災いの子
実のところ、俺が捕らえられたのは俺自身の意思によるものだった。
一日目の朝にして、苦労して建てたマイホームがよくわからない部族に取り囲まれ、早くもご近所問題に直面した時、俺には選択肢が幾つかあった。
徹底的に交戦して返り討ちにする。あるいは身体を加速させ、高速で逃走する。そして俺は三つめの選択肢を選んだ。
それは、自ら捕縛されて、情報を集めて脱出するというものだ。この恐ろしく文化レベルが低く、トラッドの法の外に佇んでいそうな部族たちは一体何を出自としているのか、それが気になった。つまるところただの好奇心だった。言語が通じるなら、俺にはそれを確かめる術があると思ったんだ。
足元に散らばり波に洗われている木片たち。この牢に放り込まれるまでは想定通りだった。こんなもの、時魔法で何時でも破壊して脱出できる。誤算だったのは、この鳥籠に似た容れ物は“牢獄”ではなく“処刑器具”であったことだ。危うく生命を落とすところだった。
さて、これからどうすべきか─────
頭上から降り注ぐ怒鳴り声を聞くに、処刑が正常に履行されなかったことは彼らも知るところだろう。
このまま例のログハウスへ帰っても、またぞろ奴らに取り囲まれるに違いない。投獄も処刑も人生にそう何度も経験するものでは無いし、流石にうんざりだ。
キャメロンは俺の額に触れ、目に見えぬマーキングを施して、他の三名と共にトラッドへと戻って行った。この追放刻印がある限り、キャメロンが何か有力な情報を手に入れればすぐに俺は彼女の元へと転移させられるか、あるいは彼女自身がここへ戻ってくるはずだ。
キャメロンがそうした行いにでるのが今日か明日か、明後日か───いつかはわからないが、それまでこの島の先住民達からどうにか逃げおおせなくてはならない。
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半日ほど駆けずり回って海岸沿いの岩場に雨をしのげそうな窪みを見つけた。一旦ここで身を潜めることにする。俺が捕らえられた部族の根城は翼の根元の方だったが、ここは翼の先端に近い場所で、十分に距離が離れている。
ここでひとつわかったことがある。俺はこの窪みを見つけるまで身体機能を加速させて島中を走り回った。当然途中で幾度も時魔法を行使したわけだが、依然としてそれが使用できなくなりそうな気配は無い。やはりクレイグが言っていた通り、これは魔法の類いではないのだ。
このことはクレイグの存在を伏せている以上、誰にも話していない。つまりキャメロンは俺が空腹知らずだとは知らないわけで、恐らく食料を抱えて近いうちに戻ってくるはずだと確信した。
しかしながらこの場所、一夜を過ごすにしても海風の影響を受けすぎる。何か風よけになるものでもおいておかねば────と、窪みから身を乗り出した時、すぐ側の波打ち際に信じられないものが打ち上げられていた。
「─────人……?」
人間。それも女児だ。褐色の肌をしていて日本人のように黒い髪の女の子。小さな身体は波打ち際にぐったりとうつ伏せになっていて、全く動かない。
咄嗟に駆け寄って肩を叩くも反応は無い。自発呼吸、無し。脈拍、無し。どうやらこれは骸のようだ。しかし、死んでから長いこと潮に流されていたわけでもなさそうで、土左衛門だというなら身体がもっとぶくぶくに膨れて腐敗臭がするはずなのだ。
死する直前に生命を取り留めさせることを医療行為という。ならば死した直後に生命を取り戻させる行為があるとしたら、それは一体なんと呼ばれる?境界があやふやになった俺にはわからない。俺にはじっくりこの場で考える時間があるはずなのだが、俺の口は勝手に動いていた。
見捨てられるわけが、死んでしまっていいわけがない。愛しの天使アルムと歳頃は同じようなものであろう娘の死を、どうしたら何もせず通り過ぎることが出来ようか。
「ごほっ、ごほっ」
時を巻き戻すと、今際の際の反射か、少女は苦しそうに表情を歪めながら息を吹き返した。
『魂なんてものはない』─────あのいけ好かない全知全能が口にした言葉を今更俺は噛み締めていた。この子は多分本当に死んでしまっていた。魂というものがあるのなら、肉体に囚われなくなったそれは、どこかへ還るか、消え去るか、あるいは迷うかするのではないだろうか。
心は全てデータのようなものであり、脳はそれを記憶する媒体で、身体はそれを読み出すレコーダーだ。魂の存在を無理矢理にでも肯定するなら、魂は死後も骸の中にあるのだ。
この少女の生命が戻ったことは黄泉がえりなどではない。魂は黄泉へは誘われないし、それならばそもそも黄泉などありはしない。俺たちが『魂』と呼んでいるデータは、脳という有機的デバイスに保持され、やがて腐敗とともに破壊される情報でしかない。
「大丈夫?」
「だっ、だれ!?」
「昨日この島に来た余所者だよ。お嬢さん、名前は?」
「ゲアラハ……ゲアラハ・コスタ・ベァナ」
「────長い名前だな。それじゃゲアラハ、君の家はどこかな?」
すると彼女は北西の方角を指さした。
「あー………本当は君をお家まで届けてあげたいんだけれど、どうもそれは難しそうだなあ……」
なぜなら彼女が指さした方角は、俺が死刑執行を食らった場所を指していたからだ。まあ、そりゃそうだろう。この島に住んでいる者が潮流に流され、蜻蛉返りしたと考えるのが自然だ。正直これは予想の範疇だった。
「家に帰るのはだめ!私が家に帰ると災いが……あれっ?うそ、ないっ!」彼女は自分の右脇腹あたりをしきりにさすって何かを探していた。
「どうしたんだ?何か無くしたのか?」
「印がないの……どうして……」
「印ってのはなんの事か教えてくれるか、ゲアラハ」
─────それから俺はこの島でできた小さな友達と、砂の上に座しておしゃべりをした。彼女はこの島に住む人間たちのことや、自分の身の上を俺に話してくれた。
思った通り、ゲアラハは俺を処刑しようとした民族の一員だった。民族の名を『コスタール』というらしい。彼女が海原をさまよっていた理由は、その部族のしきたりによるもの。
彼女は“生贄”だった。
この部族では森で採れた果実などと一緒に、小舟に子供を乗せて海へ流すことによって海神への供物とし、集落を災いから遠ざける風習があるらしい。その対象は生贄に捧げられる直前、脇腹に厄災を封じたしるしとされる厄印を押されるそうで、彼女が必死になって探していたのはそれである。
「─────それじゃ君が集落へ戻ると、その災いとやらが降りかかるって言うのか?」
「うん、厄印は災いや不幸の象徴だから……でも、私の印は消えちゃったから、海の神様が願いを叶えてくれた証拠かもっ!」
彼女の話を聞いて俺はとっくに理解していた。時魔法が彼女の生贄の印までなかったことにしてしまったという現実を。
「そっか……そうかもな。前にこんなことはあったりした?つまり───海に捧げられた子供が戻ってきたってことは」
「たぶん、ない」
「だよな………」
文化とは恐ろしいものだ。この子は自ら生命を差し出すのは当然と考えている。常識は時に恐怖を塗りつぶす。この子は短い人生の中で生贄に捧げられる子供を幾度も見てきたのだろう。そうして彼女の中の『常識』は、生物全てが忌避する所の“死”を塗りつぶして、あたかもそれに自ら向かうのが当然の行いのように改竄した。
「よし、行こう。君の言う通り、厄印は海神が消してくれたのかもしれない。もし君の仲間たちも同じことを思うんだとしたら、もうゲアラハは立派に役目を果たしたわけだから、きっと戻れるさ」