愛と友情は忘却を知らず
ボウモアを撃退し、ドロナック隊を救出に成功した我々は、結果から言えばグレン・ボルカ麓の洞窟から一度撤退することを決めた。というのも、あの空洞の先、つまりボウモアが歩いてきた道の奥にはさらに続きがあり、洞窟の深部へと続いていたのだ。
ドロナック達と共に洞窟の深部へ進むと、行き止まりに突き当たった。しかしそれは物理的な、あるいは洞窟の構造上のものというわけではなく、端的に言えば白き壁が行く手を塞いでいたのである。
けれどもボウモアはこの道を通ってきたであろうことは言うまでもない。『怪人だけが影響を受けないのかもしれない』とブレアが言い出し、勝手に白璧に右手を突っ込んで酷い損傷を負ったところで、俺は引き返すことを提案した。聡明であるかのようで、大胆不敵な行動力を持つ彼女を叱り飛ばし、俺達は洞窟の入口へと戻った。
「これ以上は探索不可能ッスね」
「戦闘があった場所から先は、等間隔に発光石による明かりがあった。あれはどう見ても通路だ。グレンゴインに沿って出現している白き壁に突き当たったということは、殆ど峡谷に突き当たる位置まで入ったことになる。ボウモアが言い残した言葉で、峡谷に何かあるのは確実になったわけだし、どうにかあの先へ進む方法を考えないとな」
「─────ペリエ、ジュエ、グラン、ピティ、君らは外して下さいッス。馬車の荷支度でも整えていて欲しいッス」
四名は一様に返事をして洞穴から少し離れた場所に停泊させている馬車の方へ歩いて行った。
「なんでわざわざ人払いなんかするんだよ、ドロナック」
「聞かれちゃマズイ話をするからッスよ。忘れたんスか、心問魔法のこと」ドロナックは囁くように答えた。
「あっ。そういえばそうだったな。いや─────待てよ、だとするとお前もマズイんじゃないか?隊長なんだろ?真っ先に心問魔法にかけられるだろう?」
「そうなんスよ。さっきは持ち帰らせてくださいなんて言ったッスけど、よく考えたらショウ君達見逃したなんて記憶を持ち帰ったら俺がヤバイんスよ……」
「どうするんだ?一応打つ手はあるぞ。記憶を司る脳の部分に時魔法で巻き戻しを施せば今回のことも忘れて─────」
「ショウ君、それはダメッスよ。男には決して忘れちゃいけないものもあるじゃないッスか」やれやれとでも言いたげな表情でドロナックは俺の言葉を遮った。
「なんだよそれ」
「そりゃあ、愛と友情に決まってるじゃないッスか」
なんの臆面もなくそれを言うこの若者の真剣な顔を見て、俺は共感性羞恥で顔から火が出そうだった。しかし、同時に少し羨ましくも思った。サルとアソールは後ろの方でたまらず噴き出していたが。
「あ、あぁ、そうかもな」
「ところでキャメロン様、追放刻印の空きスロットは今どんな感じッスか?」
「限度いっぱいまで使っている。ひとつはショウに、もうひとつはサルへ付与している状態だ」とキャメロンは答えた。
「そうッスか。じゃあショウ君に付与してる刻印を解除して、俺に付けてくれないッスか?」とドロナックは提案した。
「何か考えでもあるのか?」とキャメロンはドロナックに問う。
「とっておきのやつがあるッス。みんな、大犯罪者になる準備は出来てるッスか?」
「あのー、ごめんけど、ドロっち、あたしたちもうとっくに大犯罪者なんだケド……」アソールは困った顔で言った。
「言い方を変えるッスね……国家転覆罪に問われる覚悟のことッス」
一堂はドロナックの意外な言葉に、口を『は』の形にぽっかりと開いたまま次の言葉を待った。
「俺はもう、この記憶を忘れることを拒否した時に、政府側に戻る選択肢を無くしてるんス。それを決めたんなら、できるだけの事をしてみようと思ったんスよ」
「ふふっ……あはははっ!」キャメロンは急に笑いだした。
「キャメロン様、どうされたのですか?」ブレアは心配そうに彼女を覗き込んだ。
「この莫迦者がこれから企てようとしているものが透けて見えてな、ふふふっ……可笑しくて、笑わずに居られるか」キャメロンはどこか自虐的に笑っていた。
「なんだよ、ドロナック。何をしようとしてる?」
「クーデターッスよ」
想像だにしない彼の言葉に、未だくすくす笑っているキャメロン意外は唖然として暫く言葉を失った。
「あ~~~可笑しい……この歳まで政府に犬のように仕え、国のために誇りを持って仕事をしてきたと自負する私が、この私の顛末がよもやクーデターとはな、くくくっ」
「まあでもそれは上手くいかなかった場合の話ッスよ」
「わかっている、会わせるつもりだろう?私達を」
「ええ、勅命発令権を持つトラッドの王に直談判するッス、皆さんと一緒に」
「あ、あの、私もでしょうか」ブレアは申し訳なさそうに声を上げた。
「もちろんッス。ていうかブレアちゃんが居ないとこの交渉は始まらないッスよ。政府側もブレアちゃんが元々善良な市民だったことは把握してるんスから、人間に協力的であることをアピールしなきゃいけないッス」
「直談判と言っても、些か武力的な弾圧にならざるを得ないぞ」とカリラは指摘した。
「それはそうッス。懐刀である番号持ちのトップを拘束中で、暗殺特務の筆頭も敗走。方やこちらは番号持ち級が俺を含めて四人、空襲可能な龍化魔法使い、怪人と同等の能力者、それに時魔法術士─────これだけ揃っていれば、十分に政府へ正面から立ち向かう力になるッスからねぇ、脅しと取られても不思議じゃないッス」
やれやれだ。順番が逆になってしまった。最初に死刑囚になってから、それに相応しい大罪を犯すなどあべこべにも程がある。
「ショウさん、どうするの?」アソールは俺に訊ねた。
額を集めた一堂の視線が俺に注がれるのがわかった。
「俺は、やってみてもいいと思う。実際に武力行使までするのはいただけないかもしれないが、直談判は悪くない。話し合いでどうにか出来るのなら、それに越したことはない」と俺は答えた。
それからドロナックは四日後の日没、追放刻印を使って全員で転移をして来いと言い残し、隊員と共に王都へと引き返して行った。
俺はクレイグの異空間でボウモアが俺に話した“暫定順位”のことについて考えていた。今回のことで、彼女達は人間を皆殺しにしてこの暫定一位を狙っているということがはっきりわかった。
今でも、いや今だからこそ、あの時俺自身がボウモアに語った人間の傲慢さ、そしてより傲慢な種が利己的な振る舞いを許されるということが芯から理解出来るようになった気がする。俺は再び俺を肯定する。
これは人間性の成長などでは決してないこともわかっている。もう綺麗事を口にするには、あまりにも色々なことがありすぎたから。
俺が今考えていることはシンプルだ。背中を追ってくれた仲間と愛する人を失わぬこと。そして彼女らに安息の地を与えること。そのためなら犯罪者だろうが、人非人だろうが、何にだって俺はなれるのだ、彼女がそうであるように。