災いの嬰児
キャメロンの魔法によって王都北東へと転移した俺から見て南西側の方角、ちょうど先程まで居た議事堂のある中枢区画の上空あたりから、異形の人影が四方向へ別れて降下したように見えた。
その降下の最中だった。突然四体のうち一体が重力に逆らって上向きに吹き飛び、上空で旋回を始めた飛行体に命中すると、両者は郊外にあたる南東エリアへ墜落していったのだ。
「今のは─────」
大地を穿つ衝撃と破壊音に、俺の注意は空から眼前の敵へと移った。間髪入れず、俺の目と鼻の先に一体が着地、建築物を滅茶苦茶にしながら地面に激突したのである。
ボウモアが言った『アタシには交戦の意志はないわ』という言葉の真意、それは彼女が言いそうな言葉に直すのなら『アタシは戦わないけれど、アタシの子供達はどうかしらね』と言ったところだろう。
しかしその一体は着地後、巻き上がった砂煙の中から姿を現すことはなく、視界が晴れても全く落下地点から動かずにいた。
「何だ、こいつは……シーズか?」
その異形は着地前、確かに人型のシルエットだったはずだが、今彼は巨大な一本の樹木となってその場に根を張っていた。枝の伸び方から分類するなら広葉樹であるが、全く葉は見られず、枝の節々には紫がかった無数の蕾がついていた。
植物のシーズ────では恐らくない。原因菌となる“S株”とやらは腸がある生き物にしか作用しないとデイブが言っていたからだ。ならば一体こいつはなんだ、と俯いて考え込んでいた俺は、不意に何かが弾け飛ぶ音に驚いて顔を上げた。
「うわッ!?」
無数の蕾達は、熱したフライパンに乗せられたコーンの様に次々と弾け飛び、その度にどろどろした内容液を広範囲にわたって撒き散らし始めた。うち何滴かはこちらへ飛んできて、咄嗟に障壁魔法によって防御し、間一髪命中を免れたが、その正体はすぐにわかった。
さすがに落下地点には人気はなくなっているものの、一本通りを隔てれば未だに避難民が往来していて、そこかしこから聞こえてくる彼らの呻き声や悲鳴が、その液体に決して触れてはいけないことを示唆していたのである。
「毒物……っ!」
俺は根を据えた大樹に迷わず真っ直ぐ向かっていった。言うまでもなく活動を停止させるためだ。この大樹をこのままここへ置いておいたら一体どれだけの犠牲者が出るかわからない。
攻撃の様子で、俺はある程度この大樹の正体に見当をつけることが出来ていた。
まずは、あの毒物をばら撒く行動は魔法によるものだということだ。
断定する理由として、蕾ひとつひとつが魔力放射光によって弾ける瞬間に淡い光を放ったことだ。植物の生育をコントロール出来る“植生魔法”というのを先程図書館で目の端に捉えていたのが大きい。
しかし毒物の方は植生魔法の範疇では無い。それにしても、生き物として毒腺を持つか、魔法による精製を行っているかのどちらかだろう。
これらに結び付けて語るなら、魔法を使うことが出来る異形の存在は、怪人を除けば今まで一度しか目にしたことがない。ボウモアが白痴魔人と呼んでいた、シーズと人間を融合させた無知性の化け物。つまり俺の見識が正しければこいつの何パーセントかは人間で構成されているということを意味する。
毒物の中毒症状を巻き戻して無かったことに出来る点において時魔法は優位に立っているかと言えばその通りなのだが、実のところ毒物に対して時魔法は無力になる場合もある。意思決定によって発動が行われる以上、浴びた瞬間卒倒してしまうような薬物やガスなどには為す術もなくやられてしまう。
一撃すら許しては駄目だ──────
「アクセラ」
俺の敵意に気がついた樹木は青々とした蔓を無数に繰り出し、差し向けてきた。加速する思考、加速する身体機能の中、俺はその蔓を全て魔法無効化のベールを帯びた剣で叩き斬りながら前へ進む。
やがて大樹の懐へ到達すると、俺は時を十年巻き戻し、脅威は去った。しかし俺の心臓は休憩するどころか、さらに早く脈を打ち始め、額に嫌な汗が滲む。
「うぅッ……!なん……だ、これ」
俺の見立てでは、時を巻き戻せばドロナックの時のように人間とシーズへ分かれるものとばかり思っていた。しかしそこに横たわっていたのは、異形と化した人間の赤子だった。
「怪人の子供……なのか?」
いいや違う、そんなはずは無い。怪人に生殖能力があるのなら、カナが初めて怪人に会ってから、ボウモアとロイグ以外の怪人が全く増えていないというのは不自然だ。
駄目だ─────いくら考えても妥当な答えは出てこない。そもそもこの緊急事態にあれこれ考えている暇は無いはずだと思い直した。
まずは毒物を受けた民衆を─────いいや、違う。時間は有限なのだ、時魔法があれば今処置しなくても彼らは息を吹き返す。俺はヒーローでもスーパーマンでも無い。生命の重さが等しいなどと嘯いたりはしない。言うまでもなく、俺にとって大切な人間こそが、真に大切な人間なのだ。
眼前に現れた脅威は退けた。ならばほかの仲間はどうだろうか、今はそれを考えるべきだ。
サルは郊外の金物屋へ出かけてくると言っていたし、市街地へ駆けつけるまでは幾分時間がかかるだろう。カリラは恐らくホームにいるだろうから、この事態を知らない可能性が高い。そうだ、ブレアとアソールは今シーズ生態研究所にいる、怪人化したブレアの身体調査に協力するために。
俺は目の前の異形の赤子を抱き抱え、シーズ生態研究所へと爪先を向けた。姉妹の保護と、この赤子の正体をいずれデイブに詳らかにしてもらうためにだ。
その刹那、腹の底へ響くような龍の雄叫びが聞こえてきた。
「アソール!?」
その声は先程、巨大な飛行物体が墜落した方角から聞こえてきた。やがて青とオレンジに二分された空へ、見覚えのある蒼龍は飛翔し、姿を現した。その鉤爪には先程の巨大な鳥類と見られる生き物を鷲掴みにしている。
「やっぱりだ!おかしい、研究所があるのは中枢区画内だぞ!?どうしてアソールがあんな離れた場所から……」俺は歩みを止めずに空の戦いの行方を見守った。
やがてアソールは翼を駆使して空中で大きく縦にUターンして勢いをつけると、鉤爪で掴んでいた異形の鳥を、慣性を使ってさらに上空へ投げ出した。顎の内側に轟々と燃えたぎる炎を湛え、その鳥へ向けてアソールは一発の大火球を発射した。その炸裂の瞬間、薄暗くなっていた辺りは花火でも上がったかのように一瞬だけ強いオレンジ色の光で照らし出された。
しかし、撃墜したかと思いきや、巨鳥は爆煙の中から姿を現し、アソールに向かって降下し、両者は空中で衝突した。これを機に二頭は空中肉弾戦に突入する様相を呈した。俺はそれをしり目に、時を加速させ、風のように研究所へとひた走る。
アソールが戦っている巨鳥型はシーズなのかはたまたこの赤子と同族なのかは不明だが、ひとつ言えることはあの巨鳥が墜落した位置には降下中だったもう一体が、何かに吹き飛ばされる様な形で落下していたはずだ。
しかし、今アソールは単独で戦っているように見える。つまりもう一体は自由に行動しているか、あるいは目下で誰かが戦闘状態にあるということ。
研究所にいるデイブに、この謎の赤子を預け、南東へ向かい、ブレアと共にこのふたつの戦闘を支援する─────それが現在第一に考えるべきことだと俺は決定を下した。