明暗、交わる
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空路による航行は混雑や不意のトラブルなどとは全くの無縁で、気にかけること言えば天候くらいのものだった。
野営で身体を休めた我々は翌朝目を覚ますとすぐに出発した。というのも、東の空が実によくない顔色をしていたからである。そしてその唯一とも言える懸念材料は東へ行くほど機嫌が悪くなった。下部が黒く濁り、鉛直方向に発達した分厚い積乱雲を正面に認めた時、ついには航行を中断せざるをえなくなってしまったのだ。
別段アソール程の強靭な身体をもってすれば多少の雨風程度は乗りこなすだろう。背に乗っている我々が凍える想いをするのには違いないが。
それだけでなく、致命的なのは落雷の存在であった。これだけ雲に近い場所を飛行しているのであれば、放電が起こった時、間違いなく落雷は手近に居る我々に照準を定めるだろう。
全身にメタルジャケットを着込んだ航空機というならまだしも、我々は肉と骨しかないのだ。光の速さで落ちる落雷には、さしもの時魔法も分が悪い。そんなわけで我々五名は正午過ぎには空路での航行を諦め、陸路で東へ進路をとる羽目になった。
「つーかーれーたー!」アソールは天に向かって言った。
「疲労はさっき飛ばしてやっただろう」
アソールに手をかざし、俺はまたぞろ巻き戻しをしてやった。
「元気になった!」両腕で力こぶを作ったアソールはまた力強い足取りで歩き出した。
我々が陸路をゆくと決め込んでから程なくして小雨が降り始め、雷鳴が響き始めていた。雨の中を歩くのは非常に体力を消耗するため、逐次魔法による巻き戻しを施しながら足を進める。
不時着する地点は人目に付かぬ山間部が理想だったが、そこから歩いて行くとなると、木々や高低差がゆく手を阻む土地を選ぶわけにはいかず、最寄りの街道へ不時着する羽目になった。
街道とは言っても交通の便が盛んでないからか、あまり整備されている印象はなく、数キロメートルも歩けば履物は泥にまみれ、衣服からは泥と雨で濁った水が滴っていた。
「─────みんな止まって、何か聞こえない?」アソールは他の四人に促した。
全員が歩みを止めて耳をそばだてると、街道の後方から蹄と車輪が土を踏みしめる音が聞こえてきた。
「隠れるぞ」
五名は素早く脇の林に身を潜め、それが通り過ぎるのを待った。音が近づくにつれて、淡い光がこちらに向かってくるのがわかる。
馬車が俺たちの視界に入ると、その光の正体はわかった。手網に等間隔であしらわれた何かが発光して馬車の行く手を照らしていた。フードを被っていて、御者の顔は殆ど見えなかったが、そのよく見知った横顔が、人物を特定させた。
こちらの五人が依然として林に身を潜めていると、その馬車はどういうわけか、目の前を通過してしばらくすると停車した。
次の瞬間、眩い光がこちらへ差し向けられ、余りの眩さに俺は目を覆った。
「─────隠れても無駄ッスよ、ショウくん」御者は馬から降りて言った。
出来れば会いたくはない男だった。出来れば顔を合わせず、関係を濁しておきたかった。
「ドロナック……」
俺を含む五名は観念して街道へと身を晒した。
「会えるような気がしたッスよ」
「上手く隠れたと思ったんだがな。何故わかった?」
「みんな降りて下さいッス」ドロナックが後ろの屋根付き荷車に向かって言った。
すると四名の男女が荷車から降りてきた。その中の一人を見た瞬間に俺は合点がいった。半透明の球体を胸の辺りに湛えたショートヘアの小柄な少女。球体の内側にある二等辺三角形の頂点は紛れもなくこちらを向いていた。
「そうきたか……まさか索敵魔法術士を随伴しているとはな」
怯えた表情でこちらを見つめるその少女は紛れもなくピティその人だった。
「ドロっち、あたし達を捕まえに来たの?」
「いいや、違うッス。本筋は皆さんと同じッスよ」
「じゃあ────」アソールが何か言いかけて「残念ッスけど、そうはいかないッス」とドロナックが上から被せるように言った。
「アソール、残念だけど衝突は避けられないよ。本筋は俺達と同じ目的なんだろうが、ピティを伴ってここへ来てるってことは、別の目的も並行して視野に入ってるはずだ」
「だから俺は行きたくなかったんスよね……でも今の俺はこの小隊の隊長なんス。リーダーが優柔不断じゃ、困るんッスよ!!」ドロナックは飾りの鞘から刀身のない剣を抜刀した。
「さて旦那、どうするね」サルが後ろから言った。
俺はサルに言葉短に耳打ちをした。
「何ごちゃごちゃ喋ってるッスか!!ショウくん、一個だけ質問に答えて欲しいッス。オーヴァンの爺さんを殺したのはショウくんッスか?」
「…………いいや、殺してはいないよ。ただ誰にも見つからない場所に捕らえてるだけだ」
「なっ、ショウ!何故そんな逆撫でするようなことを」困惑気味にキャメロンが言った。
「そうッスか。それじゃあ悪いッスけど、ショウくんはここで斬り捨てられてもらうッス!!」柄の先に光り輝く刀身が現れ、ドロナックは本当の意味で抜刀した。
「サル、さっき言った通りだ!お前が指揮を取れッ!」
俺は剣を引き抜くと、最大速度で身体を加速─────ドロナックの背後で、今まさに後方支援をしようと魔力放射光を放っている、ピティ以外の三名の背後に周り、それが履行される前に攻撃を加えてそれを阻害した。
「カリラ、やれ」とサルは指示を出す。
ひるんだ三名の後衛は一瞬ふわりと宙に浮かぶと、念動魔力によって、その場に超重力が発生したかのように地面に押し付けられた。
「─────安心しろ、多分死んじゃいない。死んでても元に戻してやるから心配するな」
俺の動きを捉えそこなったドロナックはゆっくりと振り返り、自分の背後で起こった惨状を視界に収めた。
「あんた、人の命をなんだと思ってんスかァァアアア!!!」
味方の四人を巻き込まぬよう、光軸を細めた突きが俺の喉元目掛けて飛んでくる。
これが光速なのであれば、あるいは俺を一撃のもとに死に至らしめることも可能だっただろう。しかし、彼の剣が射程を伸び縮みさせる速度は、彼自身の魔法出力に依存していて、高速ではあるが光速ではないことはわかっていた。
その直後、ドロナックの右肩の辺りの布が焼けた。
「ピティ、もっと離れていろ。巻き添いを食うぞ」ドロナックの後方に唯一残った非戦闘員に俺は告げた。
奥歯をかちかちと鳴らす少女の前で踵を返し、俺は素早くまた元の位置へ戻った。
「い、今のは─────、一体どういうことッスか……」
「鏡だよ。お前の剣は光のエネルギーだ。彫金魔法で金属板を作って、念動魔力で雨を集めてガラス代わりにした。攻撃を反射されたのは初めてか?」
「この短時間にそれだけの指示を……流石ショウくんッスね……」俺の背後に構える二人を見てドロナックは言った。
俺の身体の周囲には、完全に鏡面と化した壁がふわふわと宙を漂っていた。
「お前の攻撃は俺には届かない」
今や俺はカナのように限られた空間の時を完全に停めてしまえるようになっていた。凍りついた時の中、俺はドロナックの手から剣を奪い、光を失ったそれを懐にしまった。そして彼の時はまた動き出す。
「─────ドロナック、俺はお前と戦いたくなんてない。部下に手荒い真似をしてすまなかった、今巻き戻してやるから大人しく見ていてくれるか?」悠然と俺は歩き出した。
自分の手から知らぬ間に武器が無くなっていたことに気が付き、ドロナックは目の前を通り過ぎる俺をそのまま見送った。
巻き戻しの効力により目を覚ました後衛の三人は、目の前に佇む俺を認めてパニックに陥ったが、すぐにドロナックが「何もするなッス!!」と強い口調で彼らに指示を出した。
俺は踵を返し、サル達の元へ歩いて戻る時、再びのすれ違いざまに懐から彼の剣の柄を取り出して返却した。「盗って悪かったな。頼むから、このまま行ってくれ」とだけ告げて。
背後を振り返ることはしなかった。この気のいい男に、背後から不意に斬られるのであれば、もう仕方がないと諦めたからである。俺はどこかで罰して貰うことを望んだのかもしれない。しかし彼はそれをしなかった。
ドロナックはそのまま隊員たちに号令を出し、馬車に載せると、それはまるで何事も起こらなかったかのように、泥に車輪をめり込ませながらも前へ進み始め、やがてその背中は小さくなって見えなくなった。
「人の命を何と思ってる────か。効くなあ………」