ゆらぎ
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「も、戻った──────」
俺の意識が現世に戻ってすぐに目撃した光景は、巨鳥の首がドロナックの一太刀によって斬り飛ばされる瞬間だった。
切り離された頭が鈍い音を立てて岩場に落ちて転がり、巨鳥は力無く真後ろへと倒れた。
俺のすぐ脇に立っていたはずのボウモアの分身体はと言うと、魔力の接続が切れたのか、ボロボロの屑肉に変わっている。
「ドロっちナイス!」アソールは龍化を解いて高らかに言った。
全員の心に去来したであろう安堵感。もちろん俺もそうだった、目の前のそれを見るまでは。
俺の位置からは真後ろに倒れた巨鳥の切断面、すなわち首元が視界に入っていたのだ。別段、首のない鳥というショッキングな映像に恐れを抱いたのでは無い。問題はその面の内側だ。
おぞましい白と蛍光グリーンが入り交じった蠕動。動物でも植物でも無い何かがこの鳥の内部で蠢いているグロテスクな光景。それは前世に生きていた頃、動画サイトの生物系チャンネルで見たことがある映像と重なった。
ロイコクロリディウム──────確かそんな名前だったと記憶している。カタツムリと鳥類に寄生し生活環を成す寄生虫、あれにそっくりなのだ。
首がなくともゆっくりと立ち上がるそいつを見て、俺は脚が竦み、声も出なかった。首なしの化け物越しに、サルやドロナックと呑気にハイタッチをするアソールの姿が見えた。
通常、シーズは生命活動に致命的な欠陥が生じると他の生き物と同様に死に至る。例えば腹を切り裂かれたり、首を切られたりすれば当然死ぬということだ。
アソールたちが油断するのも無理はない。まさかシーズの本体がこの巨鳥ではなく、それを操る内部の寄生虫だということなど俺自身考えもしなかった。
「ぐああ……ッ」
やっと声が出たのは鉤爪に頭を鷲掴みにされてからだった。
爪が鎖骨の辺りに突き刺さり出血し、強靭な握力によって圧迫された鉢には鋭い痛みを感じた。
ボウモアは俺を協力者として利用するのだから殺すはずがないと、自分にとって都合がいい希望的観測が頭をよぎったが、この化け物は恐らくもう彼女のコントロール下にはないことが強まる握力によってすぐに否定される。
仲間たちもようやく俺の異変に気がついたみたいだが、どうやら間に合いそうにない。激しい痛みで集中が途切れ、時魔法も使えない。
───────死ぬ。
次の瞬間、俺の身体は大きな衝撃波と急激な横方向の推進力を感じ取った。一瞬だけ内蔵に感じる浮遊感、投げ出されたあと地面は俺の身体強くを打った。
衝撃に曝された身体は一瞬呼吸が困難になり、数秒遅れて息を吐き出した後、ようやく新鮮な空気を肺に運んだ。
「あガ…………はあッ…………た、助かった…………リ、ワイ……ンド」
巻き戻しの時魔法によってみるみるうちに俺の身体はダメージを追う前に戻っていく。
周囲には吹き飛んだシーズが巻き起こした砂煙が立ち上っていた。
衝撃が起きた瞬間を、俺は朧気ながら覚えている。黒色の何かがもの凄い速度でこちらに接近し、巨鳥の腹に衝突して俺ごとここへ吹き飛ばしたのだ。
「─────ショウ様、お怪我は」
砂塵の中で聞いたその声は、俺が求めていた周波数で鼓膜を揺らした。ずっと聞きたかった声だった。
「ブレアッ!君なのか!?」
その時、一陣の風が吹いた。風は巻き上がった砂煙を押し流し、ぐったりと横たわった巨鳥と、その傍らに佇む女の姿を顕にする。
「ご無事なようですね。もう大丈夫です、私が魔法力を吸い切りましたから」ブレアは少し寂しそうに俯いた。
風にはためいてブレアのローブがめくれ上がると、俺は言葉を失った。
彼女はローブの下に何も身につけていなかったのだ。しかし本当の驚きは一糸まとわぬ姿が俺の想像と大きく違っていたこと。
ブレアの脚はニーハイソックスでも履いているかのように脚先から膝上にかけて漆黒の表皮で覆われていて、相変わらず額に可愛らしい角は生えていなかった。
上半身などは首筋の辺りまで満遍なく黒い表皮で覆われ、以前見たブレアの面影は顔と髪と太ももの一部だけにしかない。彼女の美しい白い肌とのコントラストに、俺は未だ言葉を発せずに居た。
「醜い、でしょうか」悲哀に満ちた表情だった。
理解し難い情報の波に、俺は言葉に窮してしまった。
漆黒の表皮、一撃でシーズを蹴り飛ばす膂力と速力、明らかにいずれも人間や竜人のものでは無い。そして決定的に存在を裏付ける独特の食事法。
「見ての通り、私はもうショウ様達とは歩めません。私のことを探していると耳にしましたが、迷惑ですからすぐにやめてください」今度は力強い視線で真っ直ぐこちらを見た。
この女は嘘つきで強情張りだ。そして、どうしようもなく優しい。
「どうしてだブレア、話してくれよ」
何か理由があると思った。そして同時に自分自身を危うい思考の奴だとも思った。世に蔓延るストーカー達は、付きまとっている女に何を言われようがきっとこんな心情になるのだろうな。
「私のことは放っておいてください。妹を、アソールのことをよろしくお願いします」そう言ってブレアは再びくるりと俺に背を向ける。
彼女は目にも止まらぬ速さでその場から姿をくらましてしまう。また俺はそれを呆然と見送ることしか出来ない男だった。
「『迷惑です』か……」前世で別の女に言われた苦い記憶を思い出しながら俺は独りごちた。
そうこうしているうちに、遅れて俺の元へサルたちが駆けつける。
「おい、今のは─────」珍しくサルが決まりの悪そうな顔をしていた。
「ブレアだった」
「ショウくん、ブレアちゃんの身体……」ドロナックにいつもの軽快な印象はない。
「ああ、あの子は……」俺はその先を言い淀んだ。
「お姉ちゃん、怪人になっちゃったのかな」心細そうに眉を八の字にしてアソールは俺に訊ねる。
「わからない」実の妹の前ではそう言うしかなかった。
竜人は角が折れると絶命してしまうという通説が覆された理由。単純な話、彼女は竜人ではなくなってしまったのではないか。
索敵魔法に反応しなくなったのは生物としての種類が後天的に変化したからと理由付けることは出来ないか。
さらに、このところ南部で見つかっていた不審なシーズの死骸も、今目の前に横たわっているシーズの亡骸のように、死因はブレアによって魔法力を吸い取られたことによるものととらえるのが自然なのではないか。
不可解な点同士が最悪の形で結びついて線になる感覚。
もう誤魔化せない。短時間に二度も同じような姿形をした者に会った俺が一番わかっている。ロイグやボウモアの手によってブレアは何らかの方法で後天的に怪人化したのだと。
このことはついさっき"怪人は滅ぼすべき存在"と定義づけたばかりの俺に強い嘆息と戸惑いをもたらした。
皆一様に下を向くしかなかった。この事実をどう受け止めていいのか分からない様子だった。俺にしてもそうだ。
そんな仲間たちに俺は「ギリーへ向かおう」と促す。
とにかく一人になってゆっくり考える時間が必要だと思ったんだ。そのためには、まず今日を終わらせなくてはならない。