過去と今と後悔
努めて冷静に淡々と樹は続けた。
「妹?」
「そう、妹…」
「居た、ってことは今は居ないのか?」
「ええ…」
初耳だった。
高校の時に知り合った仲だが、その時はそんな事一度も聞いた事が無かった。
「亡くなったの。原因は栄養失調と、元々あった心臓病の悪化によるストレス性の心筋梗塞」
「この飽食の時代に栄養失調なんだな…」
「いじめによるストレスが原因だと私は思っているわ。悲しいけど普通の子とちょっと違うっていうのはいじめの恰好の的よね」
何とも重い話である。
というかそもそも、いじめをするな!と言いたいが、実際の教育現場がすべて配慮が行き届いているかと言えば悲しいがNOだろう。
学校という閉鎖空間で抑圧された日々のストレスを発散したい、誰かにぶつけたい。
そういう抑圧された心理の反発からくるのがいじめだ。
勿論いじめを行うのには様々な理由はあるが、実際いじめが起こる原因というのは何てことない些細な理由でというのが多い。
強いて理由をあげると「たまたまいじめやすそうだったから」そんな下らない理由でも発生するのがいじめだ。
だからこそいじめが無くならないし、学校としても発生しようとも認識し辛いのだろう。
表面上は見えないからこそ、いじめはなくならないし、対処の仕様がない。
そういう面もあって、いじめというものが成立してしまうのだ。
何とも悲しいが、それが事実だ。
「大人しくて優しい子で、人に嫌われるような子じゃないんだけど、舌が敏感で野菜の味が苦手な子でね。何とか味付けとか工夫して食べさせてはいたけど、学校じゃそうは行かないの…」
樹は続ける。
「最初は何でもなくてもね、毎回残してると、やっぱり目を付けられちゃうのね」
「……」
「後で分かった事だけど、いじめの内容が巧妙でね。標的にされた妹は給食で苦手な物が出る度に残すから、後から人気のない所で無理やり食べさせられたりね…」
「……」
「最初はそれでも何とか飲み込んで、後で吐き出してたんだけど、先生に相談してはいたけど、そのせいで最後には給食自体その、食べられなくなっちゃったの…」
「教師はどうしたんだよ!?普通そんな露骨なことがあれば、保健室や別の教室で食べるなり対応するだろ?それに、いじめた本人にもそれなりに対応するだろ?」
「そうね。そういう事があって対策は確かに取られたわ。いじめの主犯格の子も注意されてしばらくは大人しくなったわ。それで解決すればよかったけどね…実際は逆効果」
「……」
「子供って大人の態度を見て学習するのよ。駄目だと思ったらすぐに辞めちゃうの。だけど、バレない様に別の方法を考えつくの。それにね…」
と、樹は言葉を一度区切る。
「子供って案外残酷よ?そういう何てことない事からちょっとでも皆と違うとね、それを依怙贔屓えこひいきだ悪だと決めつけて、最初は一人二人だった悪意が、その内集団にまで伝染して無視したり、仲間外れにしたり、酷い時には暴力だって…平然とやっちゃうの…」
善悪の区別がつかない子供だからこそ、それが悪い事であるというのを自覚できないのか。
無知であるが故の残酷さというものが、子供には確かにあるかもしれない。
虫取りをして平然とバッタや蝉の羽や足を毟る行為をするのと同じように。
バッタや蝉なら可哀そうではあるが、成長の過程としてこういう事をしたら可哀そうだ、痛いからやめよう。
と、いった教育を大人から受けて子供はそれがいけないことなんだと、学習し成長する。
だが、その過程でそれと同程度の理由としていじめが起こってしまうのは問題だ。
子供にとってはバッタか人かの違いでしかないが、された本人としてはたまったものじゃない。
「妹はそのことを誰かに相談しなかったのか…?」
「ええ、一度大人に相談したせいで余計に酷くなったから…それが原因でそれ以降は家族にすら相談せず一人で抱え込んじゃったわ…」
最悪だ。
学校にも家にも逃げ場が全くないとなると、悪意に晒され続ける事になる。
本来なら実際にいじめがあれば学校が対処するべきだし、支援学級やその子に合わせた教育を受けられる場所への転校だって考えられるはずだ。
だが、誰かに相談できなければそういう対処もできない。
完全に八方塞がりだ。
「誰かに相談しないにしても、学校に行かないとか、逃げる手段はあっただろ?何故そうしなかったんだ?」
当然ながらそんな疑問をぶつけると、電話口で樹は少し悲しそうに笑った。
「ふっ、そうよね。そういう手もあっただろうにね…でもね、そういう事をしない子だったの。あの子は…」
「何故?」
そう問いかけると、樹の声は震えていた。
「あの子はね…優しいから…自分が一番辛いはずなのに、助けてって言葉が言えなかったの。上手に辛いのを隠して誰かに頼ることが出来なかったのよ…」
「どういうことだ…?」
「私や家族に気を使って、言い出せなかったのよ…。昔から仕事で忙しい両親だったから…」
「というと?」
「家事は殆ど私や妹がやっていたわ…疲れて帰ってくる親や一緒にいた兄の私にさえ甘えられなかったの…。甘えたい時期でしょうに、それが一番必要な時に自分の大好きな家族を困らせたくないって…」
「……」
「そんな一心で、ちっちゃなノートに当時の事が鮮明に記しるされていたわ…」
「……」
「いじめのせいで食べたいものが食べれない、ご飯がおいしくない、食べても戻しちゃう…ってね。他にも書かれてたけど、内容はあまり思い出したく無いし胸糞悪いだけだから省かせて頂戴ね…」
いじめの内容なんて胸糞悪いだけだ。
本人がそういうのであれば、そこは深く突っ込むのはやめておこう。
「……」
「家でそんな素振りは絶対に見せずに、いつも通りに振舞ってたわ」
「家でもそんな…」
「私が学校はどうか、大丈夫か?って聞いたらあの子なんて言ってたと思う?」
「……」
答えらえれなかった。
家族にさえ遠慮して、面倒を掛けたくないからと、気を使ってしまう優しい子が何て言ったかなんて、想像できたとしても言えなかった。
それはあまりにも悲しすぎるから。
「笑顔で頷いて、毎日楽しいよ!今日はお友達と沢山遊んだよ!ってね…」
「――ッッ!」
「居もしない友達に、あの子が精一杯背伸びして、大好きな家族に心配かけない様に、安心できるようにって…健気に笑ってね…」
樹の声に嗚咽が混じる。
時折鼻をすする音や深呼吸をする音が聞こえる。
「ホント馬鹿よ。それは優しさなんかじゃなくてただの独り善がりなのにね…相談して欲しかった。でも、そんな薄っぺらい嘘にすら気付けなかった私はもっと大馬鹿よね…」
その様子から受話器越しにも樹の当時の様子を悔いている様子が伺えた。
「私も受験の時期だったから迷惑をかけないように、勉強に集中出来るようにって…あの子のSOSに気付けなかったの…ホント兄貴失格よね」
「……」
「日に日に痩せていくあの子は、本当はずっと、助けて!誰か助けて!って、心の中では叫んでたのにね…」
樹は涙を流しているのだろうか。
電話口から聞こえてくる声も、震えており、時折息を吸い込む音や、嗚咽混じりの声が聞こえてくる。
「両親は仕事に夢中で、私や妹の事は殆ど見ていなかったし。当時は進学の事もあって特にお金が必要だったからね」
「……」
「両親は妹の様子にも気づかないで、妹の”大丈夫”って笑顔と言葉を鵜吞みにしちゃって…」
「……」
「だけど、私も同罪ね。一番仲が良かったはずの私にだけは絶対にバレない様にって、特に念入りにいつも気丈に振舞って…。でも、私はそんな偽物の笑顔にさえ気づかずに、言ってしまったのよ…”ちゃんと食べないと大きくなれないぞ?”ってね」
感情の奔流が電話口を通して伝わる。
一言一言、口にする言葉は彼の懺悔の様な、そんな感情が籠った言葉を一言ずつ述べていく。
「あの子、その言葉を聞いて私に初めて反抗したわ。”もう嫌だ、なんでそんなこと言うの?大っ嫌い!”ってね」
「………」
「当然よね。後から知ったとは言え、学校で言われている事と変わらないんだもの。あの子にしたら、一番聞きたくない言葉よね。絶望以外の何物でもないでしょうに…」
俺は黙って聞いているしかなかった。
「あれ以来妹とは互いにぎくしゃくしちゃって…会話する機会すらなかったわ…」
「何とも悲しいすれ違いだな…」
「ええ…。それからの展開は早かったわ…」
樹は一度「すぅー…」と、息を吸い込み続けた。
「ある日いつもの様に学校に行って、いじめられて…でも、身体の方が耐えられなかったのね…限界が来たわ…」
「ふぅ…」と、息を吐いて樹は続ける。
「妹の最期は心筋梗塞だった…」
「………」
「ストレス性の心筋梗塞と、極度の栄養失調…って医者に言われた時には、無理やりにでも食べさせておけば良かった、もっと妹とちゃんと向き合っておけばって後悔したわ。遅すぎたけどね…」
「………」
「ふぅ…。それからはいじめの件で学校に問い詰めたり、妹の葬式だったり…ほんと、色んな事をしたと思うんだけど、全然覚えてないの。ただ、妹が居なくなったって事実だけがあって、心にぽっかり穴があいちゃったみたいな感じよね…」
一時期テレビや新聞で話題になっていた事件だ。
学校側のいじめ対応の杜撰さと、教師の対応が後手後手になってしまった件。
何年か前にニュースで見たことがある。
過去のいじめの事件としては、賠償額が最大だったとかで話題になってたっけ。
「確か十年前くらいのあの事件って…あれ妹さんだったのか…?」
「ええ…そうよ。ニュースや新聞でとりあげられて学校は閉鎖。当時の校長先生と担任と主犯格の子の親は辞任と賠償金の支払いで今だに奔走中」
「それで、両親はどうしたんだ…?」
「賠償金が入って仕事を辞めたわ。今はもう二人共働かず、毎日ぐーたら三昧よ。妹の事があってから心を病んでしまってね。あたしもそのお金で大学に行けて、今の職場に居るわけ…」
何とも悲しい話だ。
それ以上の言葉が思いつかなかった。
樹の家庭にそんな事情があったとは…。
だからコンにあんなに強引な態度を取ったのか…。
俺は納得がいった。
つまり樹は…。
「コンと妹さんを、重ねて見てたって事か…」
俺がそう言うと、樹は電話口で「ええ…」と、短く返事をする。
「はぁ…いやぁ~ねえ~ホント。こんな話するつもり無かったのに…何でかしらね、似てただけ…ホントそれだけで、別人なのにね…分かってるのにね…」
と、樹はふと感傷に浸っていた。
「ってか、樹っちゃん、顔凄い事なってるからこれ使うし…」
今まで黙っていた花奈が、横から何か差し出したのだろうか。
樹はそれを「ありがとう」と、受け取ったらしく、受話器の向こうから鼻をかむズズーという音が聞こえた。
「ホント、コンちゃんに何て言えばいいのかしらね…会わせる顔がないわ…」
なおもズズズと、鼻をすすりながら通話する樹。
先程まで温かかった湯も、今はすっかり温くなっている。
時刻を見ると一時間半も経過していた。
長湯しすぎである。
身体が温まり、若干フラっとしているが、何とか立ち上がる。
ザバーっと湯船から湯が零れ落ち、風呂場のタイルに飛沫が飛散する。
「ふぅ…」と、一息吐いてから樹にかける言葉を思案する。
そうだな、そんな事情があるなら…やはり直接コンにも話してしまった方がいいだろう。
こちらの事情も知ってもらえれば、少なくとも理不尽に押し付けられていた訳ではないと、理解はしてもらえるだろうし。
何より、それでどういう風な対応をするかによってこちらの今後の対応も変わってくる。
何にせよ、誠心誠意あやまることから始めるべきだろう。
よし、決まった。
「なあ、樹…」
俺がそう切り出すと、樹も短く「何かしら…?」と、返してくる。
「やっぱり、直接コンに話した方がいいと思う。そういう事情があったっていう事をちゃんと伝えないと、コンも理不尽に押し付けられただけだって思うかもしれないし…」
「ええ、そうね…」
やはり樹も分かってはいるのだろう。
彼も大人だ。
ただ、勇気が出ないのだ。
本当に許してもらえるだろうか?
今後の関係性はどうなるのだろうか?
樹自身もコンとは今後も良好な関係を築いていきたいからこそ、これだけ葛藤しているのである。
それと同時に樹的には妹の時の様な結末になって欲しくない、というのもある。
土地神だから正直、野菜は食べなくても何とかなるんだろうけど、気持ちの問題もある。
仮にここで野菜を食べずに育てば、人間とは比べ物にならない位の時間を生きる神は一生野菜を食べないで過ごすかもしれない。
そこを懸念する必要性があるかどうかといえば、正直な所分からない。
だが、久那妓さんは「経験が足りない」と、言っていた。
俺たちに期待している、とも。
恐らくこういう小さな成長を促しているというのであれば、そこは曲げるべきところではないだろう。
うむむ…本当に厄介な宿題だ…。
後で話し合う必要があるな。
最終的にコンには判断してもらおう。
俺らが決めてしまう必要はない。
道を提示し、それを決めるのはコンだ。
あくまでも、その道を提示するのが俺達大人の仕事だろう。
だからこそ、出来る限りの事はしてやりたいし、してやるべきだろう…。
だから…。
俺は…。
樹の背中を押してやることにした。
「なあ、後でコンに話してみよう」
「できるかしら…?」
不安げな声が電話口から聞こえる。
「正直に言って分からん!」
「そんな、無責任な…」
と、言葉を遮る樹の言葉を更に遮る。
「が!最終的に決めるのはコンだ。今のお前にできる事は、誠心誠意謝ってその上でどうするかを選択してもらう事だ」
「―――ッ!」
電話口から息を飲む音が聞こえてきた。
さらに続ける。
「分かってるんだろ?もう、本当はどうすればいいかをさ…」
「………」
暫くの沈黙の後、樹はまた「すぅ~…ふぅ~…」と、深呼吸をして、ようやく答えた。
「ええ、そうね…やっぱり、それしかないわよね…」
「ああ。結局はコン自身が決める事だ」
そう言うと、また鼻を啜って「ふふっ…」と、短い笑い声が聞こえてきた。
「あ~あ…やっぱりそうよね。それしかないわね。ありがとう、四季ちゃん…これで覚悟ができたわ。結局、コンちゃんの選択に委ねるのが一番ね」
受話器からはどこか吹っ切れた様な声音が返ってきた。
どうやら、向き合う覚悟が出来た様だ。
「ありがと」と、短く聞こえると「そろそろ戻るわね~」と、聞こえてきた。
「んじゃ、気を付けて…って、ガタイの良い樹を襲う暴漢はいないわな…」
と、普段のふざけた態度で返すと元気を取り戻した樹も乗っかってきた。
「あらやだぁ~…何て酷いこというのかしら!こんなにチャーミングな私なんだから襲われたら抵抗できないじゃな~い!」
先程の深刻な様子は吹き飛び、いつもの調子に戻ったようだが、なんだか無性に腹が立つ。
「へっ、職質くらってもしらねーぞ?」
鼻で笑って言葉を返すと、受話器の向こうから怒気を孕んだ声が聞こえたがそれを無視して電話を切った。
「ちょっと、四季ちゃんどういう意味y…」
火照った身体も程よく冷めたので、俺は磨りガラスの扉に手を掛け、扉を開く。
それと同時に、施錠していたはずの脱衣所の扉が開かれ、ぴょこんと勢いよく脱衣所に飛び込んできた闖入者ちんにゅうしゃは、こちらの都合などお構いなしに言葉を投げかけてくるのであった。
「お~い、四季~…ハルがの、あいすくりぃむ?というものを買ってこいとの事じゃ~…って…なんじゃ、おぬし!なんてモノを見せつけるのじゃ!破廉恥じゃ!こんのっ変っっっ態っっ!!!」
わなわなと拳を握りこみ、怒で目をつむり整った眉毛が逆八の字に吊り上がると、一気にカッと目を見開き、渾身の一撃を放つケモミミ幼女。
「あべしっっ!!」
完全に無防備な姿を見られた俺の方が被害者だと思うのだが、そこにはすっかり機嫌を取り戻したケモミミ幼女ことコンが、顔を真っ赤にして「フーッ、フーッ!」と、こちらを威嚇していたが、すぐに台所の方へと引っ込んでいった。
去り際に放った張り手の一撃は、見事に俺の頬にクリーンヒットし、熱で火照った頬を更に赤く染める、季節外れの紅葉の様な痕となって刻み込まれるのだった…。
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