見舞い
水源の調査という皮を被った大冒険からコットペルへ戻り、一週間ほどの時が経った。
こちらの身に降りかかった困難から考えれば、全員無事に戻って来ただけでもしめたものだと思いたいが、河川流量の減少にフォーカスすれば結局問題は棚上げになっている状態だった。
それでも、全く良い方向へ歩みを進めていないというわけでもない。
「なあサルよ、暇だな」
「ここに立ってりャ、結構なカネが貰えるってんだから俺ァいい気分だぜ」サルは不敵に笑った。
俺とサルは無事に自警団の平常業務に移ることが許され、今はコットペル南門の両脇に佇む仕事をしている。
「フィディック団長が都へ向かってから何日くらい経ったけな」
「五日だな。そろそろ帰ってくンじゃねェか?」
「承認してもらえるといいんだが」
フィディック団長を動かしたのは、アラドがしたためた書状の効力によるものだった。
彼が書いた書状の内容は自警団員が竜人族と接触を持った正当性を主張し、俺たちを護る目的の文言のほか、ある提案を含んだものとなっていた。
それは『ベンネ・ヴィルス山脈における水系の回復のため、コットペル自警団及び竜人族、双方の労働力を統合した組織を一時的に発足させることを立案する』というものだった。
麦酒造を主として経済活動を行うコットペルは河川流量が減ることによって不利益を受け、竜人の里は土砂災害や洪水によって被害を受けているため、これは双方にとってメリットのあるものだと主張したのだ。
フィディック団長はこの書状に対して肯定的な意志を示してくれたが、トラッド国の法律に抵触する前提の提案だった以上、イチ自警団として合否を発言することは許されず、中央議会にかけられることになったわけだ。
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「あっ!ショウさん、お話聞きましたよ。大変でしたね」と番台の女は言った。
彼女は俺が足繁く通う大衆浴場を経営している女性で、名前を『ミル』という。
「聞いたって、何がだ?」
「禁足地に行ったんでしょ?」とミル。
このことは自警団の中でも一部の人間しか知らず、口外無用となっているはずだ。
だが、捜索隊の連中なども事情を知っているだろうし、人の口に戸は立てられないか。
「どこから聞いたんだ、そんなこと」と追及してみる。
「お兄ちゃんから聞きましたよ。竜人族の族長の方と一晩中飲んでたって」ミルはくすりと笑った。
おや、なんだかおかしい。そんなことはフィディック団長にすら報告していないはずだが。
お兄ちゃん?
「ミル、そのお兄ちゃんというのはもしかして─────」
「え?一緒に任務に行ったでしょ、ダフトお兄ちゃんと」彼女は首を傾げた。
ダフト。ダフト。ダフト。咄嗟に俺は目を閉じて彼の姿を思い浮かべるようと努力する。
ふっくら炊いた米にパリパリの焼き海苔を────おっと違った、これはおにぎりだ。
そうだそうだ、思い出した。ダフトとは俺を凶刃から護ってくれた末広がりの眉の心優しい男だったはずだ。
「君はダフトの妹だったのか……!?」
「そうですよっ!」ミルはにっこり笑った。
「腹違いの?」俺は食い気味に言った。
「同じ腹ですって!」
ミルは少し首を傾げながら上目遣いでこちらを見ている。これをされるとどうも俺は弱い。
「驚いたよ……無銭飲食で死刑になった時と同じくらいにね」
そう言って俺は逃げるように150Gを箱に入れ、暖簾を潜ろうとした。
「おい、どうしてついてくる」
「お兄ちゃんがお世話になったみたいですし、今日くらいお背中でも流して差し上げようかと……」頬を赤らめながらミルは言った。
「いっ、いいのか?」精一杯の威厳を保って俺は答えた。
「ふふっ、もちろんです。ではまた後で」彼女はひらひら手を振って脱衣所に消えていった。
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「─────ショウさんって学習しませんよね。ふふふっ」風呂から上がった俺を見て、女は鈴を転がしたみたいに笑った。
「俺をからかって楽しいか?」わざと怒気を強めて言った。
「ちょっとだけ楽しいです」
実は俺も楽しんでいるなどとは誰にも言えまい。
「そういえばこのところクレアのばあさんに会わないが、どうかしたか?」
「あっ……」それを聞いた彼女の笑みはすっかりどこかへ失せてしまった。
「何があった」
「クレアさん、ここへ来る途中で躓いちゃったみたいで……」
「悪いのか?」
「お医者さんは、もう歩けないかもって」
それ見た事か。元気に生活しているかと思えば、ちょっと躓いたくらいで寝たきりになってしまう、年寄りはいつもこうだ。
「─────ばあさんの家、わかるか?」
それから俺はミルにクレアが住んでいる場所を教えてもらい、帰りに寄ってみることにした。
大衆浴場からクレアの住居までの道程はそう遠くはないが、年寄りには少々厳しいと思われる急勾配の階段がいくつかあった。
恐らくこれらのどこかで転んでしまったのだろう。
「鼠色の煉瓦に赤い屋根、ここか」
クレアの住居は、俺の感覚で言えば戸建てなのが不思議なくらいに小さく、間取りが1Kのアパートの一室が、そのままそこへ置いてあるようだった。