マジック・キャンセラー
どうやら俺は彼らの神になってしまったらしかった。
コスタールが信仰する海の神は、供物と共に厄印に封じ込めた厄災を平らげるのだそう。つまり供物に刻まれた厄印を消し去ることが出来るのは海神だけなのだ。結果から逆引きして、彼らは俺を信仰の対象と認めたらしい。
少しばかり胸が痛むが、これは利用しない手は無い。
「─────仔細ない」威厳たっぷりに俺は言ってみた。
「貴方様だとは知らず、先日はとんだ無礼を……どうか我々を罰し下さい!!」
「よい。御社を建立する為とは言え、少々不作法が過ぎたと余も反省しておる」
よし、調子が出てきたぞ。
「滅相もない!!しかし、流石は御柱、傷一つないとは─────」
「あの程度、造作もないわ。それより、供物はもっと質素なのでよい。まして、そなたらの大事な子宝を自ら差し出すなど、どういうつもりだ……次に同じことをすれば、この海神の天誅が下ると知れ」
「は、ははあっ!ですがそれではどうやって厄災をお祓いになるので……」
「余が建てた御社を本尊とし、巫女を立て、礼拝されよ。そなたらの祈願はそれだけで十分に余の耳に届く。初代巫女はこの娘だ。御社は聖域とし、巫女以外に近づくことを禁ずる、よいな?」
「御意に!」七名は声を揃えて返事をした。
「ショー?」ゲアラハは目を丸くしていた。
ゲアラハには申し訳ないが、これで彼女の身柄は確実に尊重してもらえるだろう。せっかく助けたのにまた生贄にでも捧げられたらたまったものではないからな。
俺はゲアラハに「これでまた会えるな」と耳打ちをした。するとゲアラハは俺の方を向き直り、少し戸惑った表情をしていたが、すぐに満面の笑みで「ウン」と返事をした。
まったく、こいつらに教えてやりたい。俺が知っている神に近い存在か、あるいは神を超えた存在は、人間のことなんて、なあんにも考えていやしないってことを。椅子にふんぞり返って水槽を遠目に眺めるだけの捻くれ者さ。
仕上げに、ここを時魔法を用いた加速走法で立ち去れば、彼らは俺をさらに人ならざるものと信じ込むだろう。逡巡を終え、ゆっくり瞳を開く。
俺は目の前の光景に目の前にパニックになった。
無数の樹木が現れ、黄土色の土を踏み締めていたはずの足は今や背の低い雑草を踏みしめていた。天蓋は木の枝と葉で覆われ、先程まで見ていたはずの青空と白い雲はもう全く視界に入らなかった。
後ろから聞こえてきた女の呻き声に、俺は咄嗟に振り返る。
そこに居たのはキャメロン。ここでやっと追放刻印を用いて俺を転移させたということを理解する。しかし彼女の様子がおかしい。
ローブは砕けた枯葉のくずで薄汚れていたし、どこで転んだのか膝には血が滲んでいて、いつも余裕の表情を浮かべている彼女のイメージからは想像もつかないほどの発汗だった。
「ううっ…」キャメロンはもう限界だとでもいうように、その場に手と膝をついた。
「キャメロン…………?ま、待ってろ、今戻してやるからな……!」
時魔法がキャメロンを満身創痍の状態からダメージと疲労を取り除いていく。
「済まない、下手を打った……」
「誰にやられた、あのじじいか?」
「違う、別の刺客だ……戻らなくては─────」
その言葉に背筋が凍る。未だその刺客と戦闘状態にある者がいるということなのか。
「戻るなら俺を連れて行け!」
「元よりそのつもりだ………悪かったな………私の見通しが甘かったせいだ」キャメロンは斜め下へ視線を落とし、項垂れてしまった。
いつもの見てくれに似合わぬ尊大さはすっかりどこかへ消え失せていた。
「誰だ、誰を残してきた」
「カリラ氏だ」
意外だった。
サルとアソールは戦闘においてコンビネーションと物理攻撃を主体とした武闘派のコンビだ。それとは対照的にカリラとキャメロンは魔法の真髄とも言っていいような、特殊な効果を用いた戦力である。
能力には向き不向きがあるだろうが、俺の感覚からすると戦闘において前者は後者に手も足も出ないだろう。カリラとキャメロンは、そんな異能力者の中でも一際に異彩を放つ超越的能力者コンビなのだ。その二人がここまで追い詰められる相手とは一体どんな手強い敵だろうか。
「サルとアソールは無事なんだな!?」
「その二人は白壁の向こう側、ハイランド側にいる」
どうやら四人は、壁を隔てて、二手に別れてハイランドとローランドへ情報収集に向かったらしかった。つまりここは、ローランドに在り、カリラが戦闘している位置からは離れた、臨時の避難場所であることが推察される。
「そうか─────連れて行ってくれ」
俺はキャメロンが抱える矛盾に、既に気がついていた。それほどのリスクを取らねばならない程に打破できぬ状況にあることを予感させるには十分だった。
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ローランドの最北部に当たる場所、俺とキャメロンはそこへ転移した。
どうしてそんなことがわかるかと言えば、天を衝く白き壁が目と鼻の先に立ち塞がっていたからだ。
辺りを見回すと、戦闘によって巻き起こったと見られる砂塵がカリラの居場所を教えてくれた。
「そう遠くはないな─────」
女児並の体重しかないキャメロンをひょいと抱き抱えると、彼女は「きゃっ」と小さく声を漏らした。
「片腕がないから振り落としてしまうかもしれない。しっかり捕まっていろ、すぐにカリラさんの所まで追いつく」
時魔法を発動─────周囲とは隔絶された時の流れが全身を加速させる。
足元の砂利や岩、出くわす木々、全てに対応して、捌き、躱し、速度を緩めることなく最短距離をゆく。加速された筋肉。加速された脳と思考。それらの能力はとにかく早く、速く、疾く目的地へ着くことへ集約された。
「─────ほう、王子様を連れてきたというわけか。落ちるところまで落ちたな、キャメロン」血溜まり中に立つ男は言った。
彼の足元にはその血溜まりの発生源であろうカリラが横たわっている。彼女の胸には男が持つ細身の剣が突き立てられ、きっとそれは背中まで貫通していただろう。
「カリラ殿っ!!囀るなっ、この外道め!」キャメロンはいつにも増して語尾を強めた。
この凄惨な現場にあっても、俺の心臓は未だ意外なほど冷えていた。
まず、俺がグレンゴインへ近づくこと、その場において時魔法を使用したこと、これらがいずれも力が暴走するきっかけにはなり得なかったことをまず安堵していた。
そもそも、それら暴走の可能性を危惧して俺はスカイ島で留守番をしていたはずだったのだが、俺に釘を刺した張本人であるキャメロン自らが俺をここへ呼び寄せてしまうほどの緊急事態が起こっていることは、転移した直後からわかりきっていた。
確かにカリラは死んでしまった。だが、まだ半狂乱になるのには些か早い。死とは、俺にとって取り返しがつかない状態では無いはずなのだ。
「さてどうする、時魔法使い。彼女を治してやらなくていいのか?」
冷えた頭で逡巡する。この緑がかった長髪、どこかで目にしたことがある。
「こいつと俺はどこかで会ったか?」
「一度だけな。中央議会で貴様の処遇に懐疑的だった男だ」とキャメロンは答えた。
そうだ、中央議会の最中、私語を慎まずに退場を余儀なくされた────
「フェルディ……だったか」
「覚えていてくれたとは、光栄だ」男は不敵に笑った。
「キャメロン、あんたとカリラさんが居てどうしてこんな奴に遅れをとる?」
「う────この男に魔法は効かないのだ」
「莫迦を言うな、中央議会の時にこいつを追放魔法で家に返してやったのはお前自身じゃないか」
「あれは本人に魔法を受け入れる意思があったから実現したことだ。フェルディ本人が身体に防壁を展開したが最後、魔法力に由来する特殊攻撃は全て無効化される。魔法無効化魔法術士なのだ」とキャメロンは説明した。
“魔法無効化魔法術士”とはまたややこしい通称である。世に魔法という概念が無ければ“ただの人”ということになるか。
魔法を無効化されてしまうとなると、この二人との相性は最悪かもしれない。カリラにしても、キャメロンにしても、魔法力そのものを対象者に作用させることに特化した能力。殆どの者はそれに抗うことすら出来ないはずだ。しかしこの男の前では追放魔法も念動魔力も無効化されて機能しないのだろう。対象にとることが出来ないといったところだろうか。
これなら物理攻撃主体のサルやアソールの方が相手としては適任だ。しかし彼らは壁の向こう─────キャメロンが堪らず俺に助けを求めるわけだ。