優しいドラゴン
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翌朝、一人称が『私』に戻ったアラドと多少他人行儀な挨拶を交わしつつ、昨日話しそびれた当初の目的について俺たちは話し合うことにした。
「アラド族長、奥様、昨日は大変手厚いおもてなしをありがとうございました。重ね重ねになってしまって、申し上げにくいのですが─────」
「書状だろう」しかつめらしくデールが話し始めると、アラドは待っていたかのように言った。
「な、何故それを」デールは目を丸くした。
「昨晩、ショウから事情は聞いている。私達としても娘の命の恩人を無碍に扱うことは出来んからな。誠意は尽くさせてもらう」とアラドは語った。
アラドが言う書状とはもちろん、竜人族と接触した自警団員について、それが正当な事由にあたることを竜人族側から認めることを裏付ける内容のものだ。
「ありがとう、アラド。恩に着るよ」
「いい。だが、たまには顔を出せよ、娘がうるさくてかなわん」とアラド。
当の娘は今、俺のズボンにしがみついて泣きべそをかいていた。
「ショウ~~、もう行っちゃうの?明日にしよ?」泣き腫らした瞳でアルムは俺を見上げた。
この子の顔を見ているとついつい『もう一日だけな』と言ってしまいそうだ。
「随分懐かれたなァ、相棒」サルは嫌味ったらしく言った。
「サルはもう来なくていい……」とアルム。
「くくく……だってよ、サル」笑いをこらえてサルの方を見ると、彼は邪悪な顔で舌打ちをしていた。
「ほら、書状は昨日のうちにしたためておいた、持っていけ」アラドは麻でできた便箋をデールに手渡した。
「痛み入ります」とデールは武士みたいな台詞を吐いてそれを受け取っていた。
「時に、帰り路はどうするつもりだ?シーズが空けた穴はいつ崩落するか分からない以上、流石に避けた方がいい。山脈を南に迂回して陸路で帰る手もあるが、それよりもいい方法がある」とアラドは言った。
書状の件とは違い、これは昨晩聞かされていた話ではなかったために、俺も他のメンバー同様アラドが何を言っているのかわからなかった。
「それは、どういう意味だ?」
「アルム、今日だけは掟を気にしなくていい。乗せていってあげなさい」とアラドは銀髪の少女に告げた。
「え……いいの!?」翠色の瞳を爛々と輝かせてアルムは実の父を見た。
「すごい、まさかこんな機会があるなんてびっくりだよ~!」
「本当に何から何までありがとうごさいます」
「カハハッ、こりゃ一生に一度の体験になるなァ」
「サルは一番後ろだからね!!」アルムは膨れっ面で釘を刺した。
こいつらは一体、何の話をしているんだ。この様子だと解っていないのは俺だけか。
「ははは!ショウは知らなくて当然か。アルム、見せてやれ」
「ぁ……………………やっぱり、可愛くないからショウには見せたくない」と小声で呟いてアルムは下を向いた。
「そうか、じゃあ彼らは父さんが送り届けるとしよう」とアラドはわざとらしく言った。
「えーっ!だめ!」それを受けて焦った様子のアルム。
「なら、アルムが送り届けてあげなくちゃな」優しい父の顔だった。
アルムは決心したように顔を上げると抱っこをせがみ、俺が抱き上げると彼女は頬に短くキスをしてくれた。
「あれするとチュー出来ないから…………もう降ろしていいよ」呆気にとられたまま、俺はアルムを地面へ降ろしてやった。
すると少女の身体は眩い光を放ち、やがてその輪郭は大きく、強く変わっていった。光を失い、その変貌が終わった頃、俺達の目の前には翼を持った美しく巨大な白銀の龍が身体を伏していた。
「アルム……?この龍はアルムなのか!?」事態を飲み込めず、すぐさまアラドに解説を求める。
「そうだ。これは我々竜人族の特異な力。魔法力を使って一時的に飛龍の姿に変身することが出来る」とアラドは説明した。
後ろの連中も驚いてはいるが、俺よりも反応が薄いところをみると知っていたみたいだ。こいつらは人が悪い。
「アルム、背中へ乗せてくれるのか?」
白銀の飛龍はこちらへ長い首をもたげると、俺の股ぐらへ首を突っ込んで、無理やり最前列に俺を乗せた。
「うわあっ!」
「また来いよ、ショウ」
「ああ、近いうちに!」
他の連中もアルムの背に飛び乗ると、彼女は首を後ろへまわして全員の搭乗を確認した後、翼を左右に広げ、後ろ足で力強く大地を蹴った。
翼は羽ばたく度に空気を掴み、アルムと俺たちはあっという間に山脈の頂きが見える高度まで舞い上がった。
眼下にはベンネ・ヴィルスの雄大な尾根が見え、陽光を受ける麓の広葉樹林が鮮やかな緑の絨毯のようだった。
「あ!!アルム!!山脈の西側の辺りで一度降りられるか?」風に負けぬ大きな声で彼女に訊ねた。
アルムは短く甲高い声でひと啼きしてそれに答えた。
忘れてしまいそうになったが、俺たちはこのベンネ・ヴィルスへは馬車で来ていたはずだ。きっと丸一日待たされて二頭の馬は心細い思いをしているだろうと考えた。
しかし、結論から話すと、馬と馬車は俺たちが括りつけておいた樹木のもとには居なかった。これを見てデールは捜索隊が出動していることを確信し「今頃、大騒ぎになっている」と顔を青くしていた。
行き路には半日かかった道のりだが、アルムのおかげでわずか三十分程度の空の旅でコットペル近郊に戻ってくることが出来た。
龍の姿に変身出来る特殊な魔力。それは紛れもなく戦争の為に意図的に人間が備えつけたもの。そして戦争が終結し、身勝手にも人間達は彼らを恐れた。これでは恨まれても仕方がない。
しかし、竜人族は人間に対して反旗を翻すでもなくベンネ・ヴィルスの麓で静かに暮らすことを選んだ。人間を脅かすだけの戦力を保有しているはずなのにだ。これは彼らが平和を愛する人間達と何ら変わりないことの証明だと俺は思っている。
優しいドラゴンは別れ際、名残惜しそうに鼻先を俺の身体へ擦り付けて飛び去って行った。
こんなに寂しい気持ちになったのは初めてだった。