龍と鶴
眼下に広がる雄大な景色、それをこんなに早く見ることになるとは露ほども思っていなかった。
《ねえ、ショウさんって呼んでいー?》どこからともなくアソールの声が聞こえた。
左右を見ても当然何者も居ない。
《あっはは!そっかあ、アルムはまだ出来ないんだったっけ。竜人族はね、背に乗せた人と魔法力で会話できるの!あたしに触れてる部分に魔法力を込めて念じると話せるよっ》とアソール。
彼女の微細な鱗で覆われた首筋に掌を起き、魔法力を込めてみる。
《これでいいか?》
《そ!上手い上手い》
《─────これは便利だ。可愛い女の子の背に乗せてもらい、その上に会話が楽しめるなんて。もうしばらく竜人の里に到着してくれなくていいとすら思える》と俺は噛み締めた。
《ちちちょ、漏れてる漏れてるっ!!なんか良からぬ考えが漏れちゃってるからっ!!魔法力込めた状態で考えたことは、そのままあたしに伝わっちゃうからね!?》
《あっ》
《あっはははは!まじウケんだけど!ショウさんって意外とオジサンみたいなこと考えてんだね》とアソールは鋭い所を突いた。
《あ、いやこういう機会はあまり無くてつい……この件を御破算にはしないでくれっ!頼む!》
そう言ってから、いや飛龍に変身した女性の背に乗る機会など通常は一度すらない、と思い直した。
《別に気にしてないからだいじょぶだって!それよりさ、人間の世界のこと教えてよっ!あたしずっと憧れてたんだあ。だからショウさんのおかげであたしらが人間と協力するってなった時さ、めっちゃ嬉しかったの!》とアソールははしゃいだ声で話した。
《ありがとう、俺にわかることなら喜んで》と俺は答えた。
それから可能な限り彼女に人間達の営みについて話した。そうは言っても俺自身まだこちらの世界の常識を殆ど知らないため、トラッドとは別の国から来たという断りは入れておいたが。
─────先程、彼女は"人間の世界"と言った。
アソールにとっての"世界"はあの山脈の向こう側にある小さな小さな土地にしかないのだろう。
そして彼女はきっと戦争を知らない若年の世代。俺にしても地球においてはそうだったはずで、かつては同胞を殺しあったはずの国々と友好を結んでいる国の未来に生きていた。
過去は変えられないし、罪も消えることは無いけれども、『国』や『人種』を主語にして語ることの危うさ、そしてそれは時代によって雲のように印象を変えていくものだとアソールは今一度思い出させてくれた気がした。
竜人の里へつくと先日目にした家屋達は倒壊したまま土砂に埋もれている様子で、やはりシーズの作り出した洞穴から断続的に流れ出てくる水流によって里の何割かは居住地として使えなくなってしまっているようだった。
会合を行う公会堂までの道行、老若男女の竜人達がパレードを見守る観衆のように道の脇から俺たち十一名の歩みを見つめていた。手を振る者、笑顔で見守る者、憎しみに満ちた眼差しを向ける者。
そして、
「ショ────────!!!!」後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
それに応じて振り返ると、小さな脚で懸命にこちらに走ってくる女の子がいた。忘れるはずもない、あの愛くるしさを。
「アルム───────!!!」俺は彼女を受け止めて抱き上げた。
「こ、こら、大人しくしていろと言ったはずだろアルム!カイルのやつは一体何を……」とアラドは慌てふためいた。
「ショウ、おかえりっ!!」向日葵みたいな笑顔だった。
嗚呼、この笑顔を護るためだったら俺は何だってする。死んだって構わないんだ。
「ただいま、アルム。いい子にしてたか?」
「してたっ!」
「嘘をつくなッ!!今日は邪魔にならないように夜まで家に居なさいと言ったじゃないか!」とアラドは彼女を睨みつけた。
民衆の笑い声がそこかしこで聞こえた。きっとこの統治者は同胞に認められ、親しまれているんだろう。
「アルム、お父さんを困らせちゃダメじゃないか。後で必ず会いに行くから今は、な?」アルムを降ろし、頭の上に優しく掌を置いた。
「うう。わかった、待ってる」
「マクリー、申し訳ないのだが、娘を家まで送り届けて貰えないか?」とアラドは若者に命じた。
「分かりました。さ、アルム様、行きましょう」マクリーはそう言って悄気返るアルムの手を引いて人垣へ消えていった。
「自警団の方々、とんだ粗相を」アラドはこちらへ向けて頭を下げた。
「いえいえ、こちらの者とご息女が友好的な関係を築けて居るようで、安心しました」とフィディックはフォローを入れた。
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公会堂は毛の短い絨毯が敷かれて居るだけで、机などはなくただただ広間だった。
「机や椅子が無くて申し訳ない。ここに脚を崩して円を描いて座り、くつろぎながら話し合うのが我々の文化だ。是非楽にしてくれ」とアラドは説明した。
この土地の文化に従い、両陣営は円を描いて絨毯の上に腰を下ろした。
「さて、まずは我々の里へ赴いてくれたこと、このような会合を取り計らってくれたことへ深い感謝を」とアラドは切り出した。
「先程見て貰えたかと思うが、やはり手を取り合うことが決まった今でも、人間をよく思わない民もいる。正直な話、私も族長という立場がなければそちら側に類する竜人だ。しかし、新しい世代になるにつれ、そういった感情が薄れていることも事実。人間憎しを貫き通すより、これからの子供たちのためにより良い関係を築きたいと考えている」とアラドは続けて語った。
「人間の平和はあなたがた竜人の温情と高潔さの上に成り立っていることを、市井に生きる者達はほとんど知りません。我々の愚かな同胞達が迫害や差別をしようとも、竜人は決して人間に敵対しませんでした。人間全体へ目を向けて頂けなくても構いません、今目の前にいる一人一人を、大使様と秘書官様に置かれましてはコットペルの住民を、その慧眼で見識して頂きたく存じます」とフィディックは応じた。
竜人族長とコットペル自警団長は誰に言われるでもなくその場に立ち上がり、中央に向かって互いに歩み寄った。
真円の中心で交わされた握手は、ここに"龍鶴会合"の実現を果たす象徴だった。