収穫の前借り
「────のう、小僧」
「どうかしたか?」
「材料に穀類が必要なのはわかったが、何故カビなんぞを使うんじゃ?カビと言えば食物が食べられぬようになってしまった時の目印みたいな存在じゃろうに」
「人間にとって有害なカビはね。だけど酒造りにおいては重要な役割を果たすんだ」
「混ぜるのか?」
「ああ。そいつらの働きがないと最終的にアルコールを精製することに繋がらないんだ」
正確に言うならば特別なカビ、つまりコウジカビはデンプンを糖へ変える『糖化』の働きをする。そしてシマキ氏が言っていたカビ蔵は、焼酎造りにおける"麹室"にあたるのだろう。
「ほお~、よくわからんが酒造りも結構大変なんじゃの」
俺とカリラは念動魔力の力を借りて、またぞろ空中遊覧を楽しみつつ東へ進路をとっている。
竜人の里はベンネ・ヴィルスの山際に位置し、少し足を伸ばせば最東端にあたる砂浜へ到達することが出来る。竜人のあいだでは"竜涎浜"という名前で親しまれているそうだ。
「む、もう見えおったぞ。苦労すると言っておった割には存外に容易い道行きだったのう」
前方の霞の奥にうっすら藍色の水面が透けて見えてきていた。
「そりゃあ、人間の脚ではという意味だと思うよ……」眼下に広がる針葉樹林を見下ろして俺は指摘した。
やがて二人は誰もいない真っ白で美しい砂浜に降り立った。
「さて、まずは探すところからだな」俺は懐から一枚の紙を取り出し、目を通した。
そこへ描かれていたのは、アラドが描いてくれたリュウゼンが実をつけた姿のスケッチだった。イネのように一度に複数の種子を実らせるらしいが、形状は『松ぼっくり』に似た形をしていて、種子は中心に集まっている様子。
「手当り次第に巻き戻して見るしかあるまい」とカリラは砂浜に根を下ろす植物達をぐるりと眺めて言った。
それから何種類かの植物に対して時魔法をかけ、季節を巻き戻してみたがスケッチに似たものは見つからなかった。
「くそっ……思ったより見つからないもんだな」
「海へ来るなど、幾年ぶりのことじゃろうか。天気も良いことじゃし水着でも持って来て波打ち際で遊びたかったのう」
「いやいや、遊びに来ているわけじゃないんだか────」
リュウゼンは同じ場所へ群生している植物だとアラドは言っていた。てっきり俺は砂浜で満潮時にだけ海水が打ち寄せる波打ち際に生えているものだとばかり思って砂浜にだけフォーカスして調査していたのだ。しかし、それでは種子が波や潮風に散らされてしまい、群生していることの説明がつかない。
「カリラさん、少し後ろへ下がろう」と俺は提案した。
リュウゼンは海水が打ち寄せない土と砂が入り交じった陸地に生えているのでは無いかと思ったからだ。
結果から言えば、その予想は見事的中し、群生しているリュウゼン達を見つけることが出来た。背は高く無いが、俺が知るニラやススキのように薄くて細長い葉を横へ広げている。
それからは帯状に海岸線に群生したリュウゼンの時を進めて成長を促進させ、ひたすら念動魔力でちぎり取って収穫し、ひとつの所へ集めるという作業が続いた。
思いつきで行動した浅はかさか、この収穫作業に思ったよりも時間と魔力を割く結果となり、随時カリラの空になった魔力を巻き戻しながら、持ってきた大風呂敷をリュウゼンの実で満たした。
「小僧よ、もう少しで日が暮れる。そろそろ戻らぬか?」とカリラは疲れきった様子で言った。
「うーん、これで向こう半年分になるとは到底思えないけれど、ここまでにしよう」と俺も了承した。
いくら空の旅とは言っても管制塔や灯台があるわけでもないため、完全に日が落ちてしまえば迷走する可能性は十分にある。ここは一旦これを持ち帰るのが賢明だ。
そんなことを考えて上の空になっていた時だった。
「小僧ッ!うしろ─────」
「あがッ!!腕がッ、腕がアアア!」
右腕に激痛が走り、地面を血液が叩く音が聴こえた。右下へ視線を移すと、あるはずのものがそこにない。
痛みに顔を歪め振り返ると、そこには人間大の甲殻類が佇んでいて、例のごとく真っ黒な体表をしている。そいつの右の鋏に俺の右腕はぶら下がっていた。
「くっ…………リワインド!」
すぐさま巻き戻しの時魔法を詠唱。右手が再生した直後、シーズは突風にでも煽られたように砂浜の方へ吹き飛んだ。
「大丈夫かっ!小僧」カリラが駆け寄ってくる。
「ああ、すぐに巻き戻したから大丈夫だ、ありがとう」
「アアアー!ウデガッ!!ウデガーーーッ!!」カリラは大袈裟に右腕を押さえて俺をからかった。
「やめてくれよ、右腕がちぎれたら誰だってパニックにもなるだろ。さ、荷物をまとめて早いとこ帰ろう」
「どうもそうはいかんみたいじゃぞ」心底面倒そうにカリラは言った。
「ち、魔法の気配に誘われたか…………こいつら、蟹のくせに前歩きしやがって」
緩やかに傾斜している砂浜から、先程の蟹型のシーズが十数匹にも及ぶ徒党を組んでこちらへ上がってきていた。