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夜が怖い女の子の話

作者: shiro


――だから、私は夜がきらいです。

2年2組 遠藤 あかり



「あのね、遠藤さん。今回の宿題は、好きなものについて書いたらよかったのよ。嫌いなもののことは、書かなくてよかったのよ」

もう一回書いてごらん、と新しい紙を渡されて、あかりは黙って職員室を後にした。先生の言っていたことがわからないわけではない。自分もお母さんが作ってくれるおいしい夕飯のことを書こうと思っていた。でも書いているうちにいつの間にかその後にやってくる夜のことで頭がいっぱいになってしまったのだ。

「だって、夜、いやだもん。ほんとだもん」

そっと呟きながら帰り道を歩く。今日もきっと、夜は来る。ひとりで眠らなければならない夜がとても嫌いだった。


「おやすみ、あかり。よく眠ってね」

そう言って母は出かけて行った。あぁ、今日も夜が来た。真っ暗で、ひとりぼっちの夜。この部屋は世界から切り離された区画で、部屋を出たらまさに一寸先は闇――そんな気がした。

窓を開けて、ドアを開けて、まだちゃんと世界と繋がっていることを確かめたい。だけど外は真っ暗だろうし、もしも知らない人が入ってきたら、と思うとそれも怖くて、やっぱりいつもの通り、あかりは布団に潜るのだった。


かち、かち、かち。

時計の音がとても大きく聞こえる。そっと布団から顔を出して時計を見上げると、布団に潜り込んでからまだ30分しか経っていなかった。たった30分!

絶望に近い感覚でもう一度布団に潜り直し、ぎゅう、と目を閉じた。






次の朝、朝日と共にあかりは起きた。窓を開けると早朝の白んだ空が広がっていて、よかった、またちゃんと朝が来た、と安心した。この家は世界とも、まだ繋がっているらしい。

早々に準備をして、家を出る。こんなに朝早く家を出ていることを、きっと母は知らない。学校もまだ開かないから、公園でひとり時間を潰した。大丈夫、あとはどんどん明るくなっていくだけ。怖くない。

ブランコに乗ってゆらゆらと揺れながら、明るさを増していく空を感じた。安堵。その気持ちが朝の空気と共に肺に広がっていく。なんとか今日も一日をこなせる気がする――そう思いながら大きく息を吐いた。














その日もいつも通りに昼間は過ぎ去った。早すぎるほどに。今日も昨日と同じように、先生に当てられないことを願いながらひっそり授業を受け、かけっこが苦手だから鬼ごっこに誘われたくなくて図書室に隠れながら休み時間を過ごし、掃除の時間は遊ぶ男子達に巻き込まれないよう黙々と掃除を済ませ、「宿題の進捗はどうか」と先生に声をかけられないうちにと早々に学校を後にする。とりわけ楽しさはない学校生活だったが、それでもこれから来る夜を思えば全然ましだった。帰りたく、ない。

朝と同じように公園のブランコに腰掛ける。少しずつ隠れていく太陽が恨めしかった。こんなにゆっくりに見えるのに、あっさり今日も夜がくる。時間が止まれなんて願わないから、そんな無理なことは言わないから、だから太陽だけでもそこにいてくれたらいいのに。


暗くなるギリギリまで公園で過ごしたあと、夕暮れに追い立てられるようにあかりは走って帰宅した。あぁ、今日もやってきた。夜が。憂鬱な気持ちで玄関の鍵を開ける。


「……おかあさん!」


母が、いた。きっと今日は会えないと思っていたから、一瞬で心が浮上するのが自分でもわかった。さっきまでの心情をグレーとするならば、白、ピンク、赤、黄色にオレンジ。ぱっと心が染まって、まるで胸の中がお花でいっぱいになったよう。


「お帰り。遅かったね。遊んできたの?」


ぴしゃ、と水を被ったように心が止まる。

「うん、こうえん、」

頭を撫でられるままに、俯いて答えた。嘘ではない。全く。でも、そうなのね、よかったね、と笑ってくれる母に心がちくりとした。きっと母は、たくさんの友達と賑やかに遊んでいる風景を想像しているだろう。憂鬱な気持ちでブランコに揺られ続けていた自分の絵面を思い出すとどうしようもなく後ろめたい気持ちになった。


「そろそろね、お母さん行かなくちゃ」


止まったままの心が、一層冷えていく。グレーに戻ったどころか、固まって岩になったようだった。

「あかり、いつもありがとう」

顔を上げると、母は眉の下がった笑顔で笑っていた。その表情の意味がよくわからなくて、じっと母を見つめる。そっと抱きしめられるのがわかった。


「あかりがこんなにしっかり者でお留守番もしてくれるから、お母さん本当に助かってるの。あかりは偉いね。ありがとうね」





そうしてもう二、三度あかりの頭を撫でて、母は出かけて行った。夜の始まり。今日も長い長い夜が始まる。

だけど今日はどこか、昨日よりも怖くない気がした。岩になった心は、恐怖も感じないらしい。



ふと思い立って、ランドセルに入れっぱなしになっていたボツの作文を取り出す。明日の朝、公園のゴミ箱に捨ててこよう。そう、明日の朝はやってくるのだ。この部屋が世界と分断されてしまうこともなければ、あかりだけが暗闇の世界に放り出されることもない。ひとりぼっちでない夜も、来ないけれど。ならば、岩になった心は、楽だ。とても。


くしゃくしゃになっていたそれを広げて綺麗に折り直してから、あかりはそのまま布団に潜った。





























やさしいふたり。

優しすぎるふたり。

お母さんだってきっと……わかっていて、この子も、お母さんのことが大好きだから、こそ。




そんな優しいあなたへ。

潰れてしまわないでください。

きっとあなたは、抱え込むことができてしまうひとだから。

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