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突沸

 


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 国王との談合を終え、久方ぶりに自然公園みたいな広さをしたダルモアの私有地に足を踏み入れ、栽培醸造所(ダルモア・エステート)へ足を運ぶとそこで意外な人物に会った。


「あーーっ!!大犯罪者はっけ~~~ん!」


「…………なんであんたがここにいるんだよ」


 ペルズブラッド酒造操業者の娘にして、混浴の魔力によって俺を大衆浴場の常連に仕立てあげた女、ミルがそこにはいた。彼女は桶の中の踏み板を懸命に足で踏み、その下にあると思われる葡萄を潰していた。


「なんではこっちの台詞ですよっ!大領主様から大口の注文を頂いて、喜び勇んで王都まで来たら、お尋ね者になってるしっ」


「あー……」


 ここへ召し抱えられたあと、確かに俺は長期的なプランニングについてもダルモアと話していたことをすっかり失念していた。試飲会のあと、ペルズブラッドと、ウイスキーの広報担当である彼女のことを紹介しており、麦汁の安定供給を画策していたのだ。しかしそれは転移網による物流が復活した場合の話で、今はまたそれが閉ざされてしまっている。


「それは悪い事をした……ところでどうしてこっちへ残ったんだ?」


「あたしもすぐ戻ろうと思ったんだけどね、父に『この仕事を成功させるまで帰ってくるな』って言われちゃったのと、大領主様にショウさんが帰ってくるまで待って居てやって欲しいと念を押されちゃって……」


 ダルモアのやつめ、離反した俺が戻るとも限らないのにしっかり手を渡しているとは、あんな風に俺を糾弾しつつもウイスキーのことだけは諦めきれていなかったと見える。


「それで結局、葡萄酒造りをさせられてるわけか」


「だってしょうがないでしょっ、働く場所がないんだから!それに、本当は貴族しか飲めないけど、ここで働いてるとこっそり美味しい葡萄酒が飲めるんですよぉ」ミルは頬に掌をあてがった。


 いやいや、手懐けられてどうする。


「─────もうどこへも逃がさんからな」後ろから男の声がした。


「おやおや、ダルモア卿、立ち聞きとは人が悪いですよ」


「私に何も告げずに失踪する奴よりは何倍も常識があるつもりだがな。さあ、さっそく作ってもらうぞ。ウイスキーをな」


「残念ですが、それは難しいかと。何しろ原料がございません。コットペルでウイスキーを作っていた頃は、ペルズブラッドのお膝元でしたから、麦汁の安定供給がありましたが、ここには麦汁はおろか、麦芽も、酵母もないし、それに長けた造り手も居ませんからね」


「あのー、ショウさん」


「なんだよ」


「あそこで小さな女の子と駆けずり回ってる男の人達、見えます?」


 ミルが指さした方向には確かに見知らぬ屈強な男が二人、ダルモアお抱えの使用人と思しき童女と楽しそうに遊んでいる。


「ああ。誰だ?あれは」


「あれ、うちの従業員です」


「へ?」


「あたしがこっちへ来る時、父に、麦汁は数日にも及ぶ輸送に耐えるものじゃないと指摘を受けたんです。だから輸送するのは麦芽と酵母のみにして、土地さえあれば王都で醸造所を構える方が現実的だってことで、ペルズブラッドの従業員を二人貸してくれたんです」


 さすがのエルギン氏も大領主ダルモアとのパイプを作れるとあらば本腰を入れざるを得なかったようだ。こうしてみると彼女の『父に認められたい』という夢は幾分か成就へ近づいているみたいだった。


「すると、ここにはペルズブラッドの麦芽と酵母も貯蔵されてるっていうのか?」


「はい、それだけじゃなくて、糖化や濾過に使う設備も隣の建物にあります。今はまだ着手したばかりですし、人員も限られているので小規模ですが……」


 確かに言われてみれば、石造りの建物がひとつ増えているような気がする。


「まだまだ必要なものはあるぞ。そもそも水はどうする?葡萄酒は果実そのものの水分が使えても、麦汁を作るには膨大な量の仕込み水を使うだろう、その点はどうする?こんな都市部に清らかな水が流れている河川があるとは到底思えないが」と俺は捲し立てた。


「莫迦を言うな、葡萄酒造りにも水は要る。一本の葡萄酒を作るのにその1.5倍もの清らかな水が必要と言われているほどだ。その点ももちろんクリアしている。水を浄化することが出来る者を雇っているからな」とダルモア。


「いわゆる濾過魔法ってやつです!コットペルの醸造所にも一人、浄化専任者を雇っています。割と見かける種類の魔法ですよ」とミルは補足した。


「濾過魔法なんてものまであるのか……ということはもしかして雨水でも使うって言うのか?」


「さっすがショウさん。察しがいいですねぇ」


 馬鹿な。冷却水として使用すると言うなら分からぬでもないが、まさか雨水を原料として酒を作るなんてことが有り得るとは。


「ま、まだだ。麦汁は造り手も環境も揃っているとして、蒸留に必要な単式蒸留器(ポットスチル)がないじゃないか」


「うーん、実はショウさん達が研究に使ってた御屋敷にお邪魔して持ってこようかと思ったんだけど、流石に重いし大きいしで、断念しちゃったんだよね」とミル。


「そうだろう、そうだろう」


「何を呆けている。居るではないか、その単式蒸留器(ポットスチル)とやらを精錬した男が。材料なら私が幾らでも用意してやる。政府の連中にしても、王宮にしても組織変更でゴタついている。数日はこれと言った指令も下らぬわ。時間は十分にあるぞ」


「まあ、少なくとも、オーヴァンのやつが十全に魔法を使えるようになるにはしばらく休養が必要だろうしな」


 ウイスキー造りは材料も環境もないのだから後回しと勝手に決めつけていたからか、俺は無意識のうちに消極的な姿勢をとってしまっていたが、今すぐにでもここでウイスキーが作れる────その事実が俺の意欲を突沸させた。


 それから俺は、ダルモアに大至急多量の()を集めるように要請した。純度は低くてもいいし、何かとの合金になってしまっていても構わない。今やサルはそれくらいの()()()()()は彫金魔法で器用にこなす。


 正式な住まいをダルモアが雇った建設技師や大工が建てるまでの間、仲間たちがスカイ島で臨時に建てたような木造の仮住まいを作っているのを横目に、俺は麦汁造りにかかりきりになった。


 ミルが連れてきた二人の屈強な男、ストラスとクライドは共に初老の男性で、逆三角形の筋骨隆々とした力強い姿とは裏腹に、麦汁造りに対して非常に繊細な()を持ち合わせていた。どちらもスキンヘッドで、背格好が似ているために兄弟かと思ったがそうではないらしい。


 ローランド産の大麦を発芽させ、焙燥したことでできる大麦麦芽が、栽培醸造所(ダルモア・エステート)の倉庫には貯蔵されている。焙燥後の麦芽は内包する水分量が低く、輸送や貯蔵に向いている為にエルギン氏はこの方法をミルに助言したのだろう。


 細かく砕いた大麦麦芽は温水へ浸漬される。麦芽に含まれる酵素がデンプン質を分解し、糖へと変化させる“糖化”工程を行うためだ。まずはここに時魔法が介入した。ストラスとクライド曰く、通常は一週間ほど時間を要すると言っていたのだが、これを一瞬にして終わらせると、彼らは驚いてひっくり返っていた。


 粉砕された麦芽の浸漬が終わると、水溶液は粘性を持ち、粥のようにドロドロとしてくる。これを濾過し、煮沸したものが俺がペルズブラッドから譲ってもらっていた“麦汁”になるのだ。


 過去に作ったクレインズは干しぶどうから採取した酵母を発酵に使っていたが、今回はペルズブラッド酒造が麦酒製造に使用している酵母が支給されているため、そちらを使う。こうした酵母の種類や、仕込み水の柔らかさなど、小さな製造条件の変化でウイスキーは全く味わいの違うものになったりする。


 前回ここで作って振舞ったウイスキーは、タリスのところへ樽を取りに行くことが出来なかったために、この醸造所で葡萄酒の貯蔵に使った樽を再利用(リフィル)することで完成させた。しかし今回はハイランド各地からダルモア卿が集めさせていた様々な葡萄酒樽のバリエーションがあるのだから、胸が踊らざるをえなかった。


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