女の戦い
青みがかった髪の女が少し困った様な顔で一瞬だけ俺の方を見て物憂げに口角を上げる様や、人ならざる者の証である漆黒の表皮すらも、うっとりする程の脚線美に組み込まれ、吸い込まれそうなほど美しかった。
「あらあら、小汚い雌猫がこんなところへどんな御用向きかしら?ちょうど今、貴方の話をしていたところだったのよ」ボウモアが吐き捨てるように言った。
ボウモアはブレアの元までつかつかと歩いて行き、彼女の一メートル手前で足を止めた。まさに一触即発の距離感だった。
「────聞こえませんでしたか?妹を、この人たちを解放して下さいと言ったんです」
ボウモアに向き直ったブレアの三白眼はまっすぐ逸らさずに正面を見据えていて、その横顔からは静かな怒りがありありと見て取れた。
「聞こえてるわよ、この雌猫が。ちょっとお父様に気に入られたからっていい気になるんじゃないわよ」
「そんな話はしていません。実力行使に出ても構まいませんか?」
「はっ、やってみなさいよブ─────」
ボウモアは全てを言い終える前にブレアの前蹴りを鳩尾に食らって洞穴の壁面に向かって吹き飛んでいった。
ブレアはすぐに実の妹へと視線を移し、その頃には烈火のごとき眼差しはなりを潜め、柔らかな表情へと変化していた。そしてアソールの髪に掌で優しく触れると、彼女は呪縛から解き放たれ、すぐに姉の首筋に縋り付いた。
「おね゛えぢゃあああん……あ゛い゛だかったああああ!!」アソールは感情の波が堰を切って押し寄せてきたかのように喜びを爆発させた。
「はあ、貴方は本当に莫迦な子です…………それと、莫迦な男─────」ブレアは妹の髪を愛しそうに撫でながら俺の顔をちらりと見た。
それからブレアは我々の影を捕らえている白痴魔人の指を蹴り散らし、束縛を解除していった。
「う、動ける…………どうしてここが?」
「それは後です、ショウ様」彼女が見据える先には先程のダメージから今にも立ち上がろうとしているボウモアの姿があった。
俺の言葉に応えるブレアがそこにいる、それだけで俺は涙が出そうになるほど嬉しかった。
「ボウモアの操り人形は私が魔法力を吸い切って倒します」
操者を失い、白痴魔人はその場に立ち尽くしていた。
「ま、待ってくれブレア!あれの中には四人居るんだ!」
「そういうわけですか。どおりでおかしな色をしていると思いました……戻せそうですか?」
「ああ、直接時魔法を使うチャンスがあれば」
「分かりました。それなら私はボウモアの方を食い止めます。多分ですが、そうなったら彼女は、操り人形自身の自意識を解き放つと思います、キャンベルの時と同じです」
ボウモアが多量のシーズの亡骸を集めて作った黒龍────あれは確かに途中まで彼女の意のままに動いていたが、彼女が姿をくらました後も活動を続けていた。
「好都合だ。さっきまでの戦術的行動がボウモアの指揮によるものだとしたら、それがなくなるだけで相当やりやすくなる。けれどひとりで大丈夫なのか?」
「今の私はちょっとやそっとの事では死にはしません。それよりショウ様、アソールや皆さんを守ってあげてください」
慈愛・献身・高潔─────清らかな魂は収まる器を選ばない。今や器は人外の者と成り果ててしまったとしても、ブレアには変わらずそれがあるのだと気づかせてくれる。
「わかった、こっちを片付けたらすぐに加勢する。済まないが、それまで持ちこたえてくれ」
ブレアは何も言わずに頷くと、岩盤を押しのけて立ち上がったボウモアの方へ視線を移した。
「────あーあ、本当に何もかもぶち壊しにしてくれたわね、このクソブスが。はあ、計画なんかもう知らないわよ、ぶち殺してやるわ」ボウモアは口調が変わってしまうほどに怒り心頭の様子だった。
「そんな風に顔を歪めてばかりいると、皺が増えますよ」ブレアはにっこり笑った。
怖い、怖すぎる。何故女性同士の罵りあいというのは、どうしてこうも男を退け腰にさせるのか。
「チッ、そうそう、あんたの角。あれもう何処にもないから!砕いて海に捨てたから、もう時魔法でも復元不可能。今頃小魚の餌になってるところよ。まだ人間に戻れるかもしれないなんて思ってたとしたら、残念だけど無理よ!キャハハハハ!」人が違えたようにボウモアは笑い出した。
「─────必要ありません。私が人間でなくても、私のことを愛してくれる人が居ます、私はそれに応えたい。父が褒めてくれた角を失うのは少し寂しいですが、もういいんです。貴方こそ、そのお父様とやらから愛されていますか?」
「うわうわうわ、なななになにを、言っちゃってるわけ?気持ちわる、気持ちわる、気持ちわるう!!」
「寂しそうに見えたので」
「あァ!?………もういいわ。醜くなるのは嫌いだから使わなかったけれど、こんな小便臭い女に負けるよりはいい、負けるよりは!」
不意にボウモアが白痴魔人へ手を伸ばしたかと思えば、ブレアは凄まじい脚力でその間へ飛び込んで行き、手刀で何かを断ち切るような動きをした。
「おのれ……邪魔をッ!」ボウモアは口惜しそうに言った。
「ブレア、もしかして見えてるのか!?」
「この姿になってから、魔法力の流れや繋がりが見えるんです。今の様子だと、操り人形と自分自身の魔法力を癒着させて融合しようとしたんではないかと思います」
彼女の眼にはボウモアが操る魔法糸の繋がりが鮮明に見えているらしかった。そして、それを吸い取る、つまり切断することが出来るということになるのだろうか。
「任せるぞ」
「はいっ!」元気よくブレアは返事をした。
耳を劈くような雄叫びに俺は思わず耳を塞いだ。白痴魔人の方を見やると、涎と腕を垂らし、四つの眼でこちらを見つめていた。先程までの静かな獣という印象は朧に消え、知性を失って本能と欲求のままに凶爪を振るう魔獣がそこには居た。
「こいつ、ボウモアの指揮下を離れたんだ!ブレアが食い止めてくれているうちにこいつを巻き戻すぞ!」
いつからか俺はブレアのことを守ってやりたいと思っていた。国に追われる身となってしまった彼女を、帰る場所がなくなってしまった彼女を、ひとりぼっちになってしまった彼女を。
ところがどうだ。一緒に歩めば、俺達にも同じ憂き目を味わわせるとわかっているから、この女は袂を分かつ決断をしたのでは無いのか。二度も絶命の危機に現れ、守られているのはこちらの方では無いのか。
今になって気がついた。ブレアは守られるほど弱くはなかったんだ。逆に、俺はひとりで彼女を追う決断すら出来ず、他人に背中を押してもらわねばならぬほどに弱かった。
惚れた女を守ることが出来ない情けない男だったとしても、せめて隣で同じ景色を見たい。痛みを、喜びを分かち合いたいと思うのは烏滸がましいことだろうか。いいや、烏滸がましくてもいいと俺は思い直した。その選択こそが“自由”であると信じた。
「サル、後ろの発光体を─────」
「もうやッてるよ、相棒」
後方へ目をやると、壁面に突き刺さっていた発光体は全てサルの持つアコタイトによってコーティングされ、光が外に漏れぬようになっていた。
サル、こいつは本当に仕事が早いやつだ。
「キャメロン、ここの座標はもうわかってるか?」
「視界に入っている範疇は肌感でわかる」とキャメロン。
「じゃあピティとアソールを連れて、常にこいつの後方に転移で回り込んでくれ」
キャメロンは俺の指示にこくりと頷いて、素早く二回転移をし、アソールとピティを自分の両脇に立たせた。