中編 物語の舞台裏
数年前。
とある一日。
王族を歓待するときと同等レベルの客室に、二人の少女が向かい合うようにソファに座っている。
「見事な演技だったわ。ソフィ」
開口一番、公爵令嬢のジャクリーヌは目の前に座る少女を褒めた。
「いやぁ、どーもどーも! お褒めに預かり光栄ですよぉ。ジャクリーヌ様!」
つかこの紅茶マジ美味いですねぇと、王太子達に断罪されたはずの少女がニコニコ笑った。断罪されたときに見せた醜悪な姿とは似ても似つかぬ超弩級の美少女だ。髪はきちんと整えられ、服も一級品のものを身に纏っている。ジャクリーヌの指示により、侍女達に手厚くもてなされた結果だ。
学園にいたときよりも魅力に溢れ、同姓のジャクリーヌでさえ感嘆の溜め息をつきたくなるほどだ。
「今をときめく舞台女優顔負けの出来でしてよ?」
「お? 持ち上げても割引はしませんよ?」
クッキーもヤバいなと、次々と口に放り込んでリスのように頬を膨らませるソフィ。そんな間抜けな顔も果てしなく可愛いのだから始末に負えない。
「もう! そんなケチ臭いこと言うわけ無いでしょう!? わたくし、公爵令嬢でしてよ!?」
クッキーのカスだらけにしているソフィの口元を、自らのハンカチで取ってやるジャクリーヌ。婚約者を取られた少女と、その婚約者を取った少女とは思えない仲睦まじいやり取りだ。
「それに、そうじゃなくたって、恩人のあなたに対してこの値段で良いのかって思っているくらいなのに……感謝してもし足りないのに……」
ふいっとそっぽを向きながら言うジャクリーヌに、ソフィは三日月型に目を細めてニヤリと笑う。
「きゃ~!! “氷姫”のツンデレいただきましたぁ~!!」
「かっ、からかわないでちょうだい!」
頬を赤らめて照れるジャクリーヌは、美人でありながら無表情がデフォルトなことから“氷姫”と呼ばれていた過去がある。最近は笑顔をよく見せるようになったので、“春の君”と改名されたそうだが、どっちにしろ恥ずかしい通り名なので止めて欲しいらしい。
「やっぱジャクリーヌ様はそうやって感情を出すべきですねぇ。あ~本当に美人~好き~」
「もう! 美人とか好きとか、そんな簡単に言うものではないわ」
「本当のことだからしょーがないじゃないですかぁ~」
ぽぽぽっ、とまた顔を赤くするジャクリーヌはとても可愛らしい。褒められ慣れていないのだ。
王太子妃となる彼女は厳しい王妃教育を懸命に熟す努力の人だったが、周囲にはそれを全て元からの才能であると捉えられ、努力を見ている者はいなかった。
「王太子殿下もジャクリーヌ様の可愛さに気づけて何よりです。砂糖煮詰めたシロップより甘い顔してジャクリーヌ様のこと見てましたもんねぇ」
「や、やめて……! そ、そそそ、そんなことは……」
「ありますよぉ? ふふふ! 色々誤解が解けたんでしょう?」
王太子とジャクリーヌは、元々はとても仲が良かった。
婚約のきっかけは王族と公爵家だけあって当然のように政略だったが、そんなのは関係ないほど相手を大切に思っていた。
それが崩れたのはいつだったか。
「ええ。色々と思いを打ち明けたわ」
「王太子殿下の本音も聞けたんですっけ」
「ええ。そうなの」
公爵令嬢ジャクリーヌ様は、美人で頭も良く貴族のマナーも完璧。まさに非の打ち所がない。
王太子に相応しい、いや、王太子よりも優秀なのでは――?
そんな周囲の評価が出てきた頃。
ジャクリーヌよりも王太子が勝っているものはいくつもあったのだが、彼女の優秀さはいつしか王太子の劣等感に繋がった。王太子の苦手な分野を埋めて支えたかった彼女の努力が裏目に出てしまったのだ。王太子にはまるで自分の不完全さを逐一責められている気になったのだと言う。
「殿下よりテストの点数が悪い科目もあったのに、気づいてなかったみたいなの。言ったら驚いていたわ」
「ま~あのときの殿下は劣等感の塊で、ジャクリーヌ様が自分よりできる部分ばかり映ってたんでしょうね」
「わたくし、歴史が特に苦手なのよね……」
「ジャクリーヌ様、実は人物名覚えるのちょー苦手ですもんね。わたしの名前ですら暫く間違えてたし。三文字ですよ三文字。音数だと二音」
「うっ、ごめんなさいね」
「ソファって何度呼ばれたことか……いっそ改名しようかと」
「……申し訳なかったわ……許してソフィ……」
「あっ、ちょ、落ち込まないで! 本気で怒ってるわけじゃないですってば。可愛いなぁからかっただけですよぉ!」
加えて、ジャクリーヌは王太子妃として相応しくあろうとしすぎたのも悪手だった。
王妃教育の一環であるポーカーフェイスを婚約者である王太子にも常時発動させ、弱みや本音を決して漏らさず、正論のみを彼に語った。
「王太子妃になりたかったのではなく、あなたの隣にいるために努力していたと思い切って話したら、その……」
「押し倒されました?」
「おっ、おしっ……!? そ、そんなこと殿下はしないわ!」
「え~殿下の意気地なしぃ。じゃ、何されたんです?」
「王太子妃の地位が欲しいだけで、不出来な自分のことなどとっくに好きではなくなっているのだと誤解していたと謝られたの」
「誤解が解けたんですねぇ! 身体張った甲斐があるってもんですよぉ!」
ソフィは三杯目の紅茶のおかわりを淹れてもらいながら、照れながらも心底嬉しそうな様子のジャクリーヌを祝福した。
「それで、その……わたくしのことが、好きだと、言ってくださいましたわ……」
「ひゅーーー!! よっ、両思い!! リア充!! お似合いのカップルぅ!!」
囃し立てるソフィに、「もう! 茶化さないでちょうだい!」と言葉ではぷりぷり怒るジャクリーヌだが、満更でもなさそうなのが見て取れる。
「ジャクリーヌ様」
ソフィは静かにティーカップを置くと、穏やかな口調でジャクリーヌに話しかけた。
「あなたは王妃となる。それゆえ、そう簡単に相手に本心を曝け出すわけにはいかないでしょう。しかし、これからは共に歩んでいく愛する人や同士には本音を出しつつ、分からないことはちゃんと話し合うんですよ?」
当たり前のことのように聞こえるが、ジャクリーヌ達が拗れに拗れた元凶はコミュニケーション不足のせい。
黙っていても思いが伝わるなんてのは幻想だ。穿った見方をすれば、相手を理解することを放棄するのと同義であるとソフィは考える。
「ええ。肝に銘じるわ。またすれ違いたくないもの」
ジャクリーヌはソフィの言葉に素直に頷くと、立ち上がってソフィの隣に腰掛けた。
「ねぇソフィ。本当に、本当にありがとう……」
ソフィの手を取り、涙を浮かべるジャクリーヌ。
愛する人とまた共に歩めることになったのは、彼女のおかげだった。
「お仕事なんでね! 感謝されるようなことじゃないですよ。報酬もたっぷりもらいましたしぃ?」
にんまりと笑いながら、人差し指と親指をくっつけて金のジェスチャーをするソフィ。少々下品なジェスチャーだが、ジャクリーヌは咎めることをせず苦笑にとどめた。
「でも言わせて。ありがとう」
花のような美しい笑顔を見せるジャクリーヌに、ソフィも暖かい笑顔を浮かべる。
「毎度ありがとうございました! 末永くお幸せに!」
ハッピーエンド好きが高じて“当て馬”を生業とするソフィ・カロンは、本日無事に一年がかりの大仕事を完遂させたのだった。