした。この話が始まってから、この男が竜人に敵対的な人間だったらどうしようという思いが常にあったからだ。
「時間はかかるかもしれないがあなたのような人がいる限り、近い将来必ず竜人と人間は寄り添って生きられるはずだと俺は思う──────ハハ、なんだか話が堅っ苦しくなってしまったな」と俺は話題の方向転換を図った。
「いやあ、失敬失敬!私の方こそ興味本位で要らぬことを訊いてしまいました。今日はコットペルから遥々この街へと来られてお疲れでしょう、たっぷり飲んでぐっすり眠りましょう」ハリスはジョッキを前へ突き出した。
「そうだな!カンパ─────」杯を交わす瞬間、俺の手はある懸念によって止まった。
単なる勘違いや、考えすぎということもありうる。だが、どうしても引っかかってしまったのだ。
「ショウ様?どうされたのですか?」とブレアは心配そうな面持ちでこちらを見た。
「………………今日は?」言葉を雄武返しにして俺はハリスの顔を見た。
それは警戒していなければ聴き逃してしまいそうな一言だった。
コットペルからキャンベルまでの道行は、定期便でどうやっても二日以上かかる。それをこの男は『今日は』という言い回しをした。
"コットペルからの長旅でお疲れでしょう"だとか"馬車の旅で草臥れたでしょう"と言うのならば解る。
だが『今日はコットペルから遥々この街へ来られてお疲れでしょう』という言葉は反芻すればするほど、まるで──────
「少し、気を抜いてしまったようですな」そう言ってハリスは力なく鼻から空気を抜いた。
「おい相棒よォ、テメーそんな鋭いヤツだったか?俺ァ鳥肌が止まンねェよ……」サルは腕の辺りを摩っていた。
確かにこういったセンサーはいつもサルの方が敏感で、今まで幾度もそれに助けられてきた。けれども今回に至っては竜人に対する愛着という点で俺に軍配が上がったのかもしれなかった。
「─────見たんだな?俺達がここへ来たところを」
「おっしゃるとおりです」ハリスは力なく頷いた。
「えっえっ。なになに!どゆこと?」アソールは俺とハリスの顔を何度も交互に見た。
「つまり私達の素性をご存知で近づいた、ということでしょうか?」とブレアは言った。
「そういうことだろうなァ」とサルは肯定した。
観念したとでも言いたげに大きな溜息をついたあと、ハリスは再び口を開いた。
「実は私もコットペルからの定期便でこの街へ着いたところなのです。キャンベルの目と鼻の先、馬車に揺られてぼーっと空を眺めていたのですが、そこへ美しい蒼色の飛龍が二頭飛んでまいりました。私は御者に命じてあなた方を追跡したわけです、ショウ・カラノモリ様」
「俺のこともお見通しってわけか。それじゃあなんの目的で俺達に近づいた?」と俺はハリスを問いつめた。
憐れ、楽しいはずの飲みの席は既に尋問の場になってしまった。
「この際、はっきり言ってしまった方が良さそうですな。まず、騙すようなことをしてしまって申し訳ありません。私はフルール商会の会長をさせて頂いているハリス・ベイカーと申します」
「おいおいおいおい、テキトーなこと言ってんじゃねェぞおっさん。フルール商会って言やァこの街の元締めみたいなモンじャねェか」とサルは訝しんだ。
「これで信じて頂けますかな」
ハリスは懐から煌びやかな金属の装飾が施された手帳を取り出した。そこには金色の花弁が幾重にも重なった花のエンブレムが施されていた。
「こりャ確かにフルールの紋章だが……まさか盗品じャねェだろうな?」
「真偽はいいよ、サル。それよりも目的の方を早く言ったらどうだ?」と俺は急かした。
「それは……こんなところでするような話ではございません。もし明日になっても話を聞いて頂けるのなら、フルール商会をお訪ねください。その時は精一杯のおもてなしをさせて頂きます」言い終えるとハリスは席を立った。
「ハリスさん」
「なんでしょう?」ハリスはこちらに向き直った。
「さっき、竜人のことについて語ったのも全部嘘か?」
「今日私が偽ったことは『ダンバートとキャンベルの間で通商を行っている者だ』ということだけです、それでは」
軽く会釈をして、ハリスは革靴の踵を鳴らしながら夜の街へ消えていった。