支配権失効
「痛ッ……無事か?」
「こっちはなんとか」とブローラは答えた。
ブレアの姿を探すと、さらに右手奥にあるオルガンの残骸の傍らにぐったりと横たわっていた。
「ブレアッ!!」俺は急いで駆け寄る。
「あうぅっ……」彼女は呻き声を上げて痛みに耐えていた。
防御に使用したと見られる両腕は袖がボロボロになり、その下の硬い表皮が砕けて、内側の筋繊維が露出するほどの損傷だった。
「ごめん、ごめんなブレア!」
「いっ、いいんです、ショウ様がっ……治してくれますから……」
俺は直ちに時魔法による巻き戻しを履行、ブレアの身体が受容したダメージはたちまち巻き戻っていった。
「ブレア、平気か?」
「はいっ!元気いっぱいです!」ブレアは可愛らしく両腕でガッツポーズをとった。
「戦略としては正しいけど、女を盾にして、本当にみっともない男ね……引くわ」ブローラは顔を引き攣らせた。
「そんなことはありませんよ、ブローラ様。私が死ぬ時はショウ様が死んでしまった時です。ショウ様がいる限り私が死ぬことはありませんから」
「はぁ、時魔法使いと怪人じゃ死生観も壊れるか……とにかくここから離れましょ。私達の手に負える相手じゃないことはわかったでしょ?」
白痴魔人から俺たちまでの距離は十メートル以上はにゆうに越えていたはずだ。これだけの距離を避けることもかなわぬような速さで遠距離攻撃が飛んでくるのだから、俺たちには為す術もないのはブローラの言う通りかもしれない。
ブローラはこの三人の中で唯一、中遠距離の攻撃が出来るが魔法の相性が悪く相手に効果は望めない。
ブレアは魔法力の流れを見ることが出来る分、残りの二人よりは回避の可能性があるが、基本的に接近しなくては攻撃が加えられない。至近距離においてもあの水撃を回避して近づかねば触ることすら難しい。
最後に俺だが、認識すら追いつかず脳天に風穴を開けられ、時魔法を使う暇もなくゲームオーバー。言うまでもなくこの中で一番の役たたずである。
「退却するのはいいが、一体こいつをどうする?あの超高速・超高圧で射出される水を防御することが出来て、かつ中遠距離から奴に攻撃を加えて倒すことが出来る術士なんて─────」
「ここにいますよ」教会の入口から男の声がした。
「貴方は……!」
そこにはキャメロンの指令によって北西エリアへ配置されていたはずのウィニーの姿があった。
「話は聞こえましたよブローラさん。どうやら相性が悪かったみたいですね」
「北西エリアに送られたあんたがなんでここに……」
「私が任されたエリアにも一体、白痴魔人が居ましたが、既に片付けられた後でした。だからすぐに南へと進路をとりました。ブリッジ嬢が戻るまでの現状把握でも、と思いまして」とウィニーは答えた。
「片付けられてたって、一体誰が?」
「貴方もよく知る方ですよ、番号持ちの頂点」
「うっ……!オーヴァンの爺さんか……この非常時にどこで何をやっているのかと思ったがしっかり働いてたんだな……」
「見たところ、ブレアさんの妹君も別の個体と戦っている様子。ここは早めに片付けて、加勢してあげましょう」と俺に向かってウィニーはしかつめらしく言った。
「いやいや早めにって、そんな簡単に─────」
「追撃、来ますっ!!」攻撃の気配を察知したブレアはが再び警告する。
次の瞬間、教会の内部に氷壁が出現、高速射出された水流は氷壁へ激突した瞬間から凍りつき、舞い散る水飛沫すら凍りついてキラキラと空中でダイヤモンドダストが舞い散った。
「確かに恐ろしく早い──────ですが、私の身体には決して届きませんね。皆さんはここで見ていて下さい、私がやります」
ウィニーはそう言ったあと、よく手入れされた革靴の踵を鳴らしながら教会の外へと歩いていく。
「任せた方がいいわ」ブローラは今にも飛び出していきそうなブレアに釘を刺す。
「さて、始めましょうか」ウィニーは全く歩みを緩めずに、白痴魔人に向かって行った。
当然のごとく白痴魔人はこれを迎撃。射出された水流は尽く空中で凍りつき、凝結した氷の破片がウィニーの足元へ散らばっていく。
「普通水を射出しても、収束された状態でここまで遠距離に届くことは有り得ません。すぐに空気抵抗によって拡散し、殺傷力は殆ど無くなってしまうはずです。さしずめ水流魔法によって射出後の水を収束させているんでしょう。糸のように細く収束した水であれば、水そのものを伝って遠方まで魔法効果を伝えることができますからね。しかし凍りついてしまえば私の領域です」
「凄い、あの手の付けようがない高速射出を正面から……」
「“支配権失効”─────実践で用いられたのを初めて見るわ」ブローラはぽつりと言った。
「ロスト...なんですか、それは」ブレアは首をかしげた。
「魔法学の基礎用語よ。例えば私の大気魔法は空気を支配し、操る魔法。でも敵の空圧魔法にしても対象は空気じゃない?こんなふうに同じものを対象にする魔法の場合、魔法力が強い方が支配権を得る。加えて、支配対象が別の何かに変質してしまった場合、支配権を完全に失うことになるのよ」とブローラは説明した。
「ウィニーさんが水を凍りつかせた瞬間から、それは水ではなくて“氷”になってしまったから、あの白痴魔人には制御出来なくなっているってことか?」
「そういうこと」
そうこう言っているうちに、ウィニーは悠々と敵のすぐ目の前まで到達していた。
「知っていますか?水が凍りついた時の体積膨張率はおよそ1.1倍だそうです。どうですか、内側から圧力をかけられるご気分は─────おや、無視とはつれませんねぇ」
白痴魔人はあっという間に透明度の高い氷の中に閉じ込められ、活動をやめていた。
ウィニーは仕事を終えると、先程と同じ速さでこちらへ歩いて戻ってくる。
「ブローラ、彼らが降下してきた時に迎撃したのは貴方ですか?」
「ええ、その後すぐに落下地点に向かって軽く片付けてやろうと思ってたけれどこのザマ…………そういえばその時、今上で戦ってくれている竜人の子とばったり会ったわ」
「アソールと会ったのか!?」
「あの子、そういう名前だったのね。そのアソールって子が大きな鳥型のシーズを引き受けるって言ってくれたから、私はそこのと一対一の戦闘に入ったの」ブローラは氷漬けになった白痴魔人を顎で指した。
「そうだったのか。降下してきた白痴魔人は、俺が倒したのが一体、ブレアが倒したのが一体、今倒したのが一体、さっきウィニーさんが言っていたオーヴァンが片付けたのが一体、と考えると、四体全て討伐したことになるな」
「ではアソールさんのもとへ急ぎま──────」ウィニーがその場を取りまとめようとした瞬間だった。
一本の光の柱が大地から天を衝き、アソールが戦闘中の巨鳥の翼を穿った。
「アァァソールちゃあああああああん!!その姿も最高に可愛いッスよおおおお!!」愚か者の声が辺りに木霊した。
「まったく─────この非常時にどこで遊んでるのかと思ったら……」俺は思わず目を覆った。