アポイント
「─────というわけだ」
「何処で油を売っているかと思えば、そんな事のために仮住まい造りも手伝わずにほっつき歩いていたというのか、このたわけめ」キャメロンは吐き捨てるように俺に言った。
まだ瑞々しい木の香りが漂う木造建築。巨木から切り出したと思われる一枚板のテーブルには切り株を加工した椅子が六つ備え付けられていて、その他の主要な家具や寝具などはダルモア邸から拝借したみたいだった。
椅子には俺も含め五人の仲間が腰を下ろしていた。
「そう言うなって、ダルモア卿と交わした契約があるんだから多少は目を瞑ってくれよ」
キャメロンは鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「ショウ様、こちらはご覧の通り一段落ついたのですが、何かお手伝い出来ることはありますか?」外の炊事場から人数分のスープを盆に乗せてブレアが現れた。
不思議なことに、彼女は人外の姿にもかかわらず白いエプロンが調和していて、ドメスティックなオーラを醸し出していた。
「また蒸留工程を手伝って貰うことになると思う。サルはポットスチルの精錬だ、材料はダルモアに頼んでおいた」
「そりャいいが、こいつの魔法は既に失われてンだぞ」ブレアを背中越しに親指で指しながらサルは指摘した。
「あ……そうだったか。それなら蒸留の熱源は一人で大変になってしまうかもしれないが、アソールにお願いしよう」
「がってんだよ~~~ん!ショウさんが魔法力を戻してくれるならヨユーヨユー!」からりとした様子でアソールは返事をしたが、ブレアは「お力になれず、申し訳ありません」と言って背を丸めてしまった。
「気にするなよ、ブレア。それにまだ色々と準備が出来ていないから、明日からすぐってわけでもないし、身構えなくていい」スープを啜りながら俺は言った。
「それなら小僧、明日は二人で気分転換に街でもぶらついて来たらどうじゃ?ブレアはこっちへ来て観光もしとらんじゃろ」
どうにかどこかで切り出そうと画策していた言葉を不意にカリラに言われ、俺は思わず目が泳いでしまった。
「し、ショウ様と!?ですが……この姿では……」ブレアは更に視線を落として小さく項垂れた。
いくら勅命によって法律上合法的な存在になったからといって、市井に生きる者はそれを知っているわけではない。例え明るみになっていたとしても民衆の意識はそう簡単に変化したりはしない。それは彼女も分かっているみたいだった。
「ローブを着ていれば首元までは隠れるし、心配ないだろう」これ幸いとばかりに俺は援護爆撃を投下する。
「ねーねー、もしかしてそれって、デート?」アソールはニヤニヤ顔で目を細めた。
「なっ、なにを言うんだアソール、俺は別にそういうつもりでは……」つい俺は嘘を口走ってしまう。
デート─────なんという甘美な響きか。俺でも女性をデートに誘ったことくらいは幾度となくある。その点では別段素人という訳では無いし、手慣れたものだ。問題があるとすれば一度たりともそれが行われたことは無いというだけだが、この際それくらいの懸念事項は些事と言って差し支えないだろう。
「デート……ではないのですか?」気がつくとブレアが身体をかがめて、横から俺の顔を覗き込んでいた。
しっとりとまとまって垂れ下がった髪、そして哀願するような眼差しと、少しだけ上がった口の両端。そのどれもが俺の左胸の速さを加速させた。この強力すぎる尋問官に対し、ついに偽り続けることかなわず、俺は観念して非常に小さな声で「いや……デートです」とだけ答えた。
「ふふっ、楽しみにしています」とだけ言い残し、彼女は踵を返すと、また外の炊事場へ向かった。
嬉しそうに歩調を弾ませる彼女の背中をじっと見つめている俺を、皆がじっと見つめていることに気がついたのは、彼女が勝手口から外へ出てからだった。
「─────なんだよ」熱視線に耐えきれず、俺はこの場に発散するように言った。
「まったく、擽ったくて見ておれぬわ」キャメロンは目線を外して言った。
例えば大切に思っている人物が世界中から爪弾きにされてしまったとして、同じ境遇へ飛び込んででも力になりたいと思い、行動できる人間が果たして世界にどれだけいるのだろうか。俺は人間に恵まれた。そのことを今一度噛み締めていた。身体は自然と椅子から立ち上がり、仲間に向けて「ありがとう」と言って深々と頭を下げていた。
「あたしもみんなには感謝してる!お姉ちゃんのためにありがとね、大好き!!」とアソールも同調してくれた。
「ふン……俺ァ拾ッた生命の使い道を決めてあるだけだ」とだけサルは言った。
「儂もじゃ。あのまま床に伏して死を待つよりは、お尋ね者にでもなって逃げ回っていた方が余程退屈せんわ」とカリラ。
「まるで大莫迦者の集まりだな─────しかし私も他人のことは言えぬか……」ぽつりと言ってキャメロンはどこかへ転移して姿を消した。
再び席について、配膳された押し麦のスープをまた一口啜ると、それはさっきよりも随分と美味しい気がした。
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
翌朝七時、俺は正門を出た所にある馬車の発着所に一人で座っていた。ここでブレアと待ち合わせをするためである。
寝泊まりしている場所が同じなのに、わざわざ待ち合わせをするのは不合理だと断ずることは容易い。しかし、こんな回りくどいことをする意味が俺にとってはあるのだ。今まで待ち合わせに女性が現れたことが無い俺にとっては、彼女が現れる瞬間ですら感動の一場面になりうる。
「だとしても、流石に早すぎたか……」俺は独りごちた。
先程から不思議そうに俺を見つめる守衛の男と何度も目が合っている。何故ならこの発着所へ馬車を手配した時刻は八時だからた。
しかも俺はこの状況を作るために午前四時に起きて仮住まいを出発している。そうでもしなければ、朝ブレアと顔を合わせて、挨拶のひとつでも交わしてから、揃ってここへ足を向けることになってしまうからだ。おまけにニヤニヤ顔をした野次馬の連中に見送られるなど、許していいはずがない。
そんなわけで、俺は十五分も歩けば正門につくところを、たっぷり二時間半ほどかけてダルモアの私有地を散歩し、現在に至るのだ。ばかばかしい話だが、ここへ着いた時にはもう足が笑っていた。
服装はやはり着慣れたワイシャツとスラックスに決めた。というか、これ以外に持っていない。
ブレアは一体どんな格好で来るのだろうかと、発着所のベンチへ腰掛けながら目を瞑って想像を膨らめていると、不意に正面から金属の音がした。俺も何分か前に近くで聴いていたからわかる、正門が開く音だ。
正門からゆっくりとこちらへ向かって歩いてきたブレアは、俺の隣へ腰掛けた。