宴もたけなわ
団長が会合の結びを告げてからほどなくして、ペルズブラッドの従業員と思しき女達が料理をテーブルへ配膳し始めた。
「なァ、相棒よ」
席から離れ、真っ先に俺に声を掛けてきたのはサルだった。
「久しぶりだな、サル。元気でやってたか?」
「それがそうでもねンだよ……早く帰って来てくれねェと────」
「ショウさーーん!」駆け寄ってきたのはアソールだった。
「アソール、会合の時以来だな。こっちの暮らしはどうだ?」
「超楽しい!!友達も増えたし!!ね、ウッキー」そう言って彼女は後ろから俺とサルの肩へ手を掛けた。
「ウッキー?」
「うるせェ、その名前で呼ぶな」とサルは不機嫌そうに俯いた。
「なんで?かわいいじゃん」とアソール。
なるほどそういうわけか。サルの立場上、彼女達を邪険に扱うなど許されるはずも無い。これはサルがアソールを懐柔したというよりは、むしろその逆なのだろう。
「なんで二人共そんなに仲が良くなったんだ?波長が合うようには見えないんだが……」
「まだコットペルに来て間もない頃にさ、お姉ちゃんが夜の街を歩いてみたいって言ったことがあったんだけどね、その時一緒に着いてきてくれたのがウッキーなの」とアソールは説明した。
「別に着いていきたくて着いて行ったンじゃねェよ……たまたま非番で、団長に命じられたから仕方なくだ。そしたら────あァ、ちょうどあんな感じだ」とサルは席に残されたブレアの方へ視線を移した。
視線の先には、自警団の者と思われる二人組の男に声を掛けられているブレアの姿があった。
「あの姫様はこっちじゃ相当な人気があるみてェでな。万事あんな調子でよォ、トラブルにならねェように俺が露払いしたってだけの話だ」とサルは語った。
「おっかしいなあ。顔は結構似てると思うんだけど、なんでお姉ちゃんだけあんなにモテるんだろ」アソールは首を傾げた。
確かにブレアは男性が憧れそうなタイプだ。淑やかな印象を受ける装いや品行方正な振る舞い、優しい顔立ちも手伝って清楚のオーラを纏っている。近くに寄ればいい匂いがしそうだ。
「しょーがないから助けてやるか~っ」
そう言ってアソールは喋喋喃喃とお喋りをしている姉に向かって大きく手を振った。
それに気がついたブレアは二人組の男に軽く会釈して席を立ち、こちらへ向かって歩いてきた。
「─────ショウ様、早くお会いしたかったです。先日は愚妹がとんだ失礼を……」とブレアは頭を下げた。
「あぁ、いや頭をあげてくれ、あれはあれで嬉しかったからさ」
想像した通りの丁寧な語り口調だ。
「次は私の背にも乗せて差し上げたいです」とブレアは顔を赤らめた。
「ああ、是非頼むよ」
思えば俺は今のところ女の背にしか乗っていない。『別の女のところに行くんでしょっ』というアルムの言葉が今になって俺の耳を痛くした。
「竜人の皆様、本日は遥々コットペルにお越しいただき、ありがとうございます。私、この街で酒造業を営むエルギンと申します。今宵は是非、手前どもの作った麦酒をご賞味ください」ハキハキとした男の声が広間へ響いた。
突き当たりの壇上に立っている初老の男が深々と頭を垂れ、脇には大きな酒樽が運び込まれていた。
「あれがペルズブラッドの操業者か……」
「ショウさんお酒大好きなんだって?今日は一緒に飲めるね」とアソールは屈託の無い笑顔で言った。
「そうだな。ずっと龍酒だけだったから、今日は楽しみにしていたんだ」
料理を配膳し終えたウェイトレス達が、今度は麦酒をテーブルへ運び始めていた。
「何度か頂きましたが、とても気に入りました。私たちもどこかへ座りましょう」とブレアは誘った。
テーブルにつくと、並んだ料理から立ちのぼる黒胡椒のいい香りが鼻をくすぐる。そして目の前に配膳される麦酒。
今日はこの瞬間のために一滴も水分を摂っていない。俺はウイスキー党だが、一杯目の美味さでビールに勝るものは無いと思っている。
乾杯の合図などはなく、もうそこらじゅうでジョッキを傾けていた。
「よし、俺達も飲もう」そう言って俺はジョッキの底でテーブルを軽く撃った。
「あっ!」アソールは目を丸くした。
「まあ。ショウ様、私達の作法をご存知でなのですか?」とブレア。
「アラドに教えてもらったんだ、今日はこれで始めよう」
「あァ?なんだそりャ?」サルは怪訝な顔をした。
「サル、これは竜人式の乾杯だよ。一人ずつ順番にジョッキを机に叩きつけて、全員が終わったら飲み始めるんだ。ちなみにタイミングが被った人は一度でジョッキを空にしなきゃいけないペナルティがある」とサルに説明した。
「へっ、とんでもねェな」
「ショウ様、私お酒は量を飲めなくて……私が音頭を取ってもよろしいですか?」とブレアは訊ねた。
最初はどうしてだかわからなかったが、すぐに意味するところを理解した。
この方式は一人がジョッキでテーブルを叩く動作から始まる儀式であるため、一番最初にテーブルを叩いた人にペナルティが課せられる可能性はないのだ。
「もちろん。じゃあブレアが音頭を取ってくれ」
こうして異種間交流の宴会は幕を開けた。
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料理と酒に舌鼓を打ち、まさに"宴もたけなわ"という状態になった頃、広間では俺達のように四、五人規模で小さなまとまりを作って歓談を楽しんでいた。
こちらはというと、サルは乾杯のペナルティで最初に一気飲みしたのが響いたのか、本物の猿みたいな赤ら顔でぐったりと壁にもたれかかって休んでいたし、一方その頃アソールは腕相撲で自警団の男達を負かし続けていた。
「ブレアの方が男共に人気がある理由がわかった気がするな」
「あの子は本当にじゃじゃ馬みたいなもので、お恥ずかしい限りです」とブレアは目を伏した。
「愛嬌があっていいじゃないか。大使として里へ向かう時。彼女のお陰で緊張がかなり和らいだよ」本心からの言葉だった。
「そう言って頂けると幸いです……そう言えば、今日は居られませんけど、秘書官の方は奥様ですか?」
説明するのが難しい質問だ。正直に話すとするなら"人生の先輩"というのが一番しっくりくる。
「カリラのことか。彼女はただの友人……いや、さしずめ姉みたいなものかな」
「そうでしたか、早合点してしまいました…………それならば問題ありませんね」そう言って彼女は俺の方へ椅子を寄せた。
「ブレア?」
「少々飲みすぎてしまったみたいで……少しだけ身体を預けさせてください」と哀願するような眼でブレアは言った。
「あ、ああ、構わないけど」
彼女の肩が触れている右腕が熱くなってきた。左胸は信じられないほど早く脈打ち、身体中の筋肉が硬直して思うように動かない。
「ふふっ、そんなに硬くならなくてもよいではないですか」とブレアは俺のすぐそばで鈴を転がしたみたいに笑った。
駄目だ、どうしよう。良からぬことしか考えられない。いや、むしろこの状況は、良からぬことをこそ考えるべきタイミングではないのか。
いやいや、違う違う違う。そんなことをしてどうする。せっかくまとまりかけた竜人と人間との関係を滅茶苦茶にしてしまってどうする。
この状態での沈黙は毒だ。とにかく何か言わなくては─────
「アッ、アノ、ブレアの角は、ちっ、小さくて可愛いな」
葛藤と逡巡の末、自分が捻り出した言葉が自分の耳に入って、俺は心底厭になった。
「まあっ……!嬉しい。私の角を褒めて下さったのはショウ様で二人目です」とブレアは瞳を潤わせた。
「へっ、へえ。一人目は?」
「父です……私とアソールは四分の一だけ人間の血が入っている影響で角の発育があまり良くなくて、でも父だけはこの角をショウ様と同じように褒めてくれたんです」とブレアは語った。
竜人側の大使はどういう選出方法をとったのか気にかかっていたが、彼女達姉妹は親善大使に選ばれるべくして選ばれたのだと合点がいった。
「────ふふふっ。人間と竜人の間に子が生まれるのがそんなに意外でしたか?」そう言ってブレアは前のめりになって俺の膝にそっと手を置いた。
不意打ちに身体中の毛がぞわぞわと逆立ち、俯瞰に戻りかけた意識を再び刈り取っていった。俺のような"死んでも治らない病"を抱える者にとってはこれが一番効く。
誘引されるようにブレアの眼を見つめると、彼女は瞳を閉じて頭を俺の肩に預けてきた。
ずっしりとした頭部の重みと体温が伝わってくる。もう無理だ、決壊する。
「あー!!おねーちゃんずるいっ!!」遠巻きから大きな声が広間に響いた。
声の主は腕相撲に興じていたアソールだった。まさに"鶴の一声"もとい、"龍の一声"とでも言うのが適切か。当然の如く一瞬にして広間の視線が俺とブレアに集中する。
しかし、聡明なブレアは俺に身体を預けたまま身動き一つとらなかった。まるで俺の弁明を待つように。
「……アソール、ブレアは眠ってしまったみたいなんだ。少し飲みすぎたかもな。頼めるか?」と俺は咄嗟に言った。
俺の事を完全に敵対視した眼差しの男衆の中から、アソールはやれやれといった表情でこちらに歩いてきた。
「もう~、しょうが────あれっ…………ふーん、なるほどねえ」姉の身体を支えて椅子に座らせた妹は、何かに気がついて小声で言った。
さすがは妹、姉の狸寝入りを看破している。
「は、はしゃぎ過ぎたんだろう、ゆっくり寝かしてやってくれ」と本当にはしゃぎ過ぎている方の女に俺は言った。
言葉の意図を汲んでか、アソールはアラドと団長に軽く挨拶をし、姉の身体をおぶって早々に広間から退散して行った。
奔放な妹と品行方正な姉というイメージは一番外側の殻であり、案外中身はそうとは限らないかもしれないと思った。
こうして俺の親善大使としての立場と貞操は辛うじて護られた。後者の方はドブ川にでも投げ捨ててやりたいところだが。