死神の通行手形
「さて、どうする?ショウ・カラノモリ。このまま兵糧攻めにでもするか?」
「さてね」
「貴様にこの女を蘇生されるのが恐ろしくて私がここから動けないとでも思っているか?この女の首だけを持って何処ぞへ消えてしまっても構わんのだぞ?」フェルディはカリラの喉元へ剣の腹を突きつけた。
鍛えられた鋼同士の衝突により、高い周波数の音響が空気を震えさせ、火花を散らす。どうやら追撃の手を緩める訳にはいかないみたいだった。
この男が言ったこと、発想したことは、俺が考えうるうちで最も恐ろしいことだった。それこそが真の意味で時魔法の巻き戻しから逃れ、カリラを死に至らしめる方法だからだ。
「─────そうだ、それでいい」
太刀を受けきられ、息が上がったところへ鳩尾に蹴りが飛んできた。内蔵に生じた未曾有の大パニックも、吹き飛ばされながらも時魔法による巻き戻しを履行。すぐに起き上がり次の攻撃に備える─────が、追撃はなく、フェルディは依然としてカリラの元を動いていなかった。
連発は出来ないため失敗は許されないが、もうやるしかない。一応布石は打っておいた。
俺はまたぞろ正面から一太刀浴びせに行く。
この酷く単調な攻撃を、フェルディは受け止めるまでもなく半歩分だけ身を引いて躱し、返しの一撃を見舞ってくる。それは俺の身体を狙ったものではなく、剣そのものを狙った攻撃だった。
俺の剣が叩き落とされるのとまったく同時に、先程までとは違う音が木霊する。
「なんだとッ!?」
その音はフェルディの剣が根元から折れる音。
身体能力に加速を付与しながらだったために、効果は非常に少しずつになってしまったが、フェルディの剣は腐敗剣の影響を受けた。刃を交わす度に彼の剣は酸化によって腐食し、脆弱になっていった。
「リフレイン─────」
俺はこの一瞬の隙を逃すわけにはいかない。襲い来る頭痛に耐えながら、ついに俺はフェルディの動きを欠伸が出るほどゆっくりにしてやることに成功する。
ここで取捨選択。今この時間に俺の手中にあるのは二人の人間の生殺与奪。フェルディの生命を奪うか、あるいはカリラを蘇生するか。とてもではないが同時にはできない。ひとつずつ片付けなくてはならない。
俺は前者を即断即決する。叩き落された剣を拾い上げ、フェルディの左胸に突き立てて、リフレインを解除。
きっと彼の周囲の時間は緩やかに動いていたことだろう。つまり知覚が出来た可能性が高い。彼の目には外部の時間が相対的には高速に感じられ、今まさに剣が左胸に突き立てられようとしている瞬間を認識すれど、身体は思うように動かないと感じたことだろう。
「ごぼッ…………何故、魔法がっ!?」内蔵の損傷に口から多量の血液が溢れ出た。
彼は地に伏し、二つ目の血溜まりを作って動かなくなった。
当然のことながら、フェルディは自分の剣も魔法を遮断する膜で覆っていたはずだ。だからこそ武器に時魔法が作用していないものだと思い込んだ。
彼の敗因は時魔法が魔法に分類される力だと早いうちに決めてかかってしまったことだ。実際は剣戟を交わす度、フェルディの持つ剣は目には見えない程度の緩やかに時魔法の影響を受けて腐食していっていたのだ。
”時魔法“などと呼ばれていて魔法ではないというのは、彼にしてみれば卑怯な不意打ちだったのかもしれない。”東京“の名を冠しておきながら、事実東京都内には存在しない某テーマパークみたいだった。
「リワインド!」
続いて、もはや身体中の血液を全て排出しきってしまったかのような致命的な血溜まりの中に横たわる仲間に手を差し伸べる。カリラの顔色は緑がかっていて、もはや屍であることは明白だった。
巻き戻しを受けると、みるみるうちに血溜まりは彼女の体内に戻っていき、顔色はどんどん赤みを取り戻していく。やがてその豊かな乳房にぽっかりと空いていたであろう開口部は閉じ、べっとりとした血で赤黒く染まっていた衣服も本来の艶やかさを取り戻していった。
「─────遅いぞ」彼女は上体を起こし、俺に言った。
「天国へは行けたかい?カリラさん」と冗談めかして俺は返した。
「あんなに真っ暗な場所が天国とは思えんのう」
「真っ暗な場所……意識があったのか?死んでいたのに?」
『死んでいたのに』と今生きている人間に問いかけるのもなんだか変な気分だ。
「夢を見たんじゃ。赤い絨毯、どこまでも続く長い机と篝火、ふてぶてしい態度の子供がそこに座っている変な夢じゃった」
「なんだって!?そいつは、その子供は何か言ってなかったか!?」
その空間の特徴はクレイグの住む異空間にそっくりだ。さらに驚くべきことは、奴が子供の姿をしていたということだ。あいつは人によって外見を変える。カナの時などは白い髭を蓄えた老人だったと言っていたし、それをわざわざ子供の姿で現れた、これは偶然じゃない。根拠は無いが、予感がする。俺になにかを伝えようとしているのだ。
カリラが口を開こうとした瞬間だった。音もなく彼女は囚われた。正六面体の檻の中に─────
「ふむ、童にしてはよくやった」ぼそりと嗄れた声が聞こえた。
─────思えばフェルディはカリラを人質にとり、こちらへ攻撃するでもなく、あたかも時間を稼いでいるような節があった。まるでこの場に俺達を留めておくことを主眼に置くような振る舞い、その理由がたちまち氷解する。
この立方体の障壁、そしてこの声。彼は待っていたのだ、第一位の到着を。
「オーヴァン……なぜここに……」キャメロンは自分たちの身に降りかかったあまりの不幸にただ呆然と立ち尽くしていた。
追跡者の筆頭に据えていた序列一位、オーヴァン。彼はグレン・ボルカの麓で俺達を取り逃したあと、王都に戻ったとばかり思っていた。
「てっきり王都のあるハイランド側に居るかと思っていたよ」
「異なことを。居たとも、ハイランドにな」オーヴァンは顎髭を触りながら答えた。
「へえ、じゃあどうやってここまで?」
俺がこうして余裕ぶっているのは似非だ。頭の方はどうにかこの場を切り抜ける方法はないか、つまり逃げおおせる算段のことを必死になって考えている。
何しろ、前回とは違ってカリラが障壁内に囚われてしまっている。こうなると彼女はオーヴァン本体に念動魔力の効果を及ぼすことが出来ない。
吹き飛ばしによる戦闘拒否は期待できないということなのだ。恐らくそれはオーヴァン自身もわかっているからこそ、同じ轍を踏まぬよう真っ先にカリラをこちらの世界と隔てたのだろう。
「あの壁のことを言っておるなら、儂には全く関係ないぞ。言ったはずじゃがなあ、儂の魔法は“隔たり”だと」
「へ、なるほどな……あんたはその箱に入って悠々と南北の連絡橋を渡って来たってわけか」
白璧によって南北に分断されたかに思えたトラッドを、追跡者の内で最も厄介極まるこの男が自由に往来出来る通行手形を持っているというのは、全くもって信じたくない事実である。
「左様。さて、あの時の続きを始めようぞ─────」