尾行者
遅め昼食を済ませ、俺たちはその足で国立トラッド美術館へ向かった。
殆ど時間を潰すために立ち寄った美術館だったが、これが意外に楽しめた。この美術館には芸術畑の作品だけでなく、トラッドの歴史に纏わる展示品も多くあった。
トラッドの文化レベルに“写真”という技術はない。しかし、代わりに転写魔法がある。この魔法が転写したはるか昔のカラー映像は俺の心を踊らせた。地球では百年前の映像と言えばモノクロで、画質も粗悪なものしかない。しかしトラッドでは転写魔法が誕生した瞬間から、映像をカラーで写し取って残すことが出来ていたのである。
こういった感動をブレアとも共有することが出来たのが嬉しかった。竜人の里は禁足地とされていることもあり、外界から完全に分離している界隈。つまり人間文化の流れに対して著しく鈍く、有り体に言えば全員が世間知らずなのだ。
他にも、一番館と二番館を結ぶ連絡通路に展示されたトラッド王の肖像画には息を飲んだ。現国王と思しき人物が鎧を纏い、振るうことすら可能か怪しい大剣を垂直に地面へ突き刺し、その上に手を重ねて組んでいる迫力のある絵─────即位した時に描かれたのか、それは今の姿よりも随分若々しく見えた。
一通り展示物を見終え、俺達は一番館の二階にある木製のベンチで休んでいた。
「流石にあの二人もここまでは入って来ませんね」ブレアは突拍子もなく言った。
「あの二人?」
「お気づきでなかったのですか?私はてっきりあの二人を撒くためにここへ入ったのかとばかり……」
「尾行者か!?」
「尾行者……ええ、そうです。ショウ様、こちらへ来てください」
勅命の効力によって今や我々の一味は表向きトラッド側の勢力ということになっている。しかし、議会の連中などには未だに不信感を抱く者も多いはずだ。フェルディという男がそうであったように。監視の任に就いている者がいても何らおかしくは無い。
ブレアは戸惑う俺の手を引くと、開放されている二階のバルコニーへと俺を連れて行った。
「ここへ身をかがめてください」
俺は彼女と共に、せり出したバルコニーの壁面に身をかがめる。
「そこの格子から下の植木の辺りを覗いてみてください」とブレアは耳打ちした。
促されるままに、最大限の注意をはらいながら手摺子の支柱の間を覗き込んでみると、そこには意外な人物の姿があった。
「サル?とアソール?」
「ええ、あれで隠れているつもりみたいです」ブレアはくすりと笑ってみせた。
そこには植木に身を隠し、現在の俺とブレアのように身をかがめているサルとアソールの姿があったのだ。
「ずっと分かっていたのか!?あいつら、一体いつから……」
「最初からです」
「最初って、ダルモアのところの発着所からか!?」
「私が気がついたのは第一通りを歩いている時でしたが、おそらくは私達より後発の馬車で追ってきたのでしょう」
「ちっ、あらかたアソールのやつが面白半分で言い出したんだろうな。それにしても、どうして気がついたんだ?俺は全く気が付かなかった。アソールはともかくとして、サルはそういった隠密行動はお手の物だろうからな」
「私は目を凝らせば、ある程度近くなら物質を透過して魔法力の気配を感じ取ることが出来ます。魔法力の色味は人それぞれ違っていて、馴染みのある人間なら尚更その色を見るだけで判別がつきますから」
「ははっ、なるほど。見覚えのある色の組み合わせがずっと俺たちのあとを付けてきていたから気がついたってわけか。ちょっと行って散らしてくるか」
「ま、待ってくださいっ!このままではいけませんか?」ブレアは俺の手首を掴んで制止した。
「あ、ああ、構わないが、どうしてだ?」
「私達に見つかってしまっては、あの子達が二人きりで居られるのはここまでになってしまいますから。そっとしておいてあげましょう」
「二人きりって────えっ、えっ、あいつらそういう仲なのか!?」
「はあ……ショウ様は男女の仲に無関心すぎます」やれやれとでも言いたげに彼女は言った。
俺にとって鈍感さは防衛本能だった。誰の矢印が誰に向いているかを機敏に感じ取ったとしても、その矢印の先に自分がいることは決してない。そのことで精神が磨り減る恐れがあるならば、いっそ鈍感になるほうが気が楽なのだ。
「仲がいいとは思っていたけど、まさか恋仲だとは……」
「ふふっ……恋仲というほどではないかもしれませんが、サル様は存外面倒見がいい所がありますし、あの子に駄目なものは駄目ときちんと言えるお方。二人の間で何も明確には話していないでしょうけれど、きっとお互いに特別な感情があることは間違いないと思います」
「はあ~~、俺が言えたことじゃないかもしれないが、サルのやつはそっち方面は不器用そうだしなあ。よく見てるな、ブレアは」
「一度は皆さんから目を逸らしてしまいましたが、もう余所見はしませんからご心配なく」両の瞳は真っ直ぐに俺の目を見つめて、彼女は微笑んでいた。
館内に併設された珈琲店で一杯お茶をして美術館を出る頃にはすっかり日が傾き、薄暗くなっていた。そこで俺は夕食がてら行ってみたい場所があると彼女に提案をする。
バー・オニキス──────第一通りにあるひっそりと佇むオーセンティックバーである。
窓のない扉を開くと、ランプの暖かな明かりに照らされた店内は薄暗く、そして物静かで、客はみな一様に襟付きの服を着用していた。
二人掛けの席へ腰掛けるとマスターがやって来て丁寧な挨拶をした後、メニューを手渡してくれた。それに目を通し、注文を入れるとすぐにボトルとグラスが運ばれてきた。
軽快な音でコルク栓が抜かれたのち、釣鐘状の薄いガラスが流体のルビーを受け止め抱えて留め、葡萄酒由来の酸味と渋味を含んだ香りが鼻をくすぐった。