約束
俺は第一通りのとある店の前出足を止めた。
「どうしたのですか?ここは────婦人服のお店……でしょうか」
「ああ」
扉のガラス越しに見える店内には様々な服が木製のハンガーに吊るされていて、そのどれもが女性用であることはひと目でわかった。
「入ろう」
「あ、あの……お気持ちは嬉しいのですが、このような姿では試着も出来ませんし、その……こういったお店に入るのは避けておいた方がよいかと」ブレアは申し訳なさそうに申し出た。
「わかってるよ、洋服を脱いだり着たりする必要はない。試着するのは別のものだ」俺はブレアの手を引いて婦人服店の扉を開いた。
「あっ、ちょっと……っ!」
店内に入ると「いらっしゃいませ」と店主とみられる女性の声が聞こえてきた。
未だに気乗りしない様子のブレアは店内の壁面の様子を見て立ち止まり、やがて自らの意思で壁面へと歩み寄った。
「約束──────したからな」彼女の背中に向けて俺は言った。
「覚えていて下さったんですね……」ブレアの声は震えていた。
「覚えているさ、お前が唯一自分の意思で俺にねだったものだからな」
竜人の特徴である角を隠すためにブレアに買ってやったストローハット────キャンベルの一件でそれはズタズタになってしまい、彼女は俺の腕の中で新しい帽子をせがんだのだ。それに応えるのは随分遅くなってしまったが。
自信満々に『覚えているさ』などと言ったが、あれは殆ど嘘だった。別段、用意していた展開というわけではなく、単純にさっきこの通りを歩いていた時、窓越しに沢山の帽子が壁に陳列されているのが見えたからそのことを思い出したのである。
「帽子をお探しでしょうか?」女性の店主はこちらへ近づいてきて訊ねた。
「ああ、この服装に似合う帽子を探しているんだ」
以前ストローハットを買ってあげたのは、ブレアが好んで着ていたワンピースによくマッチングしていると思ったからだ。けれども、もしかすると彼女はもうワンピースを俺達以外の人前で着ることはかなわないかもしれない。
「それでしたら、こちらの形はどうでしょうか」店主は壁にびっしりと展示されている帽子のうちのひとつを俺に手渡した。
その帽子は半球形のフェルト生地で出来ていて、ブリムは下方へ垂れ下がっていて、一部分だけが巻き上がっていた。
「どうだ?」
俺がその帽子をそっとブレアの頭に被せると、彼女は近くに置かれていた全身鏡の前に立った。
「素敵です……これはなんという帽子なのですか?」
「これは“ロセスハット”というもので、もともとはお客様のような貴族の方が着用される帽子でございます。ですが、最近は貴族階級でなくとも被られる方もいらっしゃるようになりました。普段着に合わせても良いですし、もちろん正装に合わせても礼を損なわない帽子でございます」と店主は説明した。
どうやら店主は、その佇まいからブレアのことを貴族階級の女性と勘違いしているらしかった。
「この帽子が気に入ったか?」
「はい!」元気よく返事をして、ブレアはこちらへ振り返った。
「それじゃあ、同じ形の帽子の中で好きなデザインのものを選ぶといい」
「いえ、ショウ様が選んでください」きっぱりと彼女は反論した。
「え?でも、俺はあんまりそういうセンスは─────」
「別にどんなものでも構わないんです。私はショウ様が選んでくださったものを身につけていたいだけなんですから」柔らかな笑顔だった。
「……そうか、わかった。店主さん、頼めるか?」
「もちろんでございます」
それから婦人服店の店主は店内にあるロセスハットを集め、ひとつずつブレアに手渡してくれた。その度にブレアは、こちらを向いて照れくさそうに笑ったあと、ぐるりとその場で回ってみせた。
最終的に俺は黒を基調としたものを選んだ。鉢を囲うように白色のリボンがあしらわれていて、白い花を象った陶器製のビジューが着いている。
予想に反した価格に目を剥いたが、国王が気を回して交付してくれていた支度金のおかげでどうにか支払いをすることが出来た。これでしばらくは節約生活をしなくてはならない。それでも嬉しそうにロセスハットを被って婦人服店を出る彼女の顔を見ると、そんなことは瑣末事に思えてしまうのは、男の性だろうか。
それから二人は王都を歩いて散策し、正午を過ぎた頃、手近かなレストランに入った。
「王都のお店はどこも格式高そうで、なんだか緊張してしまいますが、ここは親しみやすい雰囲気で落ち着きます」ブレアは店内を見渡してから言った。
「そうだな。中枢からはだいぶ離れたし、大衆的な店って感じがするな。コットペルの飲食店もこんなふうだったなあ」
木製のカウンターとテーブル、椅子、調度品の類、それらの素材、あるいは施された装飾の多さ、客層、そのあたりを見ればすぐに店の格はわかる。俺もこれくらいの大衆店の方が落ち着く。ブレアにしても心根のほうはそうなのだろうが、彼女が放つ高貴なオーラが逆にこの場には、まるで闇夜の満月のように光り輝いて客の視線を集めていた。
「────あえっ、ひょうはん?」カウンターに並んで腰掛けた俺とブレアの左側、席をひとつ離れた所に腰掛けているキャスケット帽の女は、口の中のソーセージを咀嚼しながらこちらを向いた。
「カティ……か?」
「ンぐっ、ショウさんじゃありませんかあっ!やややっ、そちらのご婦人は…………もしや!」
「はぁ、あんたとはおかしな縁があるな。こんな所で何をやってるんだ?第一通りとは随分離れてるはずだが」
「今日は非番ですからね!」
「こちらの方は?」
「ブレアを追いかけて西海岸に置き去りにされた時に世話になったんだ。途方に暮れていた俺を馬車に載せてくれてな。結局その後一緒にキャメロンに捕縛されてしまったけれどな」
「そうなのですね。私はブレアと申します、ショウ様を助けていただいてありがとうございました」ブレアはカティに向かって軽く会釈をした。
「やはりブレア氏でしたかっ!お会いできて光栄ですっ」
「どうして私のことを?」
「こいつは新聞記者なんだ。『竜騎士の戰い』とかいうふざけた見出しを書いた張本人だよ」
「ふっ、あたしくらいジャーナリズムの神に愛されていると取材したい相手の方から懐に飛び込んできてしまうのですね……自分の才能が怖い、恐ろしいっ!」カティは帽子のつばを引きずり落として目を覆った。
「見ての通りちょっと変わったやつだ」
「あの、おふたりはどういったご関係でしょうか?」
「それはそれは深い絆で─────」とっさに俺は腕を伸ばしてカティの口を覆った。
「こ、こら、適当なことを言うな」俺はカティのやつを睨みつけた。
目を細めてこちらを見つめるブレア。
「あはは、冗談ですよっ」
「からかうのも大概にしろ。今日あんたの取材に応じる気はないからな」
「ええ~っ!そんなあ!お聞きしたいことがいっぱいあるのに」
「条件次第だな、こっちの取材に正直に答えてくれるなら、少しは喋ってやってもいい」