心の養分
「知っているのか!?ボウモアを」
「あれは大災害から三年くらい経った頃だったかな。今にしてみれば馬鹿なことをしたと思ってるけれど、私が食糧を調達していた、とある村が大火事で殆ど全焼してしまったことがあったの」
「火事?それがボウモアとなんの関係が……」
「いいから聞いて。私はその時住処にしている場所がその村とは近くて、村が無くなってしまうと不便だから、つい出来心で久しぶりに時魔法を使ってしまったの。村人含め、村全域に巻き戻しが作用するようにね」
「あっ……ああ」
その馬鹿げた行動を俺は転生初日にやらかしているなどとはとても申し開き出来ない。
「それで、ちゃんと村人全員が巻き戻しの影響を受けていればよかったんだけれど、何人かはどこかへ避難していて、その人達からすれば、戻ってみれば村が元に戻っているわけで……奇妙な噂が立ってしまったの。時魔法の仕業じゃないか、ってね」
「まあ実際その通りだもんな……」
「その噂を聞きつけて、私を探し出して目の前にやって来たの。さっき君が話してたロイグって名乗る男と、ボウモアって女がね。その時に時魔法の力を貸して欲しいって頼まれたのが一人目。勿論その頼みはお断りしたけど」
「なんだ一人目って」
「二人目が居るからに決まってるでしょ。その時のボウモアとロイグは私が塵にしてあげたんだから」
「なんだって!?」
衝撃的だった。可愛い顔をして、異物と見るやすぐさま粛清するカナの行動力にも舌を巻くが、ロイグとボウモアを倒すだけでは意味が無いというのか。
「最初に現れた時は、ロイグが私の魔法力を吸い取って自分のものにしようとしてたよ。『時魔法』なんて呼ばれ方していたから、原動力が魔法力だと思っていたんだろうね。でも私はその時まだ精神的に若かったから、迂闊にも自分の存在を明かしてしまったの。どうせこれから塵にするわけだしいいと思って」
「は?」
「結局二年後にまたその二人は全く同じ姿で現れた。今際の際に私から聞いた情報をちゃんと携えた状態でね。っていうか、住処を変えてなかった私も悪いんだけど」
違う、そこじゃない。
「今度はボウモアが私とゼウスの繋がりを利用して、私ごとあの異空間に引っ張りこんで、時魔法の発生源であるゼウスに直談判。もちろんそれは破談になって、二人ともまた私に塵にされたんだけどね。だから君が話したことがあるのは三人目になるかな」
「ゼウス?って誰だ?」
「君もよく知ってる、あの異空間に住んでる神様みたいな存在のことだよ。最初に好きに呼んでいいって言われて、白髪で立派な髭を生やしてたから、私はゼウスって呼ぶことにしたの」
「なるほど、俺にとってのクレイグということか」
「へえ、君はそう呼んでるんだ」
「それからどうなったんだ?随分今からしたら時間的な隔たりがあるように思える話だったけれど」
「それから接触してくることはなかったよ、諦めたんだろうね。でも──────今になってまたチャンスは巡ってきた」
「そうか、それが俺の存在というわけか……」
カナは小さく頷いた。
ロイグとボウモアは時魔法の存在が知られてから、永きに渡ってそれを狙っていた。
カナの話が本当なら、ロイグの魔法吸引能力もボウモアの魔法紐による操作能力も、全ては時魔法を手に入れるための手段であり、今の所それは徒労に終わったことを示している。
「私が君を引き止めるのは、第一にグレンゴインは時魔法を暴走させる何かがあること。世間で言うところの"怪人"が時魔法を欲していること。あの男に自らついて行くなんてのは、その両方の危険を冒すってことになるんだからね?」
彼女の言うことは尤もだが、ロイグは『ついてきなよ、案内してあげる』と言った。つまり彼がつま先を向けたグレンゴインには怪人にとっても重要な何かがあることはもう否定しようがない。
「俺には取り戻さなきゃならない人がいる。俺の見立てだと、そいつはグレンゴインに向かったと思うんだ。だからこんな所で立ち止まっている場合じゃない」
「その人って──────女の人?」
「ああ」
「そっか……なんだか羨ましいな」
意外な言葉に俺は眉を顰める。
「俺とあんたは同じような境遇だろ。別に羨むことなんか……」
「違うよ、羨ましいのはその女の人の方。前世の私が死んでしまったのは十三の時。自分自身の手で終わらせたの。もちろん恋愛なんて少しも知らなかったし、こっちに来てからは地獄みたいな戦争を経験して、それが終わったかと思えば、世界が私の敵になった………精神的な年齢で言えば還暦をとっくに過ぎた今も、そこだけは抜け落ちてしまってるんだよ、すっぽりとね」とカナは語った。
初代調停者の今も続く壮絶な人生に俺は言葉を失った。もちろん掛ける言葉を探していたことは言うまでもないが、気休めすら何処にも見つからなかったんだ。
十三歳にして自殺を決意した彼女の前世が本人の口から語られなくとも、それがどんなものか想像する必要はない。あの星の人間社会にはどうしようもない不運に見舞われて、死んでしまった方がマシだと思えるような生活をしなければならない境遇の人間が少なからずいるからだ。
そうしてカナは前世に自ら幕を引き、クレイグに利用されてトラッドへやってきた。彼女からすればごく一般的な人間の営みが出来ればそれで良かったのかもしれない。だが、生まれ変わった境遇もやっぱり地獄と形容するに相応しかったのはあまりに嘆かわしいことだ。
この子、いやこの人に会ってからずっと感じていたことがある。それは"幼さ"だ。
最初は見た目に引っ張られているのかと思ったが、そうじゃない。外見や身体の若さは時魔法によってコントロールできるが、精神だけは別。俺はカナに大人にはないあどけなさ、つまり有り体に言ってしまうなら未発達な印象を受けた。
心が"大人になる"というのは、精神の輪郭を社会に適合するように形作っていくことだと俺は認識している。その変化に必要となる刺激は他人と関わることでしか獲得できない。言わば人格形成の養分。カナは前世を含めてここまでの六十余年、精神的に成長するための刺激を根こそぎ引き抜かれ、マイルストーンのないセカンドライフを送ってきたことだろう。
「どうしても行くの?」カナは俺に訊ねた。
俺は小さく頷いて踵を返す。
「待って」
カナは立ち去ろうとする俺の左腕を掴んだ、いや正確には掴もうとして空を切った。