白痴の魔人
洞穴の内部は思ったよりも入り組んだ格好をしていて、人間が通れそうな道筋にも幾つもの分岐があった。それらの中で正解の分岐をピティの索敵魔法がことごとく選んでいった。
大事に備え、ピティは任務前にメンバー全員の毛髪を採取しておいたことでドロナックの位置も捕捉出来ているのだそうだ。
これは俺たちにとって生命探知機でもある。索敵魔法は死者には反応しない。つまり指針がドロナックを指し示す限りは、彼の命がまだここにあることを証明しているのだが─────「し、指針が……っ」ドロナックの元へ急ぐ最中、ピティは掠れたような声を漏らし、立ち尽くした。
「ピティ、道を覚えているか?」
「はい、そこの分岐を左手に曲がったところです………ですが、もう……」ショートヘアの少女はがっくりと視線を落とした。
「そうか」
その意味の示すところは全員が理解していた。しかし俺も、ピティを除く四名も足を止めることはなかった。
「まだ手遅れじゃない。見せてやるよ、時魔法が破壊的な力だけじゃないってことをな」
彼女の示すとおり、分岐を左へ曲がるとそこには不思議なことに明かりがあった。天蓋の部分にはいくつかの発光石が光を放っていて、以前西海岸の研究室で見たのと同じ、明らかな人工物であるシャフトが接続されていた。
煌々と照らされる床にはまだ真新しい血痕がその光を白く照り返している。驚くべきことに、正面に目を向けると、そこにはおぞましい半人半妖の輩があぐらをかいていた。俺たちが怪人と呼ぶ者とはまた全く別の者であり、見るからに知性に欠け、辛うじて人型と二足歩行を保っているような存在。
先程この洞穴へ入っていくのが見えた大型の合成体の特徴をそのまま保って、人型に押し固めたような生き物だった。そいつは自動車のテールランプみたいに真っ赤な四つの瞳でこちらを見ていた。
カツン、カツン、と硬質化した踵を鳴らす音が洞穴内に響いてきた。その音の主は半人半妖の奥から姿を現した女だった。
「─────あら、ついに見つかっちゃったわね、フフ」ボウモアは艶っぽくにたりと口角を上げる。
「ボウモア……やはりお前ら絡みの場所か。それより、ここに四人の人間が居たはずだが、彼らを何処へやった」
「間の抜けたことを訊くのね。本当は分かってるくせに……全部そこのなり損ないの中よ」
俺は失念してはいなかった。索敵魔法が探知不可になるであろう条件は対象者の死だけではないことを。索敵魔法がブレアを見失った時のことを。
「コットペルを襲った個体も、こうして作ったのか?」
「そうよ。シーズには魔法力を吸い取った対象の因子を蓄える習性があるのはご存知でしょ。じゃあ問題、どうして人間から魔法力を吸引したシーズが人間の姿に近づいていくことはないかわかる?」
「人間の姿へ変態するためには、多量の因子が必要だからか?」と俺は答えた。
「いいえ、違うわね」
「─────人間の因子だけは蓄積されないように造られているから、違うか?」キャメロンは俺に続いて答えた。
「まあ!賢いお嬢さんね、正解よ。それじゃあそのリミッターを解除してあげたらどうなると思うかしら?」
「まさかそれが人型のシーズになる……ということなのか」
「けれどなり損ないはなり損ないよ。白痴魔人はアタシ達とは似て非なる存在。所詮は家畜、餌でしかないわね」
「餌─────だって?」
「そうよ?ここはアタシ達の食堂なのよ。そしてアタシにとっては作品を作り出すアトリエでもあるわ。そこへ今日はとびきりレアな獲物が飛び込んできたってわけ。おかげでいい子が産まれたわ」ボウモアは嬉しそうに犬歯を見せつけた。
胡座をかいていた動物と人間の混ぜ物は立ち上がり、背中の四枚の翼を開いた。天使の翼と悪魔の羽を同時に広げたそれは、神々しくも見えた。
「あなた達のおかげでこれからもっと可愛いくなるわよっ!!」ボウモアは手を開いて先端をこちらへ向けた。
「みんな、俺の後ろへ!」
こいつの狙いは分かりきっている。一見何もしていないように見えて、ボウモアの指先からは、闇夜に隠れる蜘蛛の糸のように、細くて限りなく視認が困難な魔力紐が迸ったはずだ。
俺は咄嗟にオーヴァンから模倣した障壁魔法を正面に展開。これにより、俺たちをマリオネットにしようとするボウモアの狙いを阻止しなくては。
「あら悔しい。随分便利な魔法ね」ボウモアは全然悔しく無さそうに、改めて目の前の人型の化け物に両手をかざした。
白痴魔人はさながらゾンビが彷徨う時にとるような両手を前方に伸ばした格好をとった。
その時、過冷却された水が瞬時に氷に変化するような乾いた音が幾つも聞こえてきた。白痴魔人の指の先端、第一関節部分が鋭く尖った形に形状変化するとともに、硬質化していることに気がついたが、時すでに遅く、それは十発の銃弾となって俺達を襲った。
弾け飛ぶように前方に射出された十発の第一関節のうち、八発は俺達の後方の壁に突き刺さり、一発は障壁魔法によって阻まれ、不運な事にもう一発は障壁から少しはみ出していたサルの太ももを貫いていた─────
「チッ……クソッ」サルは右太ももを押さえ、痛みに顔をしかめながらその場に膝をついた。
「サルッ!大丈夫か!?」
俺は直ぐに駆け寄り、サルの脚を時魔法によって健全な状態に戻してやった。
オーヴァンから模倣した障壁魔法が、彼と同じように扱えたらどれだけよかったことか。たった二例ではあるが、俺はこの模倣魔法の唯一の弱点にはもう心当たりがあった。それは確実にオリジナルには劣るということだ。
模倣される人間が長きに渡り積み重ねてきた研鑽の末、得たであろう力にいきなり追いつけるわけが無い。六枚もの障壁を同時展開可能だったオーヴァンに対して、俺は一枚の小さな障壁を顕現させるのが精一杯。
もうひとつ模倣したフェルディの魔法では、面積に減衰が現れた。彼のように身体全体をくまなく覆い尽くすことはかなわず、せいぜい武器の表面にだけ効力を及ぼすのがやっとだった。
つまり今、この有機的な散弾銃を前に、味方を守りきるだけの盾を出すことは俺には難しいのだ。そうこうしているうちに、散弾銃の方は第一関節が再生し、第二射に取り掛かろうかというところだった。
後方から聞こえた悲鳴に振り向くと、遅れてこの空洞へ戻ったピティが、その場にへたりと座り込んでしまっていた。