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婚約破棄ぃ? 婚約なんて初耳ですわ!

作者: 浜柔

「スカーレット・フローラリア! 貴様との婚約をこの場で破棄する!」

「はいぃ!?」


 建国記念日に沸く王宮のレセプション会場で、アルタリア王国の王子ライオネル・オルカンディス・デ・アルタリアは壇上から言い放った。

 一方、言葉を叩き付けられたフローラリア侯爵家の令嬢スカーレットは盛大に右に首を傾げて素っ頓狂な声を上げた。

 それもその筈。


(婚約なんて寝耳に水ですわ!)


 初耳であった。


(お父様は!?)


 殆ど無意識に父を捜して会場を見回すが、居ない。


(ここにはいらっしゃらないのでした!)


 イベントであれ宴会であれ、裏で働いている人々が居るから他の人々が楽しめる。親戚の寄合くらいならば奥さん方が働くだけで済むが、国を挙げてのイベントともなれば、それなりの地位の人物が責任者として陣頭指揮を執らなければならない。そして今回のこのレセプションの責任者を務めるのがスカーレットの父である侯爵ブレンドン・フローラリアだ。

 そして、会場で指示を出す訳に行かないブレンドンは会場から離れた場所に居る。その妻マリアンナもまた夫を助けて働いている。

 長女のスカーレットはレセプション会場に独り、この降って湧いたような一件に対応しなければならないのであった。


(国王陛下は!?)


 スカーレットは国王の様子を覗った。王子が有りもしない婚約を破棄すると言い放つなど、国王として放ってはおけない筈だ。

 ところが国王は傍観を決め込んでいる。

 スカーレットは混乱した。


(婚約はデタラメではありませんの!?)


 あり得ないとは思っても、父が伝え忘れている可能性が万が一にも無いとは言えない。もしも伝え忘れているだけなら、ここでスカーレットが婚約を否定したなら父に恥を掻かせることになってしまう。それを考えれば迂闊に否定もできない。


「聞こえなかったのか? ならばもう一度言おう。スカーレット・フローラリア! 貴様との婚約を破棄する!」

「そのように仰る理由をお尋ねしても宜しいでしょうか?」


(ああ! 婚約なんてこちらこそ願い下げですのに、このはっきり言えないもどかしさ!)


 スカーレットは「そのように」ではなく「婚約していると」とはっきり問い質したいところを、ぼかして訊いた。

 そして当然の如く、王子には伝わらない。婚約破棄の理由を尋ねていると受け取ったらしい。


「貴様の不埒な行いの数々が理由だ!」

「不埒!? 何を以てわたくしが不埒と仰いますか?」

「人前では口にできることではない! 我の品性も疑われる。何より貴様の名誉のためだ!」

「はいぃ!?」


 スカーレットはまたも盛大に右に首を傾げて素っ頓狂な声を上げた。


(どの口で名誉などと仰いますか!)


 こんな場所で中傷を始めて、スカーレットの名誉を傷付けたのは王子である。


「仰っていただかなければ承知しかねますが?」

「口に出すのも憚られることを言えと申すのか。何とはしたない女であろうな?」


 あまりの言われように絶句したスカーレットであったが、直ぐに思考を再開する。


(これは少し変ですわ。わたくしを填めようとする臭いがぷんぷんですわ)


 国王は相変わらず傍観を決め込んでいる。親子で共謀していると考えた方が自然だ。


「ご意見だけは承りました。急用がございますので、わたくしはこれにて御前を失礼いたします」


 スカーレットはライオネルに返事と、国王への挨拶と淑女の礼を流れるように行って、足早に会場から立ち去る。


「逃げおったか! 羞恥心くらいは有るようだな!」


 後ろからは、ライオネルの大声と、大笑いする声が聞こえた。


(くっ、悔しいですわ!)





 スカーレットは足早に父の許へと向かったが、職務中の父に面会は叶う筈もなく、帰宅する。

 着替えを済ませた後はリビングで、落ち着き無く父の帰りを待ち続ける。

 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。

 振り子時計の鐘が4回鳴った。


(ああ! お父様、早く帰って来て!)


 願いは虚しく、時計の振り子が時を刻む音だけが響く。

 また振り子時計の鐘が鳴る。

 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。


「お帰りなさいませ」


 鐘が6回鳴り終わるのに合わせたかのように、使用人の声が聞こえた。

 ソファーから腰を浮かせるスカーレット。

 そして、リビングの扉が開いた。


「スカーレット! 遅くなってごめんなさい。急ぐ用事とは何なの?」

「お母様……」


 母が父から伝えられて急いで帰って来てくれたと判っていても、スカーレットは少しばかり落胆した。

 それと言うのも、政治的な部分は全て父の侯爵が取り仕切っている。そしてスカーレットに憶えのない婚約など、政略結婚でしかあり得ず、極めて政治的な話だ。そのため、婚約破棄の一件は父に確かめなければはっきりしない。

 だからと言って、母が知らないとも限らない。それより何より母に話さないなどあり得ない。


「お母様、わたしは今日、ライオネル王子に婚約破棄を突き付けられたのです。わたくしって王子と婚約していたのですか?」

「はいぃ!?」


 母マリアンナは盛大に左に首を傾げて素っ頓狂な声を上げた。

 釣られたスカーレットは鏡写しのように右に首を傾げる。

 (まさ)に母娘であった。

 この時ばかりは、スカーレットの様子に緊張を強いられていたリビングも、ほんわかとした空気に包まれた。





「そんな婚約など有るものかーっ!」

「ご、ごめんなさい。お父様ぁ」


 スカーレットは父の怒声に首を(すく)ませた。夜遅くになって一時的に帰宅した父にレセプション会場での次第を話したところ、父が声を荒らげたのだ。

 しかし、慌てたのは父ブレンドン。所在なく手を彷徨わせながら弁明する。


「い、いや、スカーレット、私が悪かった。お前に怒ったのではない。お前は私のことを思って黙っていたのだからな」


 スカーレットは胸を撫で下ろし、ブレンドンはソファーにもたれて息を吐く。


「実はライオネル王子との縁談は持ち込まれたのだ。即座に断ったがな」


 即座に断ったがために、スカーレットにも話していなかったブレンドンである。

 それと言うのも、有象無象からの縁談の申し込みはひっきりなしなのだ。ブレンドンにはライオネル王子も有象無象でしかない。


「申し込まれてはいたのですね……」

「だけどあなた、どうして断ったの?」

「あの王子には虚言癖があるのだ。内々に処理されて表には出ていないが、迷惑を被った者は多い」

「虚言癖?」

「そうだ。口を開けば嘘ばかりを言う」

「それは断って当然ですわね」


 マリアンナが同意し、スカーレットも大きく頷いた。そんな輩とは家族になりたくない母娘である。


「まったく忌々しい俗物どもだ。断られておいて、自分達から断った風を装おっているとはな」

「虚言だと見抜けなかったのが口惜しいですわ」

「そこは私が悪かった。俗物と言えども王子なのだから、スカーレットにも話しておくべきだった」


 スカーレットとブレンドンが口を固く結んで苦々しげにする。


「あなたもスカーレットも反省は後にして、相手の目的とこれからのことを話しましょう」

「ああ、そうだな」


 ブレンドンは頷いた。


「王子が婚約破棄を言い出したのは、虚言癖からだろう。それを国王がどの程度利用したかは判らないが」

「利用ですか? 謀略ではなく……」

「ん? ああ、全てが仕組まれたようにも見えなくはないな。逆に全てが偶然にも見えなくはない」

「国王様が傍観していたことも偶然だとあり得るのでしょうか?」

「王子のいつもの虚言癖だと思って、何も感じていなかったのかも知れない」

「そこまで酷い虚言癖なのですか!」

「そうだ」

「だけどあなた? 国外からのお客様もいらっしゃる場所で見過ごすものかしら?」

「無いとは言い切れない」


 ブレンドンは肯定するが、スカーレットは拳を握り締める。


「あり得ませんわ!」

「スカーレット?」

「わたくしが迷惑を被っているのに、国王は他人事みたいにぼんやり眺めるだけでしたのよ? だからわたくしはお父様がご存じの可能性を考慮しましたのに。国王としての資質が無いと断じざるを得ませんわ!」


 スカーレットは拳を突き上げながら立ち上がった。


「スカーレット、はしたないですよ」

「……ごめんなさい」


 スカーレットは顔を赤らめて座り直した。

 そんなスカーレットを見て、ブレンドンが不敵に笑う。


「ではスカーレット。国王がその資質を持っていなかったら、お前はどうする?」

「それは……」


 考え込むスカーレットにブレンドンは再度問い掛ける。


「それは?」

「そうですわ! 独立すれば良いのですわ!」


 スカーレットはまた拳を突き上げながら立ち上がる。

 今度はマリアンナもスカーレットを窘めもせず、ぽかんと見上げるばかりとなった。

 スカーレットがこう言い出すのは、それほどおかしな話ではない。アルタリア王国の実態は、各領主を盟主とする公国が集まった連邦国家である。主に他民族からの侵略を共同で防衛するための連邦だ。そのため、有事以外は各領地が独立国のように振る舞っている。国王と言えども直轄領以外には権勢が及ばない。

 そしてフローラリア家は、その権勢も領地の広さも財力もが王家を凌いでいる。戦争を辞さない覚悟であれば独立もまた可能だ。


「くっくっくっくっ……、そうか、独立するか」

「あなた、笑い事じゃありませんよ!」


 ブレンドンが愉快そうに笑い、マリアンナがそれを窘める。


「そうだ。笑い事ではない。スカーレット。国王になる覚悟は有るのか?」

「はい?」


 スカーレットは右に首を傾げた。


「何を不思議そうにしている。独立するのであれば、我がフローラリア家が王家となるではないか。それならいっそ、初代国王にはスカーレット、お前が成れば良いではないか」

「わたくしがですか!?」

「何を素っ頓狂な。早いか遅いかの違いだけではないか」

「う……、仰る通りですわ……」


 スカーレットの家族は、父母の他に物心が付く前の妹が居るだけであった。このままなら家督を継ぐのはスカーレットになる。


「それとも、『できない』と言うか?」

「いいえ! できますわ!」

「良く言った! 本当に独立するかはお前が決めればいい。お前が決めたことなら私は最大限に手伝おう」

「ありがとうございます。お父様!」





(やってしまいましたわ! お父様の前で調子に乗ってしまいました!)


 ベッドに俯せになって、顔を枕に押し当てて、足をジタバタさせるスカーレットである。


(しかしこのままにはしておけませんわ。根も葉もなくとも風評は風評。公の場で立てられては結婚もできなくなってしまいますわ)


 もしかすると、根も葉もない風評の方がコロコロ転がるものかも知れない。


(思い返せば思い返すほど、風評を立てるための茶番だったように思えますわ)


 独立の話の後で、父母とは王子や国王の振るまいが意図したものだった可能性についても話し合っていた。

 その意図として考えられるのがフローラリア家を貶めること。ターゲットにされたのがスカーレットだと言うことになる。ブレンドンがレセプションの責任者に任命されたのも、マリアンナがブレンドンを補佐しなければならなかったのも、スカーレットを貶めるための布石だったとも考えられるのだ。

 どうして貶めるのか。それは王家に権力を集中させたいがためだと考えられる。国王には他人を蹴落とせば自分の地位が上がると信じている節がある。

 他人を蹴落とすことで得られる利益など、有ったとしても微々たるものにしかならないものだが、とかく蹴落とすことを企図する者は蹴落とした相手の全てを得られると考える。国王や王子は、スカーレットを貶めることでフローラリア家から失われるものの全てを王家が手にできると考えているのではないかと思われるのだ。


(そんなことをしても国力が落ちるだけですのに)


 仮にフローラリア家の力が削がれたとしても、王家や他の貴族の力が増す訳ではない。国全体としては力が落ちるだけだ。そうして国力が落ちれば、外国から侵略される危険が増す。そんな危険を王家が率先して犯しているのであれば、甚だ度し難い。


(それでも暫くは様子見ですわね。何事も無く噂が消えるようなら、何もしなくても構いませんし)


 スカーレットとて、好んで事を大きくしたい訳ではない。事なかれで済むならそれに越したことはないのだ。





(甘かったですわ!)


 建国記念日のレセプションは3日に亘って行われたが、その間にスカーレットに対する風評が尾ヒレを生やして縦横に社交界を泳ぎ回っていた。最早、縁談のえの字も望めない状況だ。


(ふ、風評被害ですわ!)


 これを全く予想していなかった訳ではないが、期待したのは沈静化の方だった。

 誰が風評を積極的に流布するのかの内偵は行っている。王子ライオネルとその尻馬に乗った貴族達だ。中にははっきり敵対の意図を持った者も居るが、大抵は敵に回せばめんどくさいが味方にすれば足を引っ張られる類である。纏めて敵と見なしていた方が判りやすい。


(決断の時ですわ!)


 王子がしつこく風評を流布することに、スカーレットは怒りを禁じ得ない。客観的にも意図して行っているようにしか見えない。





 諸々の準備を整えた後、スカーレットは屈強なフローラリア軍兵士に守られながら謁見の間に乗り込んだ。

 俄に騒がしくなる謁見の間。


「貴様はフローラリアの娘! 何のつもりだ!?」


 国王の側近が声を荒らげるが、スカーレットは意に介さない。


「アルタリア国王! 先日からのわたくしに対する風聞による侮辱、最早見過ごせません! 謝罪と慰謝料を請求します!」

「風評だと? 口の軽い者達が囀っているだけではないか!」


 側近の答えに国王も頷いた。


「元はと言えば、ライオネル王子が有りもしない婚約の破棄を宣言とわたくしに対する中傷をしたせいではありませんか! その場に居た国王にも責任が無いとは言わせません!」

「高が風聞に責任などあり得ぬわ!」


 側近の答えに国王も頷いた。


「では、謝罪してはいただけないと?」

「する筈が無かろう!」


 側近の答えに国王も頷いた。


「慰謝料もお支払いいただけないと?」

「当たり前だ!」


 側近の答えに国王も頷いた。


「お考えに変わりはありませんね?」

「くどい!」


 側近の答えに国王も頷いた。


「それならこちらにも考えがあります。これで失礼しますわ」

「疾くと立ち去れ!」


 側近の答えに国王も頷いた。





 スカーレットは即日、王都の屋敷を引き払って領地へと帰郷し、帰郷と共にフローラリアの独立を宣言した。

 アルタリア国王はこれに反発して、フローラリアの制圧を指令。王国直轄軍及び呼応した各領軍がフローラリアを攻撃する。

 だが、精強なるフローラリア軍がそれらを迎撃、スカーレット自らも軍を指揮して(ことごと)くを撃破した。

 そしてこの戦果を以て、スカーレットはアルタリア王国に対して圧迫外交を繰り返し、遂には多大な領土の割譲をも認めさせた。

 フローラリアに対して擦り寄る貴族も増えた。アルタリアから離れてフローラリアとの合邦(がっぽう)を目論むのだ。ところが、そんな腰が軽い貴族は得てして口も軽いもので、多くはスカーレットの風評を積極的に流布していた者達だった。

 スカーレットは彼らに対しては、風評に加担した度合いに応じて領地の割譲を条件として傘下に組み込むことを承認した。多ければ半分以上の割譲である。

 一見すれば苛烈な行いの数々。このため、スカーレットは冷血女帝と呼ばれ、生涯に亘って伴侶を得ることが叶わなかった。


「ふ、ふ、風評被害ですわ!」


 尚、スカーレットに家督を譲ったその両親によって、スカーレットは年の離れた弟妹に恵まれた。そしてこの弟妹らの子孫によって、フローラリア王国は永く栄えるのであった。





「あなた、どうしてスカーレットに独立を唆すようなことを仰ったのですか?」

「国に義理立てして働いてはいるが、どうにもブラックだから見切りを付けようと思っていたところだったのだ」

「確かに、子供を産む余裕があまりありませんでしたわね……」

「だろう?」





国王「ふあああ、よく寝た」

側近「目を開けたまま眠るのはお止めください」

国王「よいではないか。それより寝ている間に何か有ったか?」

側近「特には何も」





王子「はっはっはっはっ! いよいよ我の出番だ!」

兵士「敵に囲まれました! 早くお逃げください!」

王子「ぐぬぬ……。負けぬ! フローラリアなぞに我は負けられぬのだ!」

 ちゅど~ん。

王子「……」

兵士「くっ、これでは助からん。お覚悟!」


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