野生の海神
「ゲアラハ、もしかして君たちはもともと大陸に住んでいたのか?」
「ずぅっと昔はそうだったみたい。厄災の星が降ってきて、大陸に住んでた人たちを人間と悪魔に分けちゃったんだってさ」
「厄災の星……隕石の類か?その影響で悪魔に変容した大陸人が、人間である君らをここへ閉じ込めたってことか」
「ウン」
にわかに信じ難い話だ。隕石に付着したウイルスが人間を変容させてしまったとでも言うのだろうか。
「トラッドにも優しい人は沢山いるよ。もし、君さえ良ければ今度遊びに来るといい」と俺は無責任なことを言った。
するとゲアラハは飛び上がって喜んでいた。それから彼女にトラッド王都の様子や、商人が集まるバザーや、竜人が住まう里のことなどを話すと、前のめりになって彼女は耳を傾けた。そして、大陸中どこにでも一瞬で移動出来る転移魔法のことに話が及んだ時だった─────
「忌むべき力…………悪魔の力……」怯えたような眼差しだった。
「魔法が悪魔の力だって?使えない人もいるけれど、トラッドでは珍しい力じゃないよ」
「忌むべき力は災いをよぶ……そう言われているの」
つまり魔法は災いのもとということか。俺達は確かに魔法をつかってこの土地の資源を、図らずも略奪してしまったのだから申開きのしようもない。
「ショー?」気がつくとゲアラハが心配そうにこちらを覗き飲んでいた。
「あ、あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしてたんだ。魔法を使う人が恐ろしいってことはないさ、俺だって魔法を使えるんだ。けれど、君を助けただろう?」
「え……ショーも忌むべき力なの?」
「そうだ、死んでしまいそうだった君を元通りに治した力がそれだよ。な?怖くないだろ?」
「そうなの!?ショーはなんでも治せるの!?」
「ああ、そうだとも。そうだ、さっき木に登った時に手首を擦りむいたって言ってたね。見せてごらん」
ゲアラハは右手首の内側をこちらに見せてくれた。血が出てはいないが樹皮で擦れた皮が少しささくれている。
「リワインド」手をかざして詠唱した。
するとささくれは巻き戻り、彼女の手首はすべすべした質感に戻った。
「わあ!!すごい!!」
ゲアラハはそれまで魔法に対して抱えていたはずの仄暗い印象を全て吹き飛ばしてしまったかのように明るい表情でこちらを見ていた。
「これが魔法だよ、怖くないだろ?」
「怖くない!」彼女は元気いっぱいに応えた。
気にしたことが無かった─────トラッドの人々は魔法をいつから使えたかなど。あまりに当然のようにそこにあった。
厄災の星とは一体何なのか。トラッド側の文献にそれはどう記されているのか。記されているとしたらなんと呼ばれているのだろうか。
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俺とゲアラハは翌朝になると浜辺を出発し、反対側にあるコスタールの集落を目指した。またぞろ抜群の地理勘をもったゲアラハ隊長の指示に従いながらの行進になる。
「隊長、この森には猛獣はいますか?」と俺は訊ねる。
今度は全く周囲の安全は確保されてなどいないが、竜人の里でアルムと蒸留塔を目指して探検をしたのを思い出した。
「いるよ~~~、“大森猫”っていう大っきい猫みたいなやつ!牙が鋭くて噛まれたら死んじゃう!」ゲアラハは明るい声で言った。
「遭遇したらどうすればいいですか?」
「おっきな音を出すとびっくりするから、その隙に逃げるっ!」
「おー、さすが隊長。物知りですなあ」
絶賛進行中の『探検隊ごっこ』を続けながら、俺達はしっとりとした林を歩いていく。
一応探りを入れてはみたが、やはり彼女はシーズの存在を知らない。小さなことではあるけれど、少なくともシーズが大陸にもたらされたよりも時系列的に前の段階からこの土地に住んでいるという証明にはなるだろう。
「でもね、コスタールの戦士は“大森猫”も倒しちゃうくらい強いんだよ!」前を歩くゲアラハは嬉しそうにくるりとこちらを向いた。
「隊長、それも食べるんですか?」
「もちろん!毛をむしって、焼いて食べるの。美味しいよ」ゲアラハは手で涎を拭う手振りをしてみせた。
「お。ぬけた」
天井は綺麗な青と白に変わり、正面に岩石で出来た丘が見えてきた。これがコスタールの砦だ。
彼らはこの巨岩で組み上げたような小高い丘を削ったりくり抜いたりして、住居として使っているらしかった。砦の周囲は断崖になっていて相当な高低差がある。内部に至るためには、必ず中央に岩石で造られた足場を渡っていかねばたどり着けぬようになっている。
「ゲアラハ、俺はここまでみたいだ。君が集落に戻れるのを見届けたら俺は行くよ」
「えーっ!みんなに紹介するから寄っていってよ!」
「昨日も話したけれど、俺は一回捕まって処刑されてるんだぞ?それに魔法使いだっていうのも、別に彼らの勘違いじゃないし、この島の資源にも手を出してしまったからな……」
「う、うん……また遊びに来てくれる?」
「おうとも、それじ────」
ゲアラハに別れを告げようとした時、彼女の方の向こうから、どやどやと人がこちらへ向かってくるのが見えた。一度は取り逃してしまった俺を捕まえに来たか。別にいい、それなら俺がこの場から逃げれば済む話だ。だがもし────
俺は咄嗟にゲアラハと駆けつけたコスタール達の間に立ち塞がった。
「わ。みんな出迎えてくれたよ、ショー!」
砦から飛び出してきた七人の男達は、どう見てもそんな友好的な眼ではない。この敵意が俺に向くものならまだいい。
「“悪魔の子”め……何故ゲアラハを庇う」筆頭と見られる男が威圧たっぷりに言った。
「海岸線でこの子を保護した、色々と話は聞かせてもらったよ。返しに来たんだ、君たちのところにね」
「余計なことを……貴様は忌むべき力なのだろう。やはり災いを運ぶかッ」
「待って!違うよ、ショーは私を助けてくれたの!それに────見て!」ゲアラハは話したに割って入り、服を捲り上げて脇腹を見せつけた。
「なッ……お前、厄印は……」
「これもショーが消してくれたの!災いが封じられた厄印をだよ?」
対面の七人に響めきが起こった。
「俺は余所者だし、君たちが言うとおり、知らなかったとはいえこの島の資源を多少なりとも奪ってしまった。だから敵対されても仕方がない。だが、この子だけはいつもの暮らしに戻してやって欲しい。もう厄印はないんだ、問題は無いだろう?」
すると七人の男達は驚きの行動に出た。皆一様に片膝をつき、頭を垂れたのだ。
「いや、え?」
「御無礼をお許しください、海神よ!」男は頭を垂れたままだ。
どういう風の吹き回しだろうか。先程までは俺の事をどう見ても目の上のたんこぶ同然に扱っていたはずなのにこの変わり身は一体どういうわけだ。
「ショー」ゲアラハは俺の服の裾を引っ張りながら、小声で俺を呼んだ。
「なんだ?」囁くように聞き返す。
「ショー、神様だと思われてるよ、厄印消したから」ゲアラハは悪戯っぽく笑った。