喫茶店<Dreaming kitten>へようこそ
プロローグ
April 13 (Monday♪)
「おはようございます」
息を切らし、御神苗 湊が姿を現す。
湊の声が朝の静かな喫茶店内に響き渡った。
「御神苗君おはよう!朝ごはんは食べてきた?」
カウンター越しで彼女、朱鷺坂 久遠先輩が特徴的なポニーテールを揺らし聞いてくる。
「今日は寝坊しちゃって…まだです」
「ダメだよー、朝ごはんはしっかり食べなきゃ。ちょっとまっててね〜、今ぱぱっと作っちゃうから」
そう言って久遠先輩はエプロンを結ぶ。
「すみません、ありがとうございます」
湊は彼女の目の前のカウンターに腰を下ろす。
壁にかかった時計を見ると開店まではあと30分ほどある。
彼女はこの喫茶店のマスターの娘であり、湊の先輩でもある。
転校の為この街、<ラティア>にやって来てはや1ヶ月。何も知らなかったこの街を案内してくれたのも久遠先輩だ。
<ラティア>は比較するならドイツのハン・ミュンデンに似ている。建造物は全て木組みで統一されており、緩やかな斜面に沿って街が構成されている。
下町は海に接しており、夏になると観光客で賑わうらしい。
そんな事を考えながら喫茶店を見渡す。
…出会いはこの喫茶店だった。
「いらっしゃいま…大丈夫ですか?!全身ずぶ濡れじゃないですか!」
出会いは突然だった。
「あはは、急に降ってきたもので…」
4月の初め、転校する学校の下見に行った帰りに大雨に襲われて咄嗟に入ったのがこの喫茶店<Dreaming kitten>だった。
「ちょっとまっててくださいね、今タオルと暖かい飲み物を…」
そう言って彼女はタオルと暖かい紅茶を用意してくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
そう言ってカップを顔に近付けた瞬間、さつま芋のような濃い甘みや芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
「うふふ、いい香りでしょう。この紅茶はアッサムと言って見た目は黒っぽいけれどとっても甘いのよ。ちょっとこのミルクを入れてみて」
そう言って渡されたミルクを入れてゆっくりかき混ぜる。
「どう?」
「!?美味しいです!」
さっきとは違う波が湊を包む。
「よかった!この紅茶はミルクティーにして飲むのが1番美味しいのよ。他にも色んな紅茶があるからゆっくりしていってね」
さっきまで雨に打たれていたとは思えないほど、体は温まっていた。
あの後、
「あの!ここで働いてみたいんですが…いいですか?」
「あの日からもう2週間かぁ」
そう思いをめぐらせながらカップにつがれている紅茶を口に運ぶ。
今飲んでいるのはセイロンという紅茶で、普段よく利用するファミレスや喫茶店で使われているのもほとんどがこれだ。
(……今考えたらよく働くことOKしてくれたよなぁ)
そう考えていると、
「はい!出来たよ〜久遠先輩お手製のモーニングセット!」
久遠先輩が俺の前に料理を並べる。
キノコと季節の野菜のサラダにクルミ入りの焼きたてのパン、フルーツ入のヨーグルト。
「早くしないとパンが固くなっちゃうよ〜?」
「…はっ!いただきます!」
彼女の呼び声で止まっていた時が動き出す。
あの短時間でここまで豪華な朝ごはんができるなんて…
「どぉ?美味しい?」
机に肘をついて前かがみになりながら先輩が聞く。
「はい!とっても美味しいです」
「ふふ、よかった」
「…っ///」
先輩の笑顔にドキッとする。
今日もいい日になりそうだ。
第1話 再会
April 20 (Monday♪)
満開の桜が咲き誇り、まるで新たな門出を祝うかのように小鳥たちが鳴く。
今俺が向かっているのは<Dreaming kitten>では無い。転校先である神代高校である。
周りには自分と同じ制服の人がちらほらと見受けられる。
中にはこちらを見ながら「誰?」といった声も聞こえる。
(今更だけど、久遠先輩と一緒に行く約束でもしとけばよかった…)
きっと彼女なら誘ったらOKしてくれるだろう。
そうなことを考えているうちに神代高校の校門が見えてきた。
校門の先に見える校舎を見上げて湊は呼吸を整えた。
ここから、始まる。
学校に着くなり教室とは異なる別棟、B棟へと足を運ぶ。目的地は事務室である。
「確か、事務室は」
事前にケータイに送られてきている校内マップを見て自分が今いる位置を確認する。
ふと顔をあげると事務室に向かう間の廊下で1人の少女がこちらに歩いてくるのが見えた。
上履きの色が同じことから彼女が同じ学年だとわかった。
この学校では学年によって学年カラーが決められている。湊たち、2年次の学年カラーはライトグリーンである。
すれ違い際に少女が話しかけてきた。
「おはようございます。見かけない顔ですが…もしかして今日からうちのクラスに転校してくる御神苗 湊さんですか?」
まだ転校するクラスについては湊も知らなかったので困惑した。何故自分の名前を知っているのか。
…考えるより聞いた方が得策だ。
「あぁ、今日からこの学校に転校してきた御神苗 湊だ。その、なんで俺の名前を?」
「ええと、先に自己紹介した方が良さそうですね。私はこの学校の副生徒会長を務めてます雨宮天 美来と言います」
なるほどな。生徒会、ましてや自分と同じクラスで副生徒会長ともなれば知らされていてもおかしくは無い。
…どこかで聞いたことがある名前の響に湊が眉を顰めるがその違和感には気づけなかった。
「事務室までご案内しましょうか?」
「いや、大丈夫だ。ありがとな」
彼女の手元にある書物は恐らく日誌だろう。前いた学校だと週番がやっていたがここでは違うのだろうか。それともたまたま彼女が週番なのだろうか。
どちらにせよ彼女にはやらなくては行けない 仕事があるようだった。
「そうですか、分かりました。何かあったらなんでも聞いてくださいね」
「助かるよ」
そう言って彼女はその場をあとにした。
その背中を見届け湊は事務室へと歩き出した。
…彼女が湊にとってどれだけ大切な人かも知らずに。
事務室のドアをノックするとすぐに中から背の高い男の人がでてきた。
歳は50歳前後だろうか。髭が良く似合うダンディな方だった。
「おはよう。君が湊君、だね?」
男がはっきりとした口調で俺の名を呼ぶ。
「おはようございます。そうです」
「そうか、ようこそ神代高校へ。私はこの学校の学長をしている架間 薫だ。君のクラス、2-7の担任は佐倉 琴子先生という方だ。そろそろ来る頃だと思う」
そう話していると足音が聞こえてきた。
「学長、おはようございます。湊君もおはよう」
「おはよう、佐倉先生」
「おはようございます」
担任である佐倉先生はキリッとした見た目で、でもどこか優しさを感じるような声だった。
「早速だけれど湊君。私についてきて」
時計を見ながら佐倉先生がそう言った。
時刻は8:25を指していた。この学校では8:40に一限が開始する。その前に自己紹介など行うと考えると急ぎ足なのも理解出来る。
「それでは失礼します学長」
学長に一礼した後事務室を後にし、佐倉先生の斜め後ろをついて行く。
「今向かっているのは2-7の教室よ。教室に着いたら私が合図するまで廊下で待機しててょうだい」
歩きながら佐倉先生が話しかけてくる。
「はい、あのひとつ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「この学校って購買とかってあったりするんですか?」
「学校内の詳しい説明は放課後副生徒会長が案内する予定です」
……放課後かぁ。弁当を持ってきていない湊にとって購買の場所を知るには朝しかないのだが。
「副生徒会長とは、雨宮天さんのことですか?」
少しびっくりしたような顔で先生は俺の顔を見る。
「知っているのですか?」
「あ、はい。朝少し話したので」
「そうですか。なら話は早いですね。放課後彼女が校内の案内をしてくれるのでその時に聞きたいことは色々聞いてください」
「分かりました」
そんなやり取りをしていると2-7が見えてきた。
……自己紹介するのは慣れている。慣れていても緊張はする。
湊はこの感覚が嫌いだった。
「皆さんにお知らせすることがあります。今日からこのクラスに転校生が来ることになりました。湊さん、どうぞ」
その合図を聞き、湊は教室に足を踏み入れる。
湊が転校してきた2-7は文系クラスなだけあり、7割が女子だった。
40人の中で7割が女子というのは想像していたより占める割合が多かった。
「えー、今日からこのクラスに転校してきた御神苗 湊と言います。…お昼ご飯忘れので誰か購買の場所教えてくださいお願いします」
笑い声が教室を包む。
とりあえずスタートダッシュは成功と言えるだろう。
「それじゃあ湊君の席は、窓側の1番後ろね」
湊は心の中でガッツポーズをとる。
席に着くと担任と入れ替わりで一限の、現国の先生が教室に入ってきた。
湊の神代高校での物語が今始まった。
「ねぇ湊君って前の学校では部活はやってたの?」
休み時間になり、隣の席の女子が話しかけてきた。
ショートカットが良く似合う少女だった。
「あ、そうだまだ名前言ってなかったね。私は島田 鈴。鈴って呼んでねっ」
「あぁ、よろしくな鈴」
そう名前を呼ぶと彼女は優しく微笑んだ。
「前の学校では部活はやってなかった」
「へぇ。じゃあこれからやる予定とかは?!」
「無い、かな?放課後は予定がある日が多いから」
その予定というのは、久遠先輩が待っている喫茶店の事だ。
週に5回、日曜日と金曜日が休みで他は放課後、土曜日は朝から喫茶店で仕事だ。
今日は放課後に学校案内があるためお休みを貰っている。
「そうなんだぁ。ねぇねぇ!御神苗君のことなんて呼べばいいかな?」
「呼びやすい呼び方でいいよ。前居たとこだと苗って言われてたけど…さすがに苗はもう嫌、かな」
向こうは決して悪意があって呼んでいたわけではない。
むしろ親しみを持って呼んでくれていたに違いない。
だが苗はちょっと…
「分かった!苗君って呼ぶね」
「俺の話聞いてた?!」
「あはは、冗談だよじょーだん。湊君っ」
つられて笑ってしまう。
話が盛り上がっているところに空気の読めないチャイムがなる。
「お昼休みに話の続き、いいかな?」
それは湊にとっても朗報だった。
「あぁ、ついでに購買の場所教えて」
鈴が親指を立てる。とりあえず昼ぼっちを回避出来たことと昼飯が確保出来て安心する。
彼女、美来が話しかけたそうに見ていたことも知らずに。
気がつけば放課後だった。
あっという間の1日だったなと湊は思った。
SHRを終えみんながそれぞれ別行動を開始する。
授業のわからなかったところを聞きに行く人もいれば部活に行く人、そのまま帰る人。
そんな中湊は教室に残る人だった。
「じゃあね湊君!また明日!」
鈴が手を振りながら教室をあとにする。
因みに彼女も部活動には所属していないためこのまま帰宅予定だ。
湊はと言うと…
「それじゃあよろしく頼むよ。雨宮天」
人が居なくなった教室で湊は彼女の名前を呼ぶ。
「…やっぱり違うかしら(ボソッ」
「ん?なんか言ったか?」
雨宮天口元が動いた気がしたがなんと言ったのか聞き取れなかった。
「な、なんでもないわ。それでは行きましょうか」
そう言って彼女が歩き出した。その後に続く。
(あれ?この後ろ姿、どこかで…)
先に口を開いたのは雨宮天の方だった。
「ねぇ、私の事覚えてる?」
彼女が立ち止まりそう問う。
まるで俺の心を読んだかのようなタイミングで聞かれ、湊は驚く。
湊は彼女を知っていた。だがそれがいつの記憶かが思い出せない。
「……人違いだったかも。忘れて」
再び彼女が歩き出す。それと同時に記憶の蓋が開いた。そうだ、彼女は
「待ってくれ。もしかしてミラか?」
「?そうよ?私は美来よ?」
「それはそうだが…俺が言いたいこと分かってて言ってるだろ」
湊がため息混じりでそういうと彼女の口から笑い声が漏れた。
「ええそうよ、ミラよ。……湊」
はにかみながら俺の名前を呼ぶ仕草に少しドキッとする。
「まさかこんな所で幼なじみと再開するなんて思ってもなかったよ」
雨宮天 美来、ミラは幼い頃から家族絡みで中が良かったいわゆる幼なじみだった。
しかし小3の時、親の仕事の都合で引っ越し最初の頃はよく連絡を取りあっていたが徐々にその頻度が減っていき、中学に上がる時にはもう連絡すら取らなくなっていた。
「私もよ。こんな所で湊と再開するなんて思ってもなかったわ」
彼女との再会は考えていなかったことだが、湊にとってこの再会は嬉しいものだった。
「まさかあの泣き虫のミラが今じゃこの学校の副生徒会長かぁ」
「あら?泣き虫だったのは湊の方じゃない」
「………そうだっけ?」
そんな気がしてきた。
この街に来てからこんなにリラックスして話せる相手がいなかったからか自然に体が軽くなる感覚が湊を包みこんだ。
「1階が3年次、2階が2年次、3階が1年次の教室よ。購買は1階の昇降口前にひとつ、3年次前の廊下をまっすぐ行ったところの突き当たりにひとつ、合わせて2つあるわ。渡り廊下を渡って北側の校舎はB棟。事務室や職員室に加えて科学室や地学室、音楽室やコンピューター室などがあるわ。それより北側には体育館と多目的ホール、剣道場などがあるわ」
約7年振りの再会の喜びを分かちあった後、一通り校舎を見て回った。
改めてこの学校の広さに圧倒される。
「これ体育間に合うのかな…」
この学校は基本授業55分、休み時間10分である。着替えて教室から体育館まで移動となればかなりのスピードを要する。
「慣れれば結構余裕よ。体育の先生怖いから気をつけてね」
「その情報は聞きたかったような聞きたくなかったような」
帰ったら体操着に着替える練習をしようと心に誓いミラと昇降口に向かう。
「今日はありがとうな」
ミラに感謝を伝える。
「あくまで生徒会の仕事よ。気にしなくていいわ。それに、案内係に立候補したのは私だしね」
「そうなのか」
「転校生の名前を見た時、もしかしたらって」
「なるほど」
てことはミラの方は朝挨拶した時にはもう俺が幼なじみの湊かもしれないと思っていたのか。
「湊、このあと用事とかってある?」
ミラがそう聞いてくる。
「いや、今日は特に何もないよ」
本来なら喫茶店にいる時間だが今日はお休みを貰っている為、フリーである。
「そう、じゃあ一緒に帰らない?」
「いいけど、ミラって家どっちだ?」
彼女が指さした方角を見ると湊と同じ方向のようだ。
「なら一緒だな」
「あの実は、ちょっと寄りたいところがあるんだけど…」
「?いいぞ」
「ありがと、湊。それじゃいきましょっ」
彼女が湊の手を引っ張る。
湊がその手を握り返すとミラの体がビクッと震えた。が、すぐに握り返してくれた。
夕日のせいかミラの顔は真っ赤だった。
「ここよ」
ミラが目的地の前で立ち止まる。
そこには<Dreaming kitten>と書かれていた。
…まじかよ。
「友達から聞いたんだけどここの紅茶とっても美味しいらしいの!1度来てみたくて…湊?」
ボーと突っ立っている湊にミラが問いかける。
「ああ、いやすまん。入るか」
ドアを開け中に入る。
「いらっしゃいまs…いらっしゃいませー」
こっちを見て一瞬久遠先輩が目を丸くしたがすぐに言い直してニヤニヤとこっちを見てくる。
…絶対いじられるやつだ。
「へぇ、素敵なところね。不思議と落ち着くわ」
「だな」
内装を見渡してミラがそう呟く。湊も同感だ。
「色んな紅茶があるのね。湊はどれにする?」
メニューを見ながらミラが聞いてくる。
「え?あぁ、俺はダージリンにしようかな」
「じゃあ私も。すみませーん」
「はーい」
ミラが久遠先輩を呼び、注文する。
「ダージリン2つください」
「ダージリンでしたら焼き菓子もご一緒にどうですか?」
久遠先輩の提案にミラは「じゃあそれもお願いします」と答えた。
「ねぇ湊?」
「ん?」
運ばれてきた紅茶を飲みながらミラが話しかけてくる。
「湊が引っ越してきたってことはもしかして茉白ちゃんもこっちに来てるの?」
ミラの言う茉白とは湊の妹のことだ。
湊の妹御神苗 茉白は俺たちの一個下で、昔はよくミラと女の子同士で遊んでいた。
「ああ、学校は別だが一緒に住んでるぞ。今度うちに遊びに来るか?」
そう提案すると
「ほんと?ありがとう!久しぶりに茉白ちゃんとお話したいもの、ぜひお邪魔するわ」
「きっと茉白も喜ぶよ。あいつミラのこと大好きだったからな」
そう伝えるとミラは嬉しそうに焼き菓子を頬張った。
「美湖おばさんも元気かしら?」
ミラの口から出たその単語に湊は少し暗い顔になる。美湖おばさんとは、湊の母親のことである。
「母さんは先月亡くなったんだ。葬式とかの準備で忙しくて。そのせいで予定より登校する日が少し遅くなっちゃったんだ」
「そう、だったのね。…なんかごめんね」
ミラが菓子を食べる手を止めて押し黙る。
「いや大丈夫だ気にするな。名前を覚えてくれてたって母さん喜んでるよきっと」
「そう言ってくれると助かるわ。何かあったらすぐ相談してね。湊の為ならなんでも協力するわ!」
「ありがとう」
「でも、その、えっちなことは、ダメだよ?」
顔を真っ赤にしてそう口にする。一瞬想像してしまい湊も顔を赤くする。
「……変態」
「しょうがないだろ…健全な男子高校生の証拠だ」
「心配して損したわ、でも頼って欲しい」
その心強い眼差しを受け湊は「よろしく頼むよ」と力強く頷いた。
「いい所だったわね。今度鈴達と来ようかしら」
店を出ると外が暗くなっていた。
「家まで送ろうか?」
「大丈夫よ、何年住んでると思ってるのよ。でもありがと」
そう言って彼女は湊とは違う道を行く。
「湊」
「?なんだ?」
「また明日」
……何度も聞いている言葉のはずなのにすごく懐かしく感じる。
「また明日」
そういうと2人はそれぞれ帰路を歩き始める。
こうして湊の神代高校での初日が幕を閉じた。
April 20 (Monday's night♪)
風呂から上がるとリビングのソファーでアイスを片手にテレビを見ている人影があった。
「茉白、学校の方はどうだった?」
「んー?普通だよー、お兄ちゃんは?」
「普通って。そうだ茉白、お前ミラのこと覚えてるか?」
「美来ちゃんでしょ?覚えてるよ。どうして?」
「話すと長くなるんだが……」
茉白に今日あったことを話す。
「それでミラ、今度うちに来たいってさ」
「ほんと?!久しぶりの美来ちゃんとのお話、楽しみ!」
茉白も喜んでいるようだ。
「今日は疲れたからもう寝るわ、おやすみ」
「おやすみー」
本当に濃い1日だった。
布団に入るなりすぐに夢の中へと引きずり込まれて行った。
第2話 新<Dreaming kitten>
April 21 (Tuesday♪)
「湊君!一緒にご飯食べよ!」
お昼の時間になり、隣の席の島田 鈴が話しかけてきた。
「私も一緒に食べるわ。いいわよね?」
鈴の後ろから弁当を片手に雨宮天 美来、ミラが話しかけてきた。
「いいよいいよ〜、湊君もいいよね?」
「あぁ」
湊の前の席の椅子を借り、湊の机の上で弁当を広げ始めるミラ。
「あーずるい!鈴も湊君の机で食べるー!」
「机くっつければいいだろ…」
その提案を聞いて鈴が湊と机をくっつける。
「ねーねー、なんか出会って一日の割には2人共仲良くない?昨日の放課後何かあったの?…まさかいかがわしいことでもしたの?!」
「してねぇよ!」
周りでご飯を食べていたグループが冷ややかな目で俺を見る。
「私と湊は昔近くに住んでてよく遊んでいたのよ」
そうミラが説明すると鈴は「なるほど!」と手を叩いた。
「ねぇねぇ美来ちゃん、昔の湊君ってどんな感じだったの?」
一通り食べ終わったあと鈴が口を開いた。
「一言で言うと、泣き虫ね」
「酷い!もっといいのあるだろ!」
「他は…虫が苦手でよく泣いてたわね。やっぱり泣き虫じゃない」
「副生徒会長がいじめる」
「泣いてる湊君見てみたいな〜」
「鈴まで………」
湊はぼっち飯よりはまし、とポジティブに捉え気持ちを立て直す。
「そうそう鈴、昨日例の喫茶店行ってきたのよ」
「ほんと?!どうだった?!」
ミラが言っている例の喫茶店とは<Dreaming kitten>のことだろう。
「すごいいいところだったわよ。落ち着いていて雰囲気あるし、紅茶も焼き菓子も美味しいし、店員さんも可愛いし。良かったら今日の放課後にでも行かない?」
(まずい…)
神代高校は特にバイトの制限がないが、同級生が来るとなれば久遠先輩にいじられる未来が目に見えている。
「実は俺今日用事があってさ。俺もまたあの店行きたいし、金曜日にでもどう?」
金曜日なら湊もバイトがオフだし、2人とも(ミラは生徒会がある日もあるが)放課後は用事がなさそうだと思い提案する。
「鈴はいいよ〜、美来ちゃんは?」
「私も金曜日は空いてるわ」
2人の返答を聞いて安心する。
「それじゃあ金曜日に」
午後の授業を終え各自移動を始める。湊はそのまま店に行く予定だ。
2人と別れたあと昇降口を出たところで、見覚えのあるポニーテールが目に入る。
「御神苗君今帰り?良かったら一緒にお店まで行こうよ〜」
「ええ是非」
久遠先輩とこうして2人で話すのは3日ぶり、その間に濃い出来事が起こりすぎでなんだか久しぶりな感じがする。
「そういえば御神苗君」
「はい?」
「昨日女の子連れてうちの店来たよね?」
(ほらなぁ、絶対いじってくると思った)
「実は彼女は幼なじみなんですよ。自分も驚きました。まさかこんなところで再会するなんて」
「そうなんだ、だからか〜。出会って初日の割には仲が良すぎると思ったんだよね〜」
「出会って初日であんなに仲良くなれるコミュ力は持ち合わせていませんよ笑」
そんな会話をしながら先輩の横を歩く。
周りを見渡せばまだ見なれない風景が広がっていた。
この街の建造物は全て木組みで統一されていてまるでドイツのハン・ミュンデンのような風景である。
街の広場には大きな噴水があり、夜には音楽を奏でる人が路上で演奏をしている。いわゆるケルト音楽というやつだ。
<Dreaming kitten>の店内でもケルト音楽を使用しており、中でも湊が好きなのは"Dance of Red Lights"である。
あの不思議と踊り出したくなるリズムが好きだった。
「私、この街が大好きなんだ」
先輩が手すりの前に立ち、下町を見下ろしながら言った。
「私の夢は今の喫茶店を継いでこの街で1番愛される店にすること。この街だけじゃなくて周りの街、いいや世界からも注目される店になってこの街の名を世界に轟かすの!」
先輩の声に驚いた小鳥たちが一斉に飛び立ち、巻き起こされた風が彼女の髪を揺らす。
「御神苗君はこの街すき?」
振り返った彼女は太陽の光と重なり表情は伺えなかったがきっと太陽の光に劣らないほど輝いていたに違いない。
「好きです。きっと、忘れられないと思います」
「そう、嬉しいな」
彼女は満面の笑みでこちらを見る。
「さぁお店に急ご!マスターが待ちくたびれちゃう」
いつも無表情のマスターがカウンターで待っている姿を想像して口から笑みが零れた。
「そうですね、行きましょうか先輩!」
少し早足になりながら2人は喫茶店に向かった。
喫茶店のドアを開けて、最初に目に入ってきたのは友人の姿だった。友人、鈴と美来の姿がそこにあった。
「まさか湊君がここで働いてたなんて、びっくりだよ〜」
「私も驚いてるわ。てことは昨日来た時にはこの店のこと既に知っていたのね…」
「え?何それ鈴初耳なんだけど?どういうこと?」
「ごめん鈴、ちょっと話がややこしくなるから静かにしてて」
「いやその、昨日の件についてはごめんな(2人に対して)。あんなに期待してた人の前で言い出せるわけが無いだろ」
そんなやり取りをしていると久遠先輩が紅茶を持って来た。
「御神苗君も座って飲んで。せっかくお友達が来てるんだから」
「すみません、ありがとうございます。…これはウバですか?」
独特のメントールの匂いがして、湊は久遠先輩に問う。
「そうだよ〜。御神苗君もなかなか詳しくなってきたじゃあないか」
「先輩のお陰ですよ、いつもありがとうございます」
「いえいえ〜。それじゃあごゆっくり〜」
そう言って久遠先輩がカウンターへと向かう。
「いいなぁ、私もここで働きたいなぁ」
「そりゃあ私だってこんな素敵なところで働けたらなって思ってるわよ」
紅茶を飲み終え、店を見渡しながら2人は言う。
「聞いたよ今の話」
「「きゃっ!」」
2人の後ろから姿を現す久遠先輩。
「もし良かったらうちで働いてみる?私は大歓迎だけど」
「ほんとですか?!」
久遠先輩の提案に鈴が反応する。
「うん。私もこれから大学受験に向けて勉強を始めなきゃだし人手が欲しかったのよ。どう?」
鈴とミラが顔を見合わせる。そして
「え、本当にいいんですか?」
ミラがそう聞くと
「御神苗君がこの店で働くことになったきっかけ、聞く?」
「ちょっ、やめてください!」
たまたま入った店に心惹かれ働かせてくださいって頭下げて働かせてもらったなんて恥ずかしくて聞かれたくない。
「2人のこともっと聞きたいから明日の放課後、また来てくれる?」
「はい!」
「そこでシフトの調整や簡単な自己紹介をしましょう。今日はもう日が暮れちゃったから明日また」
その日は仕事中も久遠先輩に「男の友達いないの?」とか質問攻めを受けすごく疲れた。
(好きで男子の友達を作らなかったわけじゃないのに…)
そんなこんなで2日目を終えこの2日間を振り返る。
美来との再開、鈴という友達ができ、その2人が喫茶店で働き始める。
「はは。………いやよくよく考えたらおかしいだろ」
流石に思っていた学校生活と違いすぎて湊は笑うことしか出来なかった。
April 22 (Wednesday♪)
放課後、昨日と同じメンツが喫茶店に集まっていた。
「うん!よく似合ってる!」
今行っているのは喫茶店の制服調整である。もちろん男である湊は部屋の外で待機中だ。
と、湊の前で行き良いよくドアが開き、鈴が湊も前に走りでる。
「湊君!湊君!鈴達似合ってるかなぁ?」
喫茶店の制服と言ってもうちはこの街の景観に合わせて作られているためそれに沿ったシンプルで、だがどこか大人びている制服となっている。
(因みに湊の制服はマスターのお下がりである)
「ああ、すごく似合ってると思うぞ。その、ミラもな」
鈴の後ろでモジモジしているミラがその言葉を聞き一瞬ビクッとなり俯いてしまった。まずいことでも言っただろうか。
「えへへ、湊君に褒められちゃった」
鈴はその場で回ってみる。サイズもピッタリのようだ。
「それじゃあシフトの話でもしましょうか。みんないつ空いてる?」
「私は毎日空いてます!」
「私も生徒会の仕事がなければ毎日空いてます」
その2人の意見を聞いて久遠先輩は少し悩んだ後
「それじゃあ毎日みんなでやりましょ!私、みんなでワイワイしながら喫茶店のお仕事するの夢だったんだ〜」
みんなはその意見に賛成し話し合いは終わりを告げる。
こうして喫茶店<Dreaming kitten>の店内はまた賑やかになったのだった。
第3話 同じ月の下
April 25 (Saturday♪)
「はい、アールグレイ2つ」
鈴から紅茶を受け取り机まで運ぶ。
この街全体とは行かないもののご近所さんからかなり人気があり、休日の午後には満席になることもある。
時刻は14時、湊にとってはいつもと変わらない休日の風景だが、鈴とミラにとっては初めての休日だ。
因みにカウンターで紅茶を入れているのが久遠先輩と鈴で、運んでいるのが湊とミラだ。
意外にも(本人に言ったら怒られそうなので黙っておく)鈴は紅茶を入れるのが上手く、すぐに湊のポジションを奪っていった。
一方ミラの方は下手ではないものの鈴や湊には及ばない、と言ったところだ。
最初はしょんぼりしていたミラだったが、流石は生徒会とでも言おうか。お客様への対応がとても上手く、近所の常連さんから褒められすぐに笑顔を取り戻した。
(…あれ?俺って荷物運びぐらいしか役に立ってなくね?)
強力な仲間が増えた一方、自分の課題が浮き彫りになっていくのを感じ、湊は「まだまだだな」と前を向き直した。
「そういえばミラって明日空いてる?」
ピークを終え、一通り落ち着いたあとミラに問いかける。
「ん?空いてるわよ」
「そうか、この前うちに遊びに来ないかって言っただろ?それで明日とかどうかと思ってさ」
日曜日は<Dreaming kitten>もお休みな為、湊も予定がない。
「私は全然大丈夫よ。何時頃がいいかしら」
「そうだな、いつでも構わないが…」
そこまで言いかけて湊は、ミラが母の作るラザニアが好きだったことを思い出した。
…つい先月まで隣で見てきた湊は母のラザニアの作り方を覚えている。
「10時に広場の噴水前集合でどうだ?」
「10時?」
「あぁ、お昼は心配しなくていい。なんなら手ぶらでもいいぞ」
「流石に人の家にお邪魔するのに手ぶらは失礼でしょ。ふふ」
今日の帰りに強力粉を買って帰ろう。
「ちょっとー!2人でコソコソ何話してるのー?!」
カウンターの向こうで鈴が叫ぶ。
「いや、なんでもない」
「ホントにぃ?」
「あ、ああ」
小柄な鈴が覗き込むように目を合わせようとしてくる。
ミラがほっぺを膨らませる鈴を撫でる。次第に表情が柔らかくなっていきすぐにふにゃぁと目を細める。
そんなやり取りを見てふと湊は疑問に思った。
「なんか二人共結構仲良さそうだけど、去年同じクラスだったの?」
その問いかけに2人は顔を見合わせて、笑い出す。
「な、なんだよ」
「い、いや、私達って周りから見たらそう思われてるのかーって思って」
「鈴達小学校から一緒なんだよ」
その発言に驚いている湊に2人は過去の話を色々聞かせてくれた。
2人の出会いや小中学校での出来事など、中でも湊が驚いたのは
「まさか鈴が生徒会長だったなんて…」
「えへへ、照れちゃうな」
鈴は顔を赤くする。
中学校時代鈴は生徒会長を務めていたらしい。その姿を見て感銘を受けたミラが生徒会に立候補し、今に至るわけだった。
「生徒会長の頃の鈴とってもかっこよかったわ。みんなから慕われていたし、理想の会長って感じだったわ」
「ミラがそこまで言うなら、きっと素敵な生徒会長だったんだろうな」
「ちょ、ちょっとふたりとも!もう///」
鈴は熱くなった顔を覚ますために顔を手で仰ぐ。
「なんの話しをしてるのー?」
と、そこへ常連客との会話を終え久遠先輩がカウンターへと戻ってきた。
「みんなの過去話をちょっと」
「何それ面白そうな話してるじゃないか、私も混ぜなさいよ」
「実は鈴が」
「ちょ、湊君もうやめて!鈴のライフはもうゼロだよ!」
鈴が顔を真っ赤にさせながら止めに入る。
久遠先輩はキョトンとしているがすぐに何かを感じとったように
「ねぇねぇ雨宮天ちゃん、島田ちゃんがなんだって?」
とニヤニヤしながらミラに話しかけた。
「もぉーーーーー!!!!」
店内に鈴の叫び声が響き渡る。
そんなやり取りを見て常連客は微笑ましいと言わんばかりの笑みを向けてくる。
そんな日常に湊は胸を踊らせるのであった。
「おかえりお兄ちゃ…何その袋」
「ああ、これか?」
家に帰ると首にタオルを巻きパジャマ姿の少女、茉白が湊の右手にある袋を指さして聞いてきた。
「これは強力粉だよ。まぁ何に使うかはお楽しみ」
そう言って買ってきた強力粉をキッチンに置く。
「明日、美来ちゃんに会えるのね!」
茉白は鼻歌交じりに歩み寄る。音痴だ。
「楽しみにしてたもんな」
ミラなんか「久しぶりに会うから緊張して。今日寝れるかしら」なんて言っていた。
「今日は早く寝るんだぞ」
「うん、そーする。食べ終わったら寝ちゃお」
そう言ってアイスを咥えたまま茉白はフラフラと洗面所へと向かった。
寝坊しないよう目覚ましをセットして布団に潜る。
カーテンの隙間から月明かりが漏れ、部屋を明るく照らす。
カーテンから顔を出し月を見ると綺麗な満月だった。うさぎ
が餅つきをしながらこちらを見ている。
「…今日もお父さん帰ってこなかったな」
そうつぶやくと湊は夢の世界へと旅立った。
同時刻、同じ月を見ている1人の男がいた。
「結局今日も帰れそうにないな…たまには息子と一緒に風呂でも入りてぇが仕方ねぇ」
月に向かって御神苗 暁はつぶやく。
「あと少しで完成ですから。もう少しの辛抱ですよ」
隣に立つ若い男性が暁に話しかける。
「わーてるよ、あと少しの辛抱だ!」
自分を奮い立たせるため暁は顔を洗い、作業を再開した。
第4話 記憶の蓋
April 26 (Sunday♪)
時刻は9:45。
湊は広場にある噴水の前で、走り回る子供たちを見ながら美来の到着を待っていた。
「ほんとにいいところだよなぁ…」
街を見渡して改めてこの街の良さを感じる。
斜面に沿って街が形成されている為、この街では車が走っていない。そのおかげか街中は音楽で包まれていた。
これが日本だと信じられない。
木組みの街に車の通らない安全な道、子供たちは噴水の周りで伸び伸びと遊び、広場では演奏者が素敵なメロディーを奏でている。
見下ろせば広がる街並み、見上げれば雲ひとつない空。風が街中を走り抜け、甘い匂いを運んでくる。
鳥たちが水を飲みに噴水に降り立ち、子供たちが鳥目掛けて走り出す。
そんな素敵な物語の中に、自分がいる。そう思うと胸の中から熱く何かが込み上げてきた。
そんな湊の背中を誰かが触れた。
振り返るとそこにはワンピース姿のミラの姿があった。
「…何よ、じっと見て」
「あぁ、いや可愛いなって」
「っ!///きゅ、急に何言い出すのよ!」
さっきまで街を見下ろして黄昏ていた湊の口から本心が無意識のうちに出てきた。
ミラが顔を真っ赤にしてポコポコと湊を叩いてくる。
可愛い。
「茉白も待ってるだろうし、そろそろ行くか」
「なんかモヤモヤするけど、それもそうね。茉白ちゃんを待たせる訳には行かないもの」
2人並んで歩き出す。
…広場に繋がる門の前で、一人の少女が2人を見ていることなど知らずに。
「鈴ー、ちょっと買い物に行ってきて欲しいんだけど…」
1階で母親が最愛の娘の名を呼ぶ。
「はーい」
階段をかけ降り、母の元へと向かう。途中階段で寝ていた飼い猫のマルを踏みそうになった。
「マルったら、また階段の途中で寝て…」
何度注意しても気づけばマルは階段の途中で寝ている。迷惑だが可愛い。
「いってきまーす!」
買い物かごを持って勢いよく家を飛び出す。
普通なら道路に飛び出すなど自殺行為だが、何せ車という概念が存在しない街ではそんな心配は必要が無い。
街を降り、広場に差し掛かったところで事件は発生した。
「広場は今日も賑やかd…」
噴水の前に見た事のある人物が2人、美来と湊だった。
「な、なんであの2人が?!」
2人が歩き始めた為、咄嗟に門の柱に姿を隠す。
(いや、咄嗟に隠れちゃったけど隠れる必要ないじゃん!)
しばらくして2人の姿が見えなくなると、鈴は再び店へと歩き出した。
その足取りは、家を出た時とは違い重くなっていた。
「ただいまー」
「お、お邪魔します」
こうやってミラがまたうちの敷地をまたぐなんて、誰が想像しただろうか。
「…なんか焦げ臭いな…」
何かが焦げる匂いが漂っている。
匂いの発生元であるリビングのドアを開けると、机の上に溶けた蓋を置き、机の前で膝を着いて倒れる茉白の姿があった。
湊は家を出る時に茉白にラザニアをレンジで焼いておいてくれと頼んで出ていった。
茉白はその指示に従いラザニアをレンジで焼いた訳だが……
「まさか蓋を間違えるなんて」
「ご、ごめんなさい」
「いや、蓋もセットに置いとかなかった俺も悪かった。大丈夫か?怪我したりとかは」
「ん、大丈夫だよ」
とりあえず茉白が無事ならそれでいい。
そんな兄妹のやり取りの横でミラが容器の中を覗き込む。
「これって…」
かつてミラの大好物であり、今は亡き母の得意料理であるラザニアがそこにはあった。
「ちょっと待っててくれ。今焼いちゃうから。ミラって今食べられそう?」
レンジの蓋を閉める前にミラに問う。
「大丈夫よ、楽しみだわ」
彼女は懐かしいあの頃を思い出してそっと目を細める。
「そうだ、せっかくだしみんなで過去のアルバム鑑賞でもしようか」
そう湊が提案すると2人は賛成してくれた。
湊はクローゼットの上からアルバムを取り出す。
そのアルバムを机の上に広げ写真に目をやると、つい昨日のことかのように鮮明に記憶が再生された。
「また湊の泣いてる写真…ぷぷぷ」
「し、仕方ないだろ、虫が怖くて泣く5歳児なんてどこにだっている!」
「お兄ちゃん、この間家にGが現れた時私に涙目で助けを求めに来たよね」
「誰だってGは怖いだろぅ!」
……アルバムを見始めておよそ5分。楽しいはずのアルバム鑑賞会は湊をいじめる会へと変貌を遂げた。
早くラザニア焼きあがれ。
「でも不思議ね。こんなに泣き虫だった湊が今じゃこんなに大きくなって」
「…お前は俺の母さんかなにかか?」
「私に甘えてくれてもいいのよ?」
「お前なぁ…。そういうこと、他の男子には言うなよ」
幼なじみである湊に対してはからかい程度で済むが、普通の男子高校生がそんなこと言われたら何をしでかすか分からない。
「も、もちろんよ!湊以外に言ったりしないわ!」
「おまっ、それって…」
「っ!///そういう意味じゃないわよ!」
「あのー、私部屋の外で待ってた方がいい?」
湊とミラのやり取りを横目に茉白が空気を読んでその場を立ち去ろうとする。
「茉白ちゃん!誤解よ!」
ミラが茉白を呼び止める。と、その時レンジがなった。ラザニアが出来上がったようだ。
タイミングがいいのか悪いのか。
湊は確認するために立ち上がりキッチンへと向かう。
「お、ちゃんと焼きあがってるみたいだな」
蓋を開け、箸を突き刺す。
しっかり中まで焼けているようだ。
鍋敷きを敷き、その上に容器を置く。
「わぁ」
ミラが目を輝かせて覗き込む。
人数分の皿を棚から取りだし、ミラと茉白に手渡す。
「食べてみてくれ」
「ん」
ミラが容器から自分の皿にラザニアを取り分け、自分の口へと運ぶ。
「…美味しい、美湖おばさんのラザニアだわ!」
それを聞いて湊は胸を撫で下ろす。
「良かった。どれ、俺も食べてみようかな?」
湊とミラと同じように自分の皿に取り分けラザニアを口に運ぶ。
…あぁ、母さんの味だ。
茉白は黙って黙々と食べている。
その瞳には亡き母を思い涙が滲んでいた。
そんな御神苗家に一人の人影が迫ってきてきた。
御神苗家の前で一人の男、御神苗 暁が我が家を見上げていた。家に帰ってくるのは実に2週間ぶりだ。
…自分の子供たちには申し訳ないことをしてしまっている。
母親を無くした子供を家に残したまま2週間も家を開けてい た自分を、果たして2人は迎え入れてくれるだろうか。
久しぶりに我が子の顔を見れる嬉しさと、不安が交錯する。
暁は鍵穴に鍵を差し込み回す。
「ガチャリ」と音を立てて鍵が開き、ドアが開かれる。
玄関には3組の靴が綺麗に揃えられていた。
「3足?…誰か来ているのか」
と次の瞬間、
「誰だ?!」
リビングのドアが勢いよく開きフライパン片手に湊が飛び出してきた。
「…今なんか音しなかった?」
黙々とラザニアを食べていた茉白が手を止め、顔を上げる。
「…私も聞こえたわ」
「あぁ、俺もだ」
音は玄関の方からした。
2人を危険な目に合わす訳には行かない。
そう思い湊はキッチンからフライパンを持ってきた。
「ちょっと待ってろ。様子を見てくる」
「湊、気をつけてね」
恐る恐るリビングのドアの前まで行き、ドアノブを回す。足音が近づきガラス越しに人影が映る。
そして、
「誰だ?!」
勢いよくドアを開け1歩前に出る。
男は身体を震わせ、湊は目を見開いた。
湊はそこに居たのは人物を見て時が止まった。
そこに居たのは、
「とう、さん?」
2週間ぶりに父親の姿を見て湊が口を開く。
「父さん…」
「っ!」
父さんが身体を震わせる。何かを恐れているようだった。
否、暁は恐れていた。
暁と湊たちの立場が逆だったら、暁はもう父親とは口を聞いていなかっただろう。
そうされても仕方ないことをした。
2人の目を見て謝りたい。
暁はこの2週間、それだけを考えて来た。
だが、湊達は違った。
「おかえりなさい」
ただそれだけ。そのたった7文字で暁の世界は崩壊する。
「湊!茉白!本当にすまなかった!」
暁は勢いよく頭を下げる。
「顔を上げてくれ、父さん」
その言葉に、暁は驚き
「その、怒って…ないのか?」
恐る恐る聞くと湊と茉白は顔を見合せため息をつき、
「どうこう言っても仕方ないだろ。母さんが死んだのは父さんのせいじゃない。それより元気で何よりだよ。改めておかえりなさい、父さん」
「…あ」
暁の頬に何か熱いものが伝った。
擦っても擦ってもすぐにまた溢れ出す。
溢れ出す溢れ出す溢れ出す。
泣き崩れる暁に茉白はタオルを手渡し、そっと父の背中を撫でた。
こうして2週間ぶりに御神苗家が揃った。
「…恥ずかしいところを見せてしまって申し訳ない」
泣き止んだ暁がミラにそう告げる。
続け様に暁はミラに問いかける。
「君は……茉白のお友達かな?」
「2人の、です」
「?茉白と湊は違う学校だった気がするんだが…」
状況を理解していない顔の暁に湊が説明する。
最初は「美来?」と首を傾げていた暁だったが「あー!雨宮天さん家ね」と頷き、「美来ちゃんも大きくなったなぁ」とミラを見て言った。
「雨宮天さん家のみんなは元気かい?」
「はい、家族に湊達との再会を話したらまたお話したいと言っていました」
「そうか。また雅人さんと将棋がしたいなぁ」
暁の言う雅人さんとはミラのお父さんのことである。
あの頃の2人は集まる度に将棋を指していた。
「雅人さんには負け越してるからな。成長した俺を見たらきっと驚くぜ」
「父にそう伝えておきますね」
そう言ってミラは口元を手で押えながら笑った。
4人で机を囲み話すこと4時間、話題の尽きない会話が終わりを迎え、家へと帰るミラを途中まで湊が送ることにした。
「今日は楽しかったわ。ありがとう」
「こちらこそ。楽しかったよ」
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
時が経つのも忘れてしまうほど話に火がついてしまった。
「また、お邪魔してもいいかしら?」
ふと彼女がそう呟く。
「あぁもちろんだ。みんな喜ぶよ」
次はどんな話で盛り上がるのか、そんな想像に胸を膨らませた。
「ここまでで大丈夫よ。ありがとう」
そう言って彼女は別れを告げる。
「気をつけてな。また明日!」
「うん!また明日!」
そういうとミラは湊とは逆方向に歩み始める。
「…さて、と。家に帰ったら誰かさんと話したいこといっぱいあるんだよな」
その誰かさんとは言わなくてもわかるであろう。
仕事とはいえ葬式後に2週間も家を開け、家事は茉白頼み。
おまけに携帯に連絡しても出なかった彼には言いたいことも聞きたいこともいっぱいある。
それは怒りによるものではなく、
「子供ってのは、いくつになっても親に甘えたい盛りなんだよ」
そう口にして夕日を見つめる。
海へと沈みゆく太陽。その偉大さに圧倒される。
子供から見た親はまるで太陽のようなものだ。
そう思いながら湊は早足で家へと向かうのだった。
「ふぅ…」
お風呂を肩まで浸かり、湊はゆっくりと息を吐く。
父さんとの話し合いで、何故2週間も家に帰ってこなかったのか、なぜ連絡しても反応がないのか、など聞きたいことを茉白と質問攻めし、暁は焦りながら全て簡潔に答えて言った。
暁によるとこれからは毎日帰って来れるらしい。
「背中流すからこっち来い」
「ああ」
湊は湯船から体を出し暁の前へと移動する。
…ん?
「なんで父さんがいるんだよ?!」
「別にいいだろ!親子なんだから!俺は息子と風呂に入りてぇんだよ!」
「だとしても急に入ってくるな!別に断ったりしねぇよ」
こんなやり取りも懐かしく思う。
引越しに葬式、そして2週間の空白の時間。その間親子らしいやり取りは少なく、暁も湊同様寂しかったのだ。
「なんか右ほっぺ赤いけどどうした?」
湊がほんのりと赤いくなっている暁の頬を指さし言う。
「あぁこれか?さっき茉白も一緒にお風呂どう?って聞いて叩かれた」
「そりゃ叩かれるだろうよ…」
これは完全に暁が悪い。茉白はもう高校生だ。
たとえ親だろうと異性と風呂に入ることは許されない。
暁は頬を擦りながら「昔は「お父さんの背中流すー!」って言ってくれたのになぁ。時の流れはこんなにも残酷なのか…」とため息をついた。
第5話 Ttime!
April 27 (Monday♪)
「ねぇ2人とも」
「ん?」
「何かしら?」
昼休み、いつも通り机をくっつけて弁当を食べていた鈴が聞いてきた。
「昨日…」
昨日、まで言って鈴の口は動きを止める。
「昨日2人で何をしていたの?」そう聞くだけなのに、たったその一言を口に出すことを躊躇うほど鈴にとって2人の密会は衝撃的だったのだ。
それと同時に鈴の心にモヤモヤを残す原因ともなった。
「昨日、なんだ?」
湊が時の止まった鈴に問いかける。
「2人とも昨日のドラマ見た?鈴感動しちゃってさ」
(なんで私、嘘ついてるんだろう)
「俺は見てないな。感動するのか、見てみようかな?」
湊がそう答える中、ミラは鈴の目を見て眉を顰める。
そして、
「鈴、何か隠してるでしょ」
その言葉に鈴はビクッと身体を震わせる。
ミラは鈴の瞳を見て言う。
「隠し事なんて鈴らしくないわ」
「…………………でしょ」
「?」
「隠し事してるのは2人の方でしょ」
鈴の唇は小刻みに震えていた。
「2人とも昨日広場一緒にいたよね」
鈴もあの場にいたのか。変な誤解を産んでいるようだ。
「鈴に内緒で何をしていたの?」
「変な誤解をさせてすまない。俺の妹がミラに会いたがっていたからミラを家に呼んだだけだ。それ以上のことは何もしていない」
そう答えると鈴は目を丸くして「…え?」と声を漏らした。
「……なーんだ鈴の早とちりかぁ。良かったぁ」
そういうと鈴は脱力し机にぺたーと張り付いた。
「なんなら今度鈴も家にくr」
「行くー!!!!」
机から体を勢いよく上げ、俺が言い終わる前に答える鈴。
時計を確認したミラが
「そろそろ着替え始めないと間に合わないわよ」
そういいながら片付け始める。
「やっべ次体育か」
湊と鈴もいそいそと片付けを始める。
体育の先生がどんな先生かは先週1週間で完全に理解した。いわゆる「敵に回しては行けない人」だ。
厳つい顔にガタイのいい体育教師は、生徒の前では一切笑顔を見せないと評判である。実際鈴と美来、もちろん湊も見たことがなかった。
「また後でね!」
そう言ってミラと鈴は更衣室へと向かう。
…食後の体育は何時以下なる時代も生徒を苦しめる。
もう法律で昼後の体育は禁止にしてくれないかなと思う湊であった。
放課後教室を出た湊達は昇降口で久遠先輩と合流した。
<Dreaming kitten>に向かう途中、ふと気になったことを口にする。
「みんなってTtimeやってる?」
「やってるわよ」
「「やってるよー」」
Ttime!とはケータイのチャットアプリで、メッセージのやり取りはもちろん、通話や数人でグループチャットをすることも出来る。
「ならこのメンバーでチャットグループ作らないか」
前から湊は家にいる時もやり取りが出来たら便利だなと思っていた。それは久遠先輩達も同じで
「鈴は賛成!なんで気づかなかったんだろう?」
「私も賛成よ」
「確かに今まで考えたこと無かったわね。私、あんまりケータイ使わないから…」
みんなケータイを取りだしまずは連絡先を交換する。
「鈴のアイコン可愛いな。猫飼ってるのか」
「そーなの可愛いでしょ!マルって言うの!」
鈴のTtime!でのアイコンは可愛らしい猫の画像だった。
湊の知識が正しければ確かベルガンという猫種だった気がする。一方湊はというと
「湊くんのアイコンは…イルカ?」
「実は俺イルカが好きなんだよ。別に言う情報でもないから言ってなかったけど」
「へぇ」
意外とばかりにケータイと俺を交互に見る鈴。
因みに久遠先輩がマグカップ、ミラが風車の写真をアイコンにしている。
「この風車の風景綺麗だな。これってどこの写真なんだ?」
「この風車は町外れの湖の畔にあるのよ。今度案内する?」
「おっ、是非お願いしようかな?」
「美来ちゃんだけずるい!鈴も行く!」
そんなやり取りを見て、
「じゃあこのメンバーで行こうよ、ゴールデンウィークにでも」
そう湊は提案する。
今週末からは5連休、ゴールデンウィークが始まる。
せっかくの長期休みなので遠出するにはもってこいだ。
「いいね!鈴お弁当作ってくる!」
「じゃあ私は紅茶を入れていくわね!」
想像が膨らむにつれて、楽しみな気持ちが膨れ上がってくる。
今日の喫茶店での仕事中もみんなの頭の中はお出かけのことでいっぱいだった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
帰宅後、いつものように夜ご飯を作っているとカウンター越しに茉白が話しかけてきた。
「5月3日なんだけど、私友達と遊んでくるから。あんまり遅くはならないようにするけど夕飯は向こうで食べてくる予定なんだけど、いい?」
ちょうど5月3日は湊も<Dreaming kitten>のみんなで出かける用事があったので
「行ってらっしゃい。俺も遅くはならないと思うけど出かける予定だからちゃんと家の鍵持ち歩けよ〜」
「はーい。お兄ちゃんの出かける用事って美来ちゃん達と?」
いつも夕ご飯の時にお互い今日あった出来事を話し合っている為、茉白は姿は見た事ないが久遠先輩や鈴のことを知っている。
「あぁ。<Dreaming kitten>の皆で行く予定だ」
「それなら安心して遊びに行けるわ」
「…どういう意味だよそれ」
「そのままの意味。お兄ちゃんひとりだと何しでかすか心配で心配で」
「お前なぁ。もうちょっと兄を信用したらどうなんだ?」
「ふふっ」
茉白は微笑みながら食器運びを手伝う。
そこに父さん、御神苗 暁が帰ってきた。
「おかえり」
「おかえりなさい」
「ただいま、おっ今日は肉じゃがか」
机の上に置かれている料理を見て、暁の腹の虫が鳴く。
「冷める前に食べよ」
茉白のその言葉を合図に3人は席に着く。
そして
「「「いただきます」」」
(「はーい、よく噛んで食べるのよー」)
そんな声が聞こえた気がした。
耳では無いところから聞こえる母の声に胸が熱くなる。
「明日あなたたちの大切な人が生きてるなんて誰にも分からないのよ。だから誰にでも優しく接しなさい。死んでしまってからでは後悔しても遅いんだからね」
…母はよくこの話をしてくれた。
母が亡くなった時、この言葉を思い出して他の誰よりも説得力のある言葉だなと思った。
今でも時々思い出す。
否、心の中で母が語りかけてくるのだ。
それはきっと母が死んでしまったことへの後悔が湊を縛り付けているからだろう。
まだ湊は母の死を受け入れられていない。
それどころか玄関が空く度に母さんが帰ってきたんじゃないかと確認する。
きっとこの先もこの気持ちが枷となって湊に縛り着くだろう。
だが湊はこの感覚がまるで母に抱き締められているようで嫌いではなかった。
「ピコん」
「ん?」
風呂に入り終わり自室に戻った湊が、音の発信元であるケータイに目をやる。
画面には「Ttime!鈴さん1件」と書かれていた。
ケータイのロックを解除し内容を確認する。
<ねぇ湊君って5日空いてる?>
<空いてるよ>
返信してアプリを閉じようとしたが直ぐに既読がついたためアプリを開いたまま鈴の返信を待つ。
<2人で出かけない?ちょっと下町の方に>
送っちゃった送っちゃった送っちゃった送っちゃった!
鈴は枕に顔をうずめて足をバタバタとばたつかせる。
<ねぇ湊君って5日空いてる?>
なんて返ってくるかな。
既読の文字が画面に写り鈴は息を飲む。
<空いてるよ>
やった、あとは誘うだけ。
誘わなければ行けない。
震える指先で返信ボタンを押す。
<2人で出かけない?ちょっと下町の方に>
湊の答えは、
<OK>
2匹のイルカがOKと文字を作っているスタンプが送られてきた。
「そういえば湊君イルカ好きって言ってたなぁ。確か海の近くに水族館があったはず…」
マップを開き「水族館」と検索をかける。
遠くは無さそうだ。
その水族館、ラティア水族館のホームページを開くとたくさんの海の生き物の写真があげられていた。
その中に
「イルカもいる!」
イルカの特設ページを開くとイルカショーの時間やイルカの詳細が乗っていた。
ここにしよう。湊君、喜んでくれるといいな。
第6話 風車公園
May 3 (Sunday♪)
街の中心から外れまで張り巡らされている列車に揺られ<Dreaming kitten>一行は風車公園へと向かっていた。
両側に2席ずつ、向き合う形で座った4人は窓の外の景色を見ながら到着を今か今かと待ちわびていた。
因みに暁はと言うとせっかくの休みなのに茉白も湊も出かけてしまったため、1人で街の探索へと向かっていた。
「晴れてよかったね〜」
「ですね」
夏の暑さとは違う春の陽気に包まれ、穏やかな風が吹いている。まさに散歩日和だ。
「わぁ!」
先程まで広がっていた街並みが消え、1面花畑へと変貌を遂げる。
そしてその花畑に囲まれるようにそびえ立つのが、
「見てみて!風車が見えてきたよ!」
窓の外を指さし、子供のようにはしゃぎながら鈴が言う。
鈴の膝の上には麦わら帽子が乗っている。
集合した時に被っている姿を見たが普段とはまた違った印象を受けた。
列車が目的地へと到着し4人は列車の外へと出た。
風が頬に触れ、花の香りを運んできた。
駅から出て5分ほど歩くと風車公園の入口が見えてきた。
「すごいな、これは」
「ええ」
門をくぐると目の前にはチューリップ畑が広がっていた。
花畑の周りには風車以外に高いものが無いため広く感じる。
空と一体化したような清々しさに湊は息を深く吸い、吐く。
「ねぇねぇ!あの風車上に登れるらしいよ!登ってみよ!」
鈴が指さす方向には風車の上からチューリップ畑を見下ろす人々の姿があった。
「行ってみましょ!」
久遠先輩が鈴に続いて歩き出す。その背中を追って湊達も歩き出す。
と、後ろからシャッター音が聞こえ3人が振り返る。
「えへへ、みんなの後ろ姿撮っちゃった」
そう言ってケータイの横から顔を出し「てへ」と笑ってみせるミラ。
「俺も仕返しだ!」
そう言って湊がケータイを取り出すと、
「あは、湊の横顔撮っちゃった」
「なっ」
「私も〜」
「久遠先輩まで?!」
鈴達に先を越され、されるがままの湊。
「みんなで集合写真を撮りましょ!」
ミラがその場を一旦閉じる。
やり始めた犯人が言うのも変だが提案自体は賛成だ。
「見てみて!海がみえるよ!」
「いや鈴あれは湖でしょ」
「南の方だと湖の反対に海が見えるらしいぞ」
今湊達がいるのは西である。
湖はだいたい3時間弱で1周できる大きさの為、湖を挟んで向こう側の景色も見える。
東の方にはちょっとした休憩スペースがあるようだ。
「湖の上で釣りをしている人達がいるわ」
「何が釣れるんだろう」
湖の上には3隻ほど舟が浮かんでおり、その上では釣りを楽しむ人の姿があった。
しばらく景色を楽しんだあと、風車を降りて歩き出した。
「やっと座れる」
「案外疲れるわね」
先程風車で確認した休憩所までたどり着き、1時間ぶりに腰を下ろす。
この休憩所は飲食がOKらしいので昼食をとることにした。
確か鈴が作ってきてくれる話だったが、
「そのリュックの中身お弁当が入っていたのか。言ってくれれば持ったのに、重かっただろ」
「大丈夫だよ、ありがとっ湊君」
リュックから3段のお弁当箱を取り出し広げる。
「すごいわね」
「あぁ」
「どうぞ召し上がれ!」
色とりどりで豪華なお弁当の何から食べようか悩み、最初は無難に卵焼きを口へ運ぶ。
「ん!美味しい!」
「うんうん!美味しいよ島田ちゃん!」
ふっくらと柔らかく甘くて美味しい。
「えへへ、照れるなぁ」
鈴が恥ずかしがりながらも嬉しそうな顔をする。
「これはなんだ?」
「えっとね、それはココットって言って」
弁当を食べ終えたあと、久遠先輩が持ってきてくれた紅茶を飲みながら寝そべる。
今日の紅茶はディンブラだ。
すっきりしていてちょうど今の雰囲気とあっている。
空がとても広く感じる。
「ずっと寝てられるな」
「分かるわ」
「分かるー」
「Zzz…」
久遠先輩は既に本当の意味で寝ている。
寝てしまうのも仕方ない。
ご飯を食べ、ポカポカ陽気に包まれながら柔らかい草の上に寝そべって動く雲を目で追っていれば寝るなと言われる方が難しいくらいだ。
でもそろそろ動き始めなければ行けない。
脳はそう思っていても体が動いてくれない。
何とか上半身を起き上がらせる。
「先輩、こんな所で寝たら風邪引きますよ」
久遠先輩の肩を揺すり、先輩を起こす。
「んん、おはよう御神苗君」
「おはようございます」
久遠先輩の隣で寝そべったままの2人も起こして移動を始める。
南の風車で海を見て入口の前で並んで写真を撮った後、列車へと乗り込む。
よほど疲れていたのか帰りの電車で鈴とミラは寝てしまった。
席順は行きと同じで久遠先輩の横にミラが座り、反対側に湊と鈴が座っている。
「今日は楽しかったね」
「はい。またみんなで出かけたいですね」
「そうね。またみんなで出かけましょ」
向かい合う形で座っている久遠先輩とそんな会話を交わす。
「なんか、こうやって先輩と2人きりで話すのってなんか久しぶりな気がしますね」
「ふふ、確かにそうね」
ミラと鈴が<Dreaming kitten>の一員になってからというもの、2人きりで話す機会が減ったのは事実だ。
「御神苗君に街を案内したのも、もう1ヶ月も前なのね」
「早いですね」
「あの頃より、いい顔になったよ御神苗君」
「どういう意味ですかそれ…」
「出会ったばっかりの時、押したら直ぐに崩れちゃいそうな顔してたよ。今はしっかりとした感じがする。悩みが晴れたのかな?」
「悩み、か」
きっと久遠先輩が言っているのは、母を無くしたばかりで心に大きな隙間が空いてしまった時のことだろう。
「でもまだ心のどこかに靄がかかっているみたい。なんでも相談してくれていいのよ。私は御神苗君の先輩なんだから」
そう言って久遠先輩は手を握ってくる。
「御神苗君は1人じゃないよ」
「っ!」
「みんなが、もちろん私もいるからね。辛い時はいつでも胸を貸してあげる」
と、肩に鈴が寄りかかってきた。
顔のすぐ近くで鈴の寝息が聞こえる。
「…チューしちゃえば?」
「しませんよ!せっかく先輩今いいこと言ってたのに」
先輩のその一言で空気が一変する。
でも嫌ではない。
湊は駅に到着するまでずっとドキドキしっぱなしだった。
街に帰ってくるともう日が暮れかかっていた。
「またねー」
みんなそれぞれ家の方向が違うため駅で別れ、それぞれ家へと向かった。
「ただいまー」
「おう!おかえり!」
リビングに入るとキッチンに父が立っているのが見えた。
風車公園を出る時に父にTtime!で「夕飯は家で食べる」と連絡したら「じゃあ久しぶりに俺か作ろうかな」と父が言い出した。
因みに茉白はまだかかるため夕飯はいらないと言い出したので男2人での夕食だ。
「今日の夜はハンバーグだ!」
そう言って出来上がった料理を机に並べる。
「あれ?いつもより大きい?」
「今日のハンバーグは大きくするためにひき肉と豆腐を混ぜて作ってあるからな。いつもより大きくなってるぞ」
席につきハンバーグを1口食べてみると確かに豆腐の味がした。
しかし湊はひき肉100%よりこっちの方が好きだ。
今日の出来事をお互い話しながら食べたのだった。
風呂から出ると茉白が帰ってきていた。
「おかえり、今日はどこいってきたんだ?」
「自転車をレンタルして海沿いをサイクリングしてたんだ」
「いいなそれ気持ちよさそう」
「お兄ちゃんは?」
「ああ、俺は風車公園でのんびり散歩してきた。後で写真送るよ」
「ありがと、私も送るね」
「サンキュー」
軽く言葉を交わし湊は部屋へと戻る。
Ttime!のグループチャットを見ると今日撮った写真がアルバムに追加されていた。
湊も今日撮った写真をアルバムに追加しケータイを閉じる。
今日はもう寝よう。
あの草の上で寝転がった感覚を思い出しながら湊は眠りについた。
第7話 枷からの解放
May 5 (Tuesday♪)
「おはよう湊君!」
「おはよう」
風車公園に行く時に利用した駅の前で鈴と合流する。
今日は風車公園とは逆、海の方へと向かう。
目的地は海沿いにあるラティア水族館だ。
電車が動き出し、街の中を駆け抜ける。
下町の方には行ったことがなかったのでどれも初めて見る景色だ。
いつも上から見えていた時計塔や大きな杉の木が目の前まで迫る。
「次の駅辺で降りて歩いていく?」
「いいなそれ」
時間はたっぷりあるし湊も下町が気になっていたので賛成した。
2人は列車を降り、街を歩き出す。
湊たちの住んでいるところと違うところといえば
「道幅が広い?」
「こっちの方だと馬車が通ってるらしいよ」
「馬車?!へぇ」
「乗ってみる?」
乗れるのか、少し乗ってみたい気もするが
「せっかくだし歩きたいかな」
「鈴もー」
道の左右には色んなお店が並んでいる。
恐らく2階が住居なのか2階の窓には花が植えられていた。
「見てみて!海が見えるよ!」
ソフトクリームを片手にはしゃぐ鈴。
しばらく歩くと海が見えてきた。
「水族館見終わったら少し海岸でも歩くか」
「賛成!」
そんな会話を交わしながら水族館へと向かうのだった。
水族館に着き順路にそって歩き始める。
最初の通路をぬけた向こう側には大きな水槽が待っていた。
「ここは何がいるんだ?」
「見てみて、近づいてきたよ」
「うおっ」
そこには2頭のサメの姿があった。
水槽の横には「シュモクザメ」と説明が書かれていた。
さらに奥に進むと今度は暗い部屋へと出た。
「クラゲか」
「綺麗だね」
暗闇の中で光るクラゲを見ていると手に何かが触れた。
「…鈴?」
「…は、はぐれたら大変だから、その…手繋いでもいい?」
「あ、ああ」
鈴の手を掴んで繋ぐ。鈴の手は暖かく柔らかかった。
(やっべぇ、めっちゃドキドキする)
(やばい、めっちゃ心臓バクバク言ってる。手、汗ばんでないかな、大丈夫かな?)
思い切って手を繋いだもののドキドキしすぎて心臓が破裂しそうだった。
クラゲエリアを抜けたあとも2人は手を繋いだまま歩いた。
「そろそろかな」
時計を見ていた鈴がそう言うと
「次はこっちだよっ」
「お、おい」
鈴に引っ張られながら屋外スペースへと出る。
「これって」
「そうだよ、湊君イルカ好きって言ってたから」
そこには水槽を囲むようにして席が並んでいるショースペースだった。
「そろそろ始まるから座ろ?」
「あ、ああ!」
始まる、とはきっとイルカショーのことだろう。
ワクワクしながら湊は席に着く。
すると飼育員の人に続いて一頭のイルカが姿を現した。
「あれは」
「あれはバンドウイルカ、だよね?」
「知ってるのか?」
鈴は心の中で「昨日勉強してきてよかった」とガッツポーズを取る。
イルカショーを終え、順路にそって一通り見てあと出口付近の売店でお土産を書くことにした。
「このキーホルダー、2人で買わない?」
鈴が見せてきたそれはピンクと水色のキーホルダーだった。いわゆるペアキーホルダーと言うやつだ。
「いいぞ」
「やったぁ!」
茉白と暁には海鮮煎餅を買い水族館を後にした。
水族館から出ると目の前には海が広がっていた。
「近くまで行ってみよ!」
鈴に手を引かれ波が当たるギリギリまで近づく。
「わわっ」
さっきよりひと回り大きい波が来て鈴のつま先を濡らす。
「今の大きかったな」
「ね、少し濡れちゃったよ」
笑いながらつま先に目をやる鈴。
「夏になったらみんなで来たいな」
「そうだね、夏休みが楽しみ!」
みんなで海で遊んでいる風景を想像してほのぼのした気持ちになる。
ふと横を歩いている鈴に視線をやると海と空の境目をじーと見ている。
「湊君はこの街に慣れた?」
突然そんな事を聞かれ湊は「まだかな?」と答えた。
「まだ見てない景色や、行ったことがないところが沢山あるからな」
「鈴はね、生まれた時からこの街に住んでるの」
鈴が語り始める。湊は静かに鈴の話に耳を傾ける。
「ずっとこの街を見てきて育ってきた。それでもまだこの街に慣れてない。きっとこの先も。この街は常に成長し続けてるから鈴じゃ追いつけないの。けど、」
一呼吸おき、
「鈴はこの街が好き。大好き」
一瞬鈴の姿が久遠先輩と重なる。
その横顔は普段の鈴とは違い真剣だった。
「鈴はこの街に生まれて、この街で育ててもらって本当に幸せだなって思う。きっとこの先もこの街に助けられながら生きていくと思うんだ」
そう言って鈴が振り向く。
「ねぇ、湊君って今幸せ?」
そんな質問をされ、湊は立ち止まる。幸せ、か。
考えたこともなかった。きっと1か月前の湊は幸せなど程遠い言葉だっただろう。
だが今は違う。みんなが、<Dreaming kitten>のみんながいる。
「ああ」
力強く頷き鈴の目を見る。
その瞳に映る姿からはもう、母をなくしたことを後悔する湊の姿は無かった。
第8話 <Dreaming kitten>へようこそ
May 9 (Saturday♪)
「おはようございます」
「湊君遅い!」
「湊、遅かったじゃない」
「御神苗君おっはよう」
鈴と出掛けてから3日、ゴールデンウィークが開けてから初めての土曜日、いつも開店時間の1時間前には集まって店内の掃除や仕入れをしたりするのだが湊が店に来たのは開店10分前だった。
「すみません、目覚ましかけ忘れました…」
言い訳である。
もちろん目覚ましはかけてあったのだが「あと5分」とタイマーを止めてから茉白に起こされるまで約40分間、湊は夢の中でカバとフラダンスを踊っていた。
「ほらシャキッとして、とりあえず制服に着替えてきなさい」
「あ、ああ」
まだ頭の奥底でカバが踊ってる気がする。
そんなことを思いながら急ぎ足で店の奥の更衣室へと向かう。
と、更衣室へと続く廊下の途中でマスターとぶつかりそうになった。
(やばい、遅刻してるのがバレた)
「すみません」
そういうと普段無口で一切表情が動かないマスターが口をそっと開ける。
「…湊くん、いつもありがとう」
「え…」
初めて聞くマスターの声はか細く小さかったが優しくて暖かさを感じる声だった。
「君が来てから久遠はよく笑うようになった。それはこの店も同じだ。…たくさんの笑顔をありがとう」
「いえ、ありがとうだなんて。むしろ自分の方こそ感謝してもしきれないほどの恩が、この店にはあるんです」
あの日、この喫茶店に出会って俺の物語は動き出したんだ。
母さんを無くし、何も知らない街で頼れる人もいなくて途方に暮れていた俺を救ってくれたのも。
「この喫茶店に出会えて心からよかったって思ってます。今までも、これからも」
拳を握りそう断言する。
「あ、そろそろ開店時間なので失礼します!」
そう言い残し湊は更衣室へと歩き出した。その背中に届かない声で、
「…ありがとう」
そうつぶやくのだった。
「湊君おそーい!着替えるだけなのになんでそんなに時間がかかったの?!」
「いやちょっと廊下でマスターとすれ違ってな。少し話してたんだ」
「え?あのマスター話せるの?」
「それは失礼よ鈴」
「え?お父さんが話したの?」
「…自分の父親なのに驚くのね」
「ほら、開店時間になるぞ」
店のドアの向こうには人影が映っていた。
「それじゃあ今日も頑張ろうか!」
「うん!」
「ええ!」
「頑張ろう!」
ドアのロックを解除しドアを開ける。
朝の日差しが店内へと入り込みこそばゆい感覚に襲われる。
<Dreaming kitten>での一日が始まる。
「いらっしゃいませ!<Dreaming kitten>へようこそ!」
読んでいただき誠にありがとうございました。
今回は短編ということで、書かせていただきました。
この作品ですが、この続きは連載小説として書くことにしました。
まず今回の話が長いことについてですが完全に章機能なるものを知りませんでした…。
そして章の使い方も作品を書き終わった後で知ったので今回はかなりごちゃごちゃしていますが次回からはちゃんと章管理していきたいと思います(汗)
これからも「紅茶にお砂糖入れますか??」をよろしくお願いいたします!